1 ウィキペディアより
☆ 明治元年(1868年)
☆ 日清戦争(1894年)
☆ 日露戦争(1904年)
☆ 日韓併合(1910年)
☆ シベリア出兵(1918年)
連合国の1国であるロシアで「ロシア革命」が勃発すると、西部戦線で手一杯になっておりロシアへの出兵の余裕がないイギリスとフランスの依頼により、陸軍主力を派遣していない日本とアメリカに対してシベリア出兵が打診され、1918年にはアメリカと共同歩調を取ってシベリア出兵を実施した。なお、イギリスやフランス、イタリアなども出兵したが、その規模は日本に比べ小さいものであった。
☆ 第一次世界大戦後
連合国の勝利に大きく貢献したこれらの功績により、大日本帝国は連合国五大国の一国としてパリ講和会議(1919年)に参加し、ヴェルサイユ条約によりドイツの山東省権益と、パラオやマーシャル諸島などの赤道以北の南洋諸島を委任統治領として譲り受けるとともに、国際連盟の常任理事国となった。
しかし、他国が兵を戻す中でもシベリア出兵を継続したことで各国の猜疑を招き、国際的立場が厳しいものとなっていった。1920年の停戦命令に従わずにシベリヤに居続けたため、日本がロシアや中国においてアメリカの利権を侵すのではないかという疑いを持たれた。
☆ 満州国建国(1932年)
2 私見
第一次世界大戦後、日本は国際貢献を果たした国として国際連盟の常任理事国となった。何か今の政府トップの目指す戦後70年の日本のあり方と似ているような。
停戦後もシベリアに居続けたことから世界に疑われるようになったのであるが、今日、モルディブに海賊のために派兵されている自衛隊の幹部が、ほかの名目で居続けるようにしたほうが良いといったそうである。目的が終われば引き上げるべきである。侵略とみられる。