三鷹の不動産屋社長のブログ

創業平成7年。今年で23年目を迎えるミタカホームズ代表。三鷹青年会議所OB。超プラス思考男で南国大好き!

三鷹青年会議所新人企画例会

2007-10-30 04:45:23 | 三鷹青年会議所
28日に朝6時半からみんなでバスに乗って、三鷹青年会議所の今年入会した新人のメンバーの方々が企画してくれた新人企画例会がはじまった。

前日の台風の雨はうそのように天気は晴れ。朝会社へ6時に行って、ホワイトボードに行き先を本日終日外出と記入。メールチェックそしてファックスチェックをした後、お客様へ出す報告書と資料を作成、メール。
昨日風が強かったため店内へしまっていた物件図面類の棚を外に出して並べ、今日のお仕事はいったん終了。

急いで皆が待つバスのところへ・・・

今日は、第642回例会 新人企画例会 「聞け!英霊達の心の叫びを!」~受け止めろ!託された未来を~というタイトルの例会である。

ちなみに私は右でも左でもありませんが、漠然と歴史で学んだ知識だけは持っているつもりでした。

世の中にはいろいろな考えをもつ方がいると思うので、おこられるかもしれないが、私にとっては大変意義のあるありがたい例会となった。

土浦にある「陸上自衛隊土浦武器工場」昔の土浦飛行隊「予科練」があった場所に行き、海原会という戦争経験者のかたの講演を聴いた。

海原会名誉会長 前田 武さんは、甲種予科練生徒で、真珠湾攻撃にも艦上攻撃機に新型の魚雷を搭載して参加。ハワイを想定した訓練は鹿児島県桜島で行ったそうである。
この予科練は応募総数6000人で合格者が79人という当時の超難関。
同期生のうち、戦争で亡くなった方は8割とのこと。
一式陸攻爆撃機の腹の部分に「桜花」という特攻ロケットを積んで大戦末期には、沖縄で苦しんでいる同胞を攻めるアメリカの艦船に向かって特攻をかける「神雷部隊」に所属、実際に出撃して艦船を見つけ出せず、燃料が尽きるということで、鹿児島知覧の基地に帰り、そこで燃料を補充してもらって所属基地に帰ったそうである。まさに命拾い。

戦場で何度と無く死に直面しながら生きながらえた人たちの生きた体験談は、我々今の日本人が生きるというということ、日本という国のこと、いろいろと考えさせられた。バスで帰るときに我々の姿が見えなくなるまで、海軍式の敬礼をして送ってくれた海原会の方々、本当に有難うございました。

その後バスは一路、東京九段の靖国神社へ。
本殿へ正式参拝して就遊館の見学へ。
いろいろな見方はあるし、いろぴろな意見を言う人はいると思うけど、日本という国がどのようにして大東亜戦争へ突入して行ったかが実際の写真、手紙、装備などとともに展示してあった。

圧巻は、戦争で亡くなった方の写真。そしてその方々の遺書、両親や恋人、兄弟へ送った手紙の内容だった。

若干18歳という若さで、日本から遠く離れた南の島で命をちらしていった若者の声がそこにはあった。

戦争が終わったのは確か昭和20年8月15日のはず。でも亡くなった方には、戦争が終わったはずのその後の何年かの間に亡くなった方や法務死という処刑されて亡くなった方の写真が多くあったのには衝撃を受けた。

自分のかわいい子どもの行く末を案じ、日本という国の行く末を案じ、死んでいく覚悟をした人たち一人ひとりの想いが胸にささった。

東京裁判の判事パールさんの手紙もあった。タイ国元首相のスクリット・プラモードさんの「日本というお母さんがアジア諸国という自分達の子どもを生むために自分を傷つけながらがんばってくれたその犠牲の上に今のアジア諸国の独立がある」
という手紙には私もびっくりした。

我々現代に住むそして生きる「日本人」は、ちゃんとした歴史を学び、そして自分達の命を犠牲にしてその後の日本という国を、そしてその後の日本人のために戦ってくれた方々の思いをしっかりと理解し、生きていかなくてはならないと感じた。

何の目的も持たず、働きもせず、ましてや自殺する人たちが今の世の中多すぎる。
生きたくても生きることができなかった先人の尊い犠牲の上に今の我々の現代日本の社会がなりたっていることをしっかりとわかった上で、託された日本の未来に責任を持ち、一日一日を無駄にせず、一生懸命生きること。これが今の自分にできる精一杯だと思った。

体験にまさる勉強はないと思う。

大変疲れたが、大変今のこれからを生きる私にとってためになった例会だった。

新人企画例会を作ってくれた皆さん有難う!