非才無才の雄叫び

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yahoo知恵袋 ハルノートの質問に答える

2022-01-22 00:19:34 | 日記
ハル・ノート肯定派の諸兄の記述は、全くもってそのとおりです。
小生は僭越ながら肯定派諸兄の記述を補完するため、次の記述を
行います。
まず、関東軍作戦参謀として柳条湖事件を起し満州事変を起した
首謀者の一人で軍事思想家の石原莞爾でさえ「ハル・ノート」と
ほぼ同じ主張をしていたと言われている。また戦前、官僚や外交
官を歴任し、戦後、幣原内閣の後、内閣総理大臣に就任した吉田
茂は「ハルノート」を「最後通牒」ではなく「試案」に過ぎなか
ったと述懐している。
ハル・ノートの翻訳原文の冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ
「第一項 政策ニ関スル相互宣言案」とありハル四原則を中心
に箇条書きに記載されて、その第二項の冒頭には「・・・・措置
ヲ採ルコトヲ提案ス
とあるように、ハル・ノートは、あくまで提案書であり覚書であ
ったことは明白だ。
にも拘らず東條内閣は、なぜハル・ノートを最後通牒と言ったの
だろうか?おかしなことに当時の日本政府はハルノートより20日
以上前の1941年11月5日の御前会議で帝國国策遂行要領を定め
昭和十六年十一月五日御前会議決定
帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完了し大東亜の新秩序を
建設する為比の際対米英蘭戦争を決意し左記処置を採る
武力発動の時期を十二月初旬と定め陸海軍は作戦準備を完整す
対米交渉は別紙(甲案、乙案)に依り之を行う
独伊との提携強化を図る
武力発動の直前泰との間に軍事的緊密関係を樹立す
対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す

と対米戦を決意して、その後の政府・統帥部等の連絡会議でも、
11月25日までに米国からの返事がなければ開戦を実行すると
していたが、11月27日にハル・ノートが届いたため、11月29日
まで延長したとある。
しかし、11月25日には海軍機動部隊が択捉島の単冠湾に集結し
翌26日に、その機動部隊はハワイに向けて出動した。機動部隊
が出動した後に届いたハル・ノートを「最後通牒」と受け取っ
たのは、不自然だ。むしろ4月16日のハル四原則とその後の対
米交渉さらに6月21日の米国案、そして8月の米国の日本に対す
る石油の全面禁輸を最後通牒と受け取って対米戦を決意したの
ではないか。例えば10月30日、11月1日の連絡会議での嶋田海
軍大臣や永野軍令部総長の開戦決意は、それを裏づけている。
つまり東條ら当時の閣僚たちがハル・ノートを「最後通牒」と
解釈したのではなく、開戦するために意図的に「最後通牒」と
発表してマスコミを通して国民のコンセンサスを得、戦意高揚
を図るプロパガンダとして利用したのではなかったのか。そう
いう疑問が残る。

したがって4月16日のハル四原則は、日本にとって、とりわけ
日本軍上層部にとって、相当、厳しいものだったのだろう。

ハル・ノートに書かれたハル四原則と4月16日にハル国務長官
が野村大使と会談した際に手交したハル四原則には惹干のニュ
アンスの違いがあるような気がしてならない。
ハル・ノートは正式には「合衆国及日本国間協定ノ基礎概略」
とある如く二国間の協定の基礎案として「相互宣言案」と
前置きしており、平たく言えば、お互い、これを守りましょ
うよという程度のものだが、4月16日のものより柔軟さが伺え
る。この表現には日本に対米戦を思い留まらせようという意図
が透けて見える。
第一項「政策に関する相互宣言案」
一、一切ノ国家ノ領土保全及主権ノ不可侵原則
二、他ノ諸国ノ国内問題ニ対スル不関与ノ原則
三、通商上ノ機会及待遇ノ平等ヲ含ム平等原則
四、紛争ノ防止及平和的解決並ニ平和的方法及手続ニ依ル国
  際情勢改善ノ為メ国際協力及国際調停尊據ノ原則


4月16日、野村大使との会談に臨んだハル国務長官の態度は、
かなり厳しかったのではないか。
なぜか?
日本の外交電を傍受し暗号を解読していた米国は、日本の動き
をほぼ把握していたといわれている。
外交では和平工作を模索しながら、裏では軍部が南部仏印への
進軍の計画を進めるなど二面作戦を米国は見抜いていたのだ。
だから4月16日の野村大使との会談ではハル国務長官が提示
した四原則は日本に、特に日本の軍部にとっては受け入れがた
いものになった。
ハル四原則(ウィキペディア)
1.すべての国の領土と主権尊重
2.他国への内政不干渉
3.通商上の機会均等を含む平等の原則
4.平和的手段によって変更される場合を除き太平洋の現状維持
四原則の核心は軍事行動の否定であり[53]、日中戦争から北部
仏印進駐までの日本の軍事的政策の放棄を内包するものであっ
た[54](ただし、満州国については影響せず、将来の問題につ
いて適用される旨をハルは野村に説明している[53])

