「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

「邪馬台国は三重県にあった」を読んでの感想

2018-07-26 17:03:35 | 邪馬台国・卑弥呼


 旅行中、志摩市にいるときに、「邪馬台国は三重県にあった」直井裕著という本を知り読んでみました。
 邪馬台国は三重県にあった理由として以下の理由をあげておられる。青玉は蛍石であり三重県で取れる。真珠もとれる。丹(辰砂)や水銀も取れる。海辺の国でありサメ避けの入れ墨をしている。冬でも野菜が採れる。伊勢市の遺跡は弥生時代後期になって急に増えている。距離方角も上げておられるが、私にはよくわかりませんので割愛します。卑弥呼は伊勢神宮の近くにいたのではないか、としておられる。狗奴国の狗は犬であり、愛知県には犬を一緒に埋葬している墳墓が多く見つかることと、抜歯の仕方より、狗奴国は愛知県にあった、としておられる。邪馬台国三重県説はこの方以外に知らない。
 私は日女命(卑弥呼)がいるべきところにすべて稚日女命がいたので、これは神社の祭神の日女命が稚を付けられ稚日女命に改ざんされているということに気づいて、稚日女命を祀る神社の由緒を調べていくうちに神戸の生田神社と鳥羽の伊射波神社に行きついたので、詳しく調べているうちに、邪馬台国は志摩国にあったという結論になりました。
 第三章の「邪馬台国のロマンを探る」特に「古代の国にタイムスリップ」の部分は空想科学小説のようでもあり、「不思議なコーヒーショップのモカの味わい」にしても、芥川龍之介の「河童」をほうふつとさせるものであり、買って損したとは思わなかった。卑弥呼は徐福の子孫である、というくだりになると、誰も信じないだろうと思いながら、やはりそうかもしれないという思いもある。魏志倭人伝の鬼道とは道教である、としておられるがそれ以外は直観であろう。
 私の理由はいくつかあります。徐福も天照大神も蒜山高原(東海の三神山の一つの瀛州山の瀛州)にいたということと、徐福は始皇帝に言われていた「三神山に留まり王となれ」という言葉を守り三神山で王となった。王とは同じ高天原(蒜山高原)にいた天照大神と思われる。天照大神は男性であり徐福である。卑弥呼は第七代孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命であり、天照大神の子孫である。徐福は道教の方士である。卑弥呼も民衆を鬼道(道教)でまどわした。
 卑弥呼は120歳まで生きたとか、狗奴国の王と結婚していた、とかについては理由が示されておらず、なるほどとはならなかった。



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