非才無才の雄叫び

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「太平洋戦争の大嘘」虚偽記載特集その3

2021-05-31 11:27:15 | 日記
第一章のつづきです。
「日本は・・・日清戦争、日露戦争に勝っていますから戦争によっ
合法的に獲得した権利や利権がいっぱいあります」日本がチャイ
ナの利権を独占しようとしている状況を、アメリカは許せないので
す。もちろん利権というのは、チャイナだけでなく満州も含んだ
話です。日米の間で、戦争に突入した直接の原因になったのが、チ
ャイナと満州なのです」


先のブログでは「満州」を取り上げたが、今回は赤字の太線部分
合法的に獲得した権益や利権がいっぱいあります」「日本がチャ
イナの利権を独占しようとしている状況
」を先ず取り上げます。

普段、読書をしない人にも理解してもらうよう平易な文章を心掛け
たのだろうが、歴史解説書を装う以上、「いっぱいあります」など
の幼稚な表現は馴染まない。「いっぱいある」つまり「たくさんあ
る」という副詞的な表現は主観の相違もあり数量を測ることはでき
ない。戦争に負けた国は被害を最小限に留めるよう必死になって戦
勝国との交渉に臨むので無原則な取決めなどあり得ない。従って国
家間の取り決め、特に領土に関して、曖昧な取り決めなど存在しな
いのだ。
先のブログで日米の歴史を簡単に列記して、二つの講和条約で日本
が獲得した権益を書いたのは、そのため。
そしてwiki
第一次世界大戦で連合国の勝利に大きく貢献したこれらの功
績により、大日本帝国は連合国五大国の一国としてパリ講和会議に
参加し、ヴェルサイユ条約によりドイツの山東省権益と、パラオや
マーシャル諸島などの赤道以北の南洋諸島を委任統治領として譲り
受けるとともに、国際連盟の常任理事国となった。なお、戦中すで
にドイツ帝国から海底ケーブルを鹵獲しており、後に対米外交の取
引に用いた。

従って、日本の中国大陸内の権益は租借権として山東省と日清戦争
で得た台湾とそのすぐ西の澎湖(ほうこ)諸島の割譲地くらいなもの
で、そう多くはないはず。後はこれらの租借地、割譲地のほかに、
列強が有していた「租界」つまり借りた地域の一部が上海、天津な
ど10箇所ほどあったといわれている。また「日清修好条規」によ
り、上海、天津、芝栄(山東省)に日本領事館を設置している。
従って「日本は・・・日清戦争、日露戦争に勝っていますから戦争
によって合法的に獲得した権利や利権がいっぱいあります
」という
記述は焦点をぼかすための恣意的な表現と言わざるをえない。
日本がチャイナの利権を独占しようとしている状況を、アメリカ
は許せないのです
」などと記載しているが、独占しようとしても
独占できる状況ではなかったことが分かる。

ただアメリカとの関係は、日本中枢の懸念がやがて的中することに
なる。以下を参照してほしい。
1914年11月7日に大日本帝国陸軍とイギリス軍の連合軍は、ドイ
ツ東洋艦隊の根拠地だった中華民国山東省の租借地である青島と膠
州湾の要塞を攻略した(青島の戦い1914年10月31日 - 11月7日)
オーストリア=ハンガリーの防護巡洋艦カイゼリン・エリザベート
(英語版)が青島からの退去を拒否したため、日本はドイツだけで
なくオーストリア=ハンガリーにも宣戦布告した。カイゼリン・エ
リザベートは青島を守備した後、1914年11月に自沈した。
ドイツ領南洋諸島を占領するかについては日本国内でも結論が定ま
っていなかった。参戦を主導した加藤高明外相も、南洋群島占領は
イギリス植民地政府とアメリカを刺激するとして消極的であった。

ところが、9月に入り巡洋艦ケーニヒスベルグによるアフリカ東岸
での英艦ペガサス撃沈、エムデンによる通商破壊などドイツ東洋艦
隊の活動が活発化したことで、イギリス植民地政府の対日世論は沈
静化した。アメリカにおいても、一時はハースト系のイエロー・ペ
ーパーを中心として目立った対日警戒論も落ち着いてきた。
このような情勢を受け南洋諸島の占領が決定された。10月3日から
14日にかけて、第一、第二南遣支隊に属する「鞍馬」「浅間」「筑
波」「薩摩」「矢矧」「香取」によって南洋諸島のうち赤道以北の
島々(マリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島)が占領され
た。これら島々の領有権は戦後に決定するという合意があり、日本
の国民感情的には期待があった。
このようにドイツ海軍による無制限潜水艦作戦を再開すると、イギ
リスをはじめとする連合国から日本に対して、護衛作戦に参加する
よう再三の要請が行われた。1917年1月から3月にかけて日本とイギ
リス、フランス、ロシア政府は、日本がヨーロッパ戦線に参戦する
ことを条件に、山東半島および赤道以北のドイツ領南洋諸島におけ
るドイツ権益を日本が引き継ぐことを承認する秘密条約を結んだ。
これを受けて大日本帝国海軍は、インド洋に第一特務艦隊を派遣
し、イギリスやフランスのアジアやオセアニアにおける植民地か
らヨーロッパへ向かう輸送船団の護衛を受け持った。1917年2月
に、巡洋艦「明石」および樺型駆逐艦計8隻からなる第二特務艦
隊をインド洋経由で地中海に派遣した。さらに桃型駆逐艦などを
増派し、地中海に派遣された日本海軍艦隊は合計18隻となった。
第二特務艦隊は、派遣した艦艇数こそ他の連合国諸国に比べて少
なかったものの、他の国に比べて高い稼働率を見せて、1917年後
半から開始したアレクサンドリアからマルセイユへ艦船により兵
員を輸送する「大輸送作戦」の護衛任務を成功させ、連合国軍の
兵員70万人を輸送するとともに、ドイツ海軍のUボートの攻撃を
受けた連合国の艦船から7000人以上を救出[159] した。
その結果、連合国側の西部戦線での劣勢を覆すことに大きく貢献
し、連合国側の輸送船が大きな被害を受けていたインド洋と地中
海で連合国側商船787隻、計350回の護衛と救助活動を行い、司令
官以下27人はイギリス国王ジョージ5世から勲章を受けた。 連合
国諸国から高い評価を受けた。一方、合計35回のUボートとの戦
闘が発生し、多くの犠牲者も出した

第一次世界大戦下の日本
これほど連合国側の勝利に貢献したのに、なぜアメリカは「排日
移民法」を成立させたか。
次回、藤井氏の記述と併せて解読したい。
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