東日本大震災曾野綾子氏の教育改革国民会議レポートの粗末2
曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災 曾野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
東日本大震災 曾野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
揺れる大地に立って曽野綾子氏東日本大震災個人的記録の欺瞞3
東日本大震災・曽野綾子のキーワードは曽野綾子キーワード
の中でも重要なキーワードの一つのようでした。WEB上での数値規制
と同時に一時、東日本大震災・曽野綾子のキーワードも曽野綾子キー
ワードの列から削除されたようですが、数値規制が効力?を発揮したせ
いか東日本大震災・曽野綾子のキーワードが復活したと夫は苦笑して
いました。
その後、曽野綾子氏の著書「揺れる大地に立って」の売れ行きは如
何なものだろう。先の当ブログ「東日本大震災 曽野綾子氏の個人的
記録という欺瞞」では、この本の帯の小見出しの批評を行なったので
今回は目次を見ながら、前回と重複する部分もあるが曽野綾子氏を
攻め続けたい。
まず「私たちはいかに立ち直り、何をなすべきか?すべての日本人
に捧ぐ、書き下ろし緊急出版!」これは目次の前に書き出したキャッチ
フレーズか?先の「老いの○○」が100万部売れた勢いに乗じて柳の下を
弄ろうと編集部の意気込みだけが先走ったフレーズだ。編集部よ、伝
えるが良い!「私たちは」ではなく「私は」でしたと。なぜか?曽野綾子キ
ーワードで検索しているうちに面白いタイトルの記事に出会ったから尚
の事、一人称が必要だ。
【「論談TV 曽野綾子先生、使い方間違っています」
投稿者: 投稿日時: 2009/09/25 21:43:32
9/25日付け産経新聞の1面に作家の曾野綾子の『小さな親切、大
きなお世話』というコラムが掲載されている。「日本という国がどれほど
ありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとん
ど考えたことがないのかもしれない」という書き出しで始まる文章は、
サウジやクウェートは降雨がきわめて少ないと続き、こう書かれている。
「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」】
この甘受を巡る曽野綾子ファンと思しき人たちの擁護論のあまりの的
外れに、業を煮やした投稿者が曽野綾子氏のコラムの全文を紹介して
いたので読んでみたが投稿者の主張通り文脈からして曽野綾子氏の
明らかな誤用だ。投稿者の主張は理路整然としていて実に明快。「甘
受」の語源にまで遡って曽野綾子氏の言葉の用い方は間違いではな
いとする曽野綾子擁護論者たちは産経新聞が文壇専門紙や学術紙
ではなく「大衆紙」であることを念頭に置いて議論すべきだ。従って一般
的な解釈をするのが通常で「享受する」等の語彙を用いるのが当然。
また論旨の方に重きを置くべきで「誤用」云々は枝葉末節だとする意
見もあったが、忘れてはならないのは曽野綾子氏は歴とした職業作家
で「文化功労者」だということだ。「職業作家」でなくても大衆紙に公表
する前に自らの作品を推敲するのは当然のこと。いわんや「文化功労
者」だ。そんなに軽い訳がない、極めて重い。曽野綾子氏の軽率さは
「日本の文化功労者はこの程度だ」と日本の恥を世界に晒し、ひ
いては日本の威信を失墜させていることを曽野綾子擁護論者たち
は思い知るべきだ。要するに曽野綾子氏は二年前と全く変化も進
歩もない。つまり立ち直るべきは曽野綾子氏ご自身で、だから自問
自答の形を取り「私は、なにをなすべきか?」となる。それは即ち筆
を折るべきだと言う以外にない。
さて、目次へ行こう。
第1章 この世の「原型」に見出す光。このフレーズは曽野氏の文章の
中で初めて目にするタイトルだが、ふと、2chの曾野綾子文学板のあるレ
スを思い出した。
○この人は、たぶんDV家庭育ちだからだろうけど、人の気を引くよ
うなテーマの小説を書いたり、人の気を引くような事を言うのはうま
いんだよ。奥になにかがありそうに思わせるのがすごくうまい。実際
は自慢とかくらいしか無いんだけどね。・・・確かに読んでみたいと気をそ
そらせるタイトルではある。しかし、後でガッカリするといけないから、
ここはレスの言葉を信じよう。そのうちネット上でいくらでも閲覧できる
ようになるだろうから・・・・それでは先を急ごう。
第2章 過酷な運命との遭遇【1】震災以前~大東亜戦争の体験
この章については前のブログで言及したので除きます。
次の【2】震災以前~「もうダムはいらない」の浅慮。またぞろ出してくるな
んて懲りない御仁だ。「他者を浅慮という浅慮」と、こう反駁したい。出版
社も「老いの才覚」がトップセールスを記録したからといって、その売り
上げにあやかろうと筆者や内容を吟味もせず、なりふりかまわず繰り出す
無節操さは、もはや拝金主義に堕したと言うほかない。まして八ツ場ダム