このようにハル四原則は民主的平和的な内容になっていて、今
日にも通じる内容になっている。にも拘わらず、特に日本軍は
これを排斥した。
 そもそも日中戦争は石原莞爾らが天皇の裁可を得ず謀略をも
って起こした柳条湖事件を契機に満州事変へと戦争を拡大させ
満州を占領したうえで満州国を建国したことに始まる。

その後に起こった盧溝橋事件も北京議定書に定められていない
豊台に関東軍が駐屯していたことが契機となっている。
このように軍の規律や統制を無視し、中国との条約をも無視す
る軍部の独断専行を、政府は、なぜ止めることができなかった
のか?本来ならば天皇の裁可を得ず実行したとなれば天皇の有
する統帥権の侵害で大罪は免れないところであったが、軍内部
で謝罪を上奏するなど日和見主義が横行していた。なぜ軍内
部に日和見主義が蔓延していたのか。昭和になって5.15事件、
2.26事件と正論を主張する首相や閣僚を次々と暗殺する事件が
発生し、その後も閣僚以外の者に対する暗殺事件は続いた。こ
れが軍内部に限らず政界にも及び、暗澹たる雰囲気を醸成し
ていったものと思われる。
明治維新で革命を成し遂げ、欧米の政治経済・文化を取り入れ
て世界の列強国になったはずの日本に、なぜ合理的な精神が根
付かなかったのだろうか。
推論を出ないので小生の拙い私見とお考えいただきたいのだが、
日ロ戦争以降、戦費の借款の返済に追われた明治政府は、国費
留学生を欧米列強に送り込む余裕がほとんどなくなっていたの
と、軍部内には、ロシアを破って列強に肩を並べたことから驕
りが生じ、留学を軽視する傾向があったのではないかと推測す
る。ちなみに日ロ戦争を指導した著名な軍人11人中、海外留学
の経験者は5人。指導者以外の前線の指揮官ら将官クラスも相
当数留学していたものと思われる。
 ところが昭和の軍人の中で若い頃に留学した者は山本五十六
が米国、石原莞爾がドイツ。探せないのかもしれないが、ほか
に見当たらない。
東條英機は駐在武官として海外に赴いてはいるが、留学の経験
はない。この欧米留学の経験こそが合理的精神の醸成に必要だ
ったのではないか。
これを怠ったため軍部の中で、武士道の精神が復活していった
のではないか。幕末、水戸烈公の屈辱をはらすため、水戸藩士が
脱藩して井伊大老を暗殺した桜田門外の変を起こしたように、
幕末の浪士の気風が軍部の中で蔓延し、5.15事件や2.26事件を
起こして、軍の規律や統制を失っていったために、暴走するこ
とになり日中戦争の泥沼に嵌ってしまったと考える。
日米交渉の最中、東條の発言は、まさに武士道的情念論に終始し
たといえる。
曰く「支那事変にて数万の生霊を失い、見す見すこれを去るは何
とも忍びず・・・・」10月14日の閣議前、東條は近衛首相と会談
し、駐兵問題について再考を求められたがこれを拒否し、閣議で
は持論を「興奮的態度で力説した」という

「撤兵問題は心臓だ。…米国の主張に其儘服したら支那事変の成
果を壊滅するものだ。満州国をも危くする。さらに朝鮮統治も危
くなる。帝国は聖戦目的に鑑み非併合、無賠償としてをる」
と日本
国の利益だけを考えて、謀略によって占領し、無断で中国の地
区を占拠したりしておきながら「聖戦目的に鑑み非併合、無賠
」など手前勝手な主張で、合理的な精神等微塵もなく勝手な論調
を展開して実に度し難い。しかも反省の欠片もない。
武士道というのは、ある意味やっかいなもので、例えば佐賀鍋
島藩の教則「葉隠れ」の究極の教義は「武士道とは死ぬことと
見つけたり」と死の覚悟を説いていて、本人が死んだ後の残さ
れた家族の悲嘆など顧みない。だから峻烈な戦いを発揮できる
という教えだ。しかしこれが一歩間違うと、武骨で傍若無人の
振舞いをする者が増え怒声を張り上げる集団になっていく。こ
ういう集団は得てして、冷静な議論が影を潜め、怒号が飛び交
って、少数意見は退けられ猪突猛進の者の意見が通ってしまう。
これが昭和の軍部だったのではないか。
だから国を誤った方向に導き、310万人からの戦死戦病死者
を出してしまった。痛恨の極みだ。

さて余談だが「知恵袋」では、米国は、ハル四原則を守ってはい
ないではないかという意見があるが、的外れだ。この時点の野
村大使とハル国務長官の会談のテーマは中国大陸の問題と日本
軍の南進の問題が主要な議題。もっともこの四原則を他地域に
演えきすれば米国は対スペイン戦争で獲得した中南米地域の租
借地を所有しており、日米交渉の最中、この問題を日本側から
追及されて、しどろもどろの返答しかできなかったといわれて
いる。
それと質問者の「・・・受け入れなかったのってバカすぎじゃ
ないですか?」の文言にのみ反応して「昔の人はバカだったと
切り捨て」と、前後の文脈から、怒り、悲しさ、虚しさを読み取
れないのは寂しい限りだ。


靖国派といわれる
愛国者たちよ
小生も愛国者の一人だ
国を愛するなら
もっと学問を積め
読解力を身につけよ
哲学を学べ








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