「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

第2代綏靖天皇の皇居は鳥取県北栄町曲の岡神社であった

2018-07-19 11:48:06 | 欠史八代

 第2代綏靖天皇の皇居・葛城高丘宮(古事記では葛城高岡宮)は奈良ではなく、鳥取県北栄町曲の岡神社であった。

1 奈良の葛城高丘宮跡

 奈良県御所市葛城古道にある第2代綏靖天皇の皇居・葛城高丘宮の石碑である。
 ここのテーマパークの名前は藤原氏が占領してから「葛城」と名付けられた。じつは「高岡」が本当であったが「高丘」に直している。 千の嘘のうちのほんの一つである。
 葛城古道に石碑があるだけである。

2 鳥取県北栄町曲の岡神社
 左の農道は近年になって作られたものである。それまでは家々の人に見られながら、この坂道を上がらなければ、岡神社に行くことはできなかった。
 この細い坂を上がっていく。
 左右の家が葛城高岡宮の守りをしていた。
 両サイドの家々に見られながら、まだ左にうねうねと上がっていく。
 こんなところに神社があるとは気づかないようなところである。
 神社の右下に先ほど通ってきた集落がみえる。
 岡神社とある。

3 私見
 第2代綏靖天皇の時代はまだ準王一族(出雲神族)と抗争していたときであり、神武天皇四兄弟のいた大谷集落や神武天皇の皇居があった大宮集落と同じく、外敵からの守りを厳重にする必要があった。


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