に関する曽野綾子氏の政治的な発言を敢えて「個人的記録」としたの
は東日本大震災以来の曽野綾子氏への批判を交わそうというね
らいが極めて露骨に表れている唾棄すべきタイトルだ。従って、この
浅慮のくだりについては先の当ブログ「曽野綾子氏の責任と良心を問う」
でも記述したが再度レジスタンスを試みたい。先の当ブログの転記。
「第二点の「記述内容に対する責任と良心」。ここで問題にしたいの
は八ツ場ダム建設中断に関する曽野綾子氏の見解と日本の建築物に
言及した下りだ。まず「私は前原元国交相の取った八ツ場ダム建設中断
の判断にも改めて怒りを覚えた。あの時、誰がどう言ったかは私の手元
には記録がないけれど、つまりあんなダムは差し当たって必要ない、とい
うことであった。近年の日本の経済が縮み加減であることを見ても電気
の必要量は減りつつあるし、何百年に一度の干ばつや出水のための考
慮をすることはない、という論理であった。」「文化功労者」が、こういう政
治的な事柄を論評すること自体が問題なのに、デリケートで且つ重大な
政治的事柄を 「手元には記録がない」と言いながら「という論理であった
」と平然と幼稚で勝手な論理を展開し、物事を断定するという浅慮
を曽野綾子氏自身が行なっているというのにだ・・・・。
先月、読売新聞に<八ッ場ダム>建設に「反対」する学者の声明文
が掲載された。
<八ッ場ダム>「建設が最良」に学者10人反論 声明文
「建設の是非を検証中の八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)につ
いて国土交通省関東地方整備局が「コスト面などからダム建設が最良」
との結果をまとめたことを受け、河川工学や防災地形学の学者10人が
近く、野田佳彦首相や前田武志国交相に検証の抜本的なやり直しを求
める声明文を提出する。検証結果について「科学性・客観性が欠如した
ものと言わざるを得ない」として、公開の場で公正な検証を行うことを
求める方針。声明を出すのは大熊孝・新潟大名誉教授(河川工学)、奥
西一夫・京都大名誉教授(防災地形学)、今本博健・京都大名誉教授
(河川工学)ら。
関東地整は利根川の治水対策にあたり、今後20~30年で達成可能
な毎秒1万7000立方メートルを河川整備計画相当の目標流量に設定。
ダム建設に加え四つの代替案を比較検証した結果、コスト面ではダム案
が約8300億円で最も安く、10年後の治水効果を一番見込めると判
断した。利水面でも必要性があるとした。
これに対し、今本名誉教授は「治水面では科学的な裏付けがないまま、
ダムを造ることを前提に目標流量を設定している。八ッ場の洪水調節効
果量は少なく、全く役に立たない。利水面も流域自治体の意見を追認し
ただけで、現状とかけ離れた過大な水需要予測になっている。河川行政
に批判的な専門家も入れた第三者機関を設置し、公開の場で検証してほ
しい」と話す。」
このように八ッ場ダムの問題は学問的な領域を含めた議論となってい
るのに「近年の日本の経済が縮み加減であることを見ても電気の必要量
は減りつつあるし、何百年に一度の干ばつや出水のための考慮をするこ
とはない、という論理であった」と曽野氏は幼稚で勝手な論法で説得し
たつもりだったろうが見るも無残だ。曽野綾子氏よ!「老いの才覚」程度
のごくごく狭い範囲に限定して論評するようにしなさい。政治のことに
ついてまともに論評できないのだから、恥の上塗りなんてものじゃなく
もう見るに堪えない。きっとまじめな方なのでしょうけど、ここまでく
ると可哀想で涙が出てくる。ところが曽野綾子氏はあくまで強気だから
残念ながら手厳しく臨む以外にないのだ。
次の【第3章「想定外」との対峙】こ・れ・だ・よこのタイトルだと曽野
綾子氏は「想定外」と言い訳する勢力といかにも闘ってきたかのように聞
こえるが、とんでもない!曽野綾子氏こそ「想定外」と言い訳する東京
電力を擁護してきた張本人ではないか。なにを馬鹿げたことを・・。
それなのに【1】震災当日~過信されてきた人間の力。などとよく言える。
「過信されてきた」ではなく「過信してきた」だろう?「過信」してきたのは
曾野綾子氏が擁護してきた東電の武藤副社長を始めとした東電と経産
省、御用学者で造ってきた「原子力ムラ」ではないか。このことはとっくに
解明され国内外の公的機関からも厳しい指摘を受けて白日の下に曝さ
れ周知の事実となっているというのに曾野綾子氏の浅知恵で言うこと
ではない。
まして【2】震災以後~緊急事態に備えるという国民の義務などと「薄っ
ぺらな世界観の持ち主」がなにを説教がましい。ここでも相変わらず
スイスの作文を持ち出しておられるのだろうか?すでに東日本大震災
で個人の力には限度があり、次の災害に向けて個々人が備えていても、
それぞれの経済的理由等もあってままならないことは明々白々だ。
政府や行政、そして東電等にこそ意見を具申すべきものを、そこに
は一切言及せず国民に物申すだけとは正に為政者の立場に立っ
ていることを曽野氏自らが証明している。まじめにこういうことを仰っ
る曽野氏の姿は滑稽の極みというほかない。
曾野綾子氏よ
為政者然とするのはお止めなさい。
滑稽なだけですから・・・
そして、その姿を
当方は甘受できません。
・・・・・・だそうです。
長くなるのでなるので、これ以降については次回に割愛します。
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曽野綾子氏の産経新聞のコラム「イエスマンの国」を読む
東日本大震災 曾野綾子氏と文芸春秋「日本はどこで間違えたか」
東日本大震災 曾野綾子氏と読売新聞「編集手帳」
東日本大震災 曾野綾子氏と読売新聞の「税と安心」
揺れる大地に立って曽野綾子氏東日本大震災個人的記録の欺瞞3
東日本大震災・曽野綾子のキーワードは曽野綾子キーワード
の中でも重要なキーワードの一つのようでした。WEB上での数値規制
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ワードの列から削除されたようですが、数値規制が効力?を発揮したせ
いか東日本大震災・曽野綾子のキーワードが復活したと夫は苦笑して
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その後、曽野綾子氏の著書「揺れる大地に立って」の売れ行きは如
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まず「私たちはいかに立ち直り、何をなすべきか?すべての日本人
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ーワードで検索しているうちに面白いタイトルの記事に出会ったから尚
の事、一人称が必要だ。
【「論談TV 曽野綾子先生、使い方間違っています」
投稿者: 投稿日時: 2009/09/25 21:43:32
9/25日付け産経新聞の1面に作家の曾野綾子の『小さな親切、大
きなお世話』というコラムが掲載されている。「日本という国がどれほど
ありがたい自然の状況にあるかということを、多くの日本人は、ほとん
ど考えたことがないのかもしれない」という書き出しで始まる文章は、
サウジやクウェートは降雨がきわめて少ないと続き、こう書かれている。
「日本のように自然の恩恵を甘受していることはできない」】
この甘受を巡る曽野綾子ファンと思しき人たちの擁護論のあまりの的
外れに、業を煮やした投稿者が曽野綾子氏のコラムの全文を紹介して
いたので読んでみたが投稿者の主張通り文脈からして曽野綾子氏の
明らかな誤用だ。投稿者の主張は理路整然としていて実に明快。「甘
受」の語源にまで遡って曽野綾子氏の言葉の用い方は間違いではな
いとする曽野綾子擁護論者たちは産経新聞が文壇専門紙や学術紙
ではなく「大衆紙」であることを念頭に置いて議論すべきだ。従って一般
的な解釈をするのが通常で「享受する」等の語彙を用いるのが当然。
また論旨の方に重きを置くべきで「誤用」云々は枝葉末節だとする意
見もあったが、忘れてはならないのは曽野綾子氏は歴とした職業作家
で「文化功労者」だということだ。「職業作家」でなくても大衆紙に公表
する前に自らの作品を推敲するのは当然のこと。いわんや「文化功労
者」だ。そんなに軽い訳がない、極めて重い。曽野綾子氏の軽率さは
「日本の文化功労者はこの程度だ」と日本の恥を世界に晒し、ひ
いては日本の威信を失墜させていることを曽野綾子擁護論者たち
は思い知るべきだ。要するに曽野綾子氏は二年前と全く変化も進
歩もない。つまり立ち直るべきは曽野綾子氏ご自身で、だから自問
自答の形を取り「私は、なにをなすべきか?」となる。それは即ち筆
を折るべきだと言う以外にない。
さて、目次へ行こう。
第1章 この世の「原型」に見出す光。このフレーズは曽野氏の文章の
中で初めて目にするタイトルだが、ふと、2chの曾野綾子文学板のあるレ
スを思い出した。
○この人は、たぶんDV家庭育ちだからだろうけど、人の気を引くよ
うなテーマの小説を書いたり、人の気を引くような事を言うのはうま
いんだよ。奥になにかがありそうに思わせるのがすごくうまい。実際
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そらせるタイトルではある。しかし、後でガッカリするといけないから、
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第2章 過酷な運命との遭遇【1】震災以前~大東亜戦争の体験
この章については前のブログで言及したので除きます。
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無節操さは、もはや拝金主義に堕したと言うほかない。まして八ツ場ダム
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は東日本大震災以来の曽野綾子氏への批判を交わそうというね
らいが極めて露骨に表れている唾棄すべきタイトルだ。従って、この
浅慮のくだりについては先の当ブログ「曽野綾子氏の責任と良心を問う」
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「第二点の「記述内容に対する責任と良心」。ここで問題にしたいの
は八ツ場ダム建設中断に関する曽野綾子氏の見解と日本の建築物に
言及した下りだ。まず「私は前原元国交相の取った八ツ場ダム建設中断
の判断にも改めて怒りを覚えた。あの時、誰がどう言ったかは私の手元
には記録がないけれど、つまりあんなダムは差し当たって必要ない、とい
うことであった。近年の日本の経済が縮み加減であることを見ても電気
の必要量は減りつつあるし、何百年に一度の干ばつや出水のための考
慮をすることはない、という論理であった。」「文化功労者」が、こういう政
治的な事柄を論評すること自体が問題なのに、デリケートで且つ重大な
政治的事柄を 「手元には記録がない」と言いながら「という論理であった
」と平然と幼稚で勝手な論理を展開し、物事を断定するという浅慮
を曽野綾子氏自身が行なっているというのにだ・・・・。
先月、読売新聞に<八ッ場ダム>建設に「反対」する学者の声明文
が掲載された。
<八ッ場ダム>「建設が最良」に学者10人反論 声明文
「建設の是非を検証中の八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)につ
いて国土交通省関東地方整備局が「コスト面などからダム建設が最良」
との結果をまとめたことを受け、河川工学や防災地形学の学者10人が
近く、野田佳彦首相や前田武志国交相に検証の抜本的なやり直しを求
める声明文を提出する。検証結果について「科学性・客観性が欠如した
ものと言わざるを得ない」として、公開の場で公正な検証を行うことを
求める方針。声明を出すのは大熊孝・新潟大名誉教授(河川工学)、奥
西一夫・京都大名誉教授(防災地形学)、今本博健・京都大名誉教授
(河川工学)ら。
関東地整は利根川の治水対策にあたり、今後20~30年で達成可能
な毎秒1万7000立方メートルを河川整備計画相当の目標流量に設定。
ダム建設に加え四つの代替案を比較検証した結果、コスト面ではダム案
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断した。利水面でも必要性があるとした。
これに対し、今本名誉教授は「治水面では科学的な裏付けがないまま、
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このように八ッ場ダムの問題は学問的な領域を含めた議論となってい
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とはない、という論理であった」と曽野氏は幼稚で勝手な論法で説得し
たつもりだったろうが見るも無残だ。曽野綾子氏よ!「老いの才覚」程度
のごくごく狭い範囲に限定して論評するようにしなさい。政治のことに
ついてまともに論評できないのだから、恥の上塗りなんてものじゃなく
もう見るに堪えない。きっとまじめな方なのでしょうけど、ここまでく
ると可哀想で涙が出てくる。ところが曽野綾子氏はあくまで強気だから
残念ながら手厳しく臨む以外にないのだ。
次の【第3章「想定外」との対峙】こ・れ・だ・よこのタイトルだと曽野
綾子氏は「想定外」と言い訳する勢力といかにも闘ってきたかのように聞
こえるが、とんでもない!曽野綾子氏こそ「想定外」と言い訳する東京
電力を擁護してきた張本人ではないか。なにを馬鹿げたことを・・。
それなのに【1】震災当日~過信されてきた人間の力。などとよく言える。
「過信されてきた」ではなく「過信してきた」だろう?「過信」してきたのは
曾野綾子氏が擁護してきた東電の武藤副社長を始めとした東電と経産
省、御用学者で造ってきた「原子力ムラ」ではないか。このことはとっくに
解明され国内外の公的機関からも厳しい指摘を受けて白日の下に曝さ
れ周知の事実となっているというのに曾野綾子氏の浅知恵で言うこと
ではない。
まして【2】震災以後~緊急事態に備えるという国民の義務などと「薄っ
ぺらな世界観の持ち主」がなにを説教がましい。ここでも相変わらず
スイスの作文を持ち出しておられるのだろうか?すでに東日本大震災
で個人の力には限度があり、次の災害に向けて個々人が備えていても、
それぞれの経済的理由等もあってままならないことは明々白々だ。
政府や行政、そして東電等にこそ意見を具申すべきものを、そこに
は一切言及せず国民に物申すだけとは正に為政者の立場に立っ
ていることを曽野氏自らが証明している。まじめにこういうことを仰っ
る曽野氏の姿は滑稽の極みというほかない。
曾野綾子氏よ
為政者然とするのはお止めなさい。
滑稽なだけですから・・・
そして、その姿を
当方は甘受できません。
・・・・・・だそうです。
長くなるのでなるので、これ以降については次回に割愛します。
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