天の真名井の近くには、妻木晩田遺跡、上淀廃寺、稲吉角田遺跡、宗形神社がある。
稲吉角田遺跡は弥生時代中期(紀元前100年~紀元前50年)であり、天孫族は大陸に行くルートの中継地として淀江町を重視していた。私見では神武天皇四兄弟の時代である。神武天皇四兄弟は淀江町を通って九州に行った。妻木晩田遺跡が出来たのは紀元元年頃である。地元の歴史家は妻木晩田遺跡の住民は下に降りて淀江町を作った、という。上淀廃寺は奈良時代ではなく天武期である。
宗像三女神は連れてこられた徐福一行の少女たちだった。天照大神と素戔嗚との誓約は実際に子供を産んだのではなく、行方不明になっていた少年少女を探し出したということである。宗像三女神のように徐福一行の少女たちは米子周辺に漂着していた。のちに神武天皇の皇后となる比売多多良伊須気余理比売(日本書紀では媛蹈鞴五十鈴媛ー鳥取県伯耆町久古神社の祭神)も徐福一行の少女たちの子孫であると思われる。
三女神は米子市の胸形(古事記)にいた。詳しくは「宗像三女神の本家は米子の胸形神社であり九州の宗像大社ではない」を参照されたし。
天照大神と天忍穂耳や天穂日は血がつながっていない。連れてこられた徐福一行の少年たちと思われる。天忍穂耳や天穂日たち5人も鳥取県西部に到着していた。天忍穂耳の子は江府町や大山町で生まれている。天忍穂耳は後に関金町耳に居たので耳がつく。天穂日は素戔嗚と稲田姫を守るために鳥取県八頭郡に行っていた。
1 鳥取県淀江町の天の真名井
湧水量は1日2500トンに及ぶ。
きれいな清水である。
柵を作る前は左下の石段を下りて水を使っていた。天照大御神と素戔嗚命もここでうけいをした。
「この泉は、米子市淀江町高井谷泉川にあり、『天の真名井』と呼んでいます。『天の真名井』とは、『古事記』『日本書紀』において、高天原の『神聖な井戸』を意味し、神聖な水につけられる最高位の敬称です。高井谷の氏神である下津守神社の古棟札にも、『天乃真名井乃清久潔幾与 元水於降玉布(あめのまないのきよくいさぎよき もとつみずをくだしたまふ)』と古くから記されております。・・・この『天の真名井』泉川の下流の宇田川平野には、弥生時代の角田遺跡があり、すでに二千年もの昔から、人々の生活と耕作の水源として大切にされてきたことを物語っております。・・・」とある。
2 「天の真名井」の横にある「毘沙門堂」
「毘沙門天は七福神の一つで、財宝や福徳の神様として信仰されています。一月三日の早朝にお参りすると福徳が授かるといわれています。元々は高井谷村内の山腹、毘沙門平にありましたが大正十五年に現在地に移されました。毘沙門天のほか、薬師如来、弘法大師も祀られています」とある。
毘沙門天は仏教における素戔嗚の仮の姿であり、薬師如来は仏教における徐福(天照大神)の仮の姿、とされる。
3 サイノカミも祀られている。
サイノカミ(猿田彦と天鈿女)
「高井谷には、元治元年(1864年)作の神像と、小型の持ち回り用の神像があります。小型のものは良縁を願って、婚期の近づいた跡取りのいる家に持っていき、めでたく婚礼が終わると次の家に持ち運んでいくという風習があります」とある。
淀江町にはサイノカミ(猿田彦と天鈿女)が多く祀られている。
「高井谷には、元治元年(1864年)作の神像と、小型の持ち回り用の神像があります。小型のものは良縁を願って、婚期の近づいた跡取りのいる家に持っていき、めでたく婚礼が終わると次の家に持ち運んでいくという風習があります」とある。
淀江町にはサイノカミ(猿田彦と天鈿女)が多く祀られている。
4 うけいで生まれた八神を祀る伯耆国の神社
大原神社 倉吉市大原
松崎神社 東伯郡湯梨浜町松崎
日御碕神社 米子市陰田町(祭神 うけいの八神)
松河原神社 西伯郡大山町松河原(祭神 うけいの八神)
日御碕神社 西伯郡南部町三崎(祭神 うけいの八神)
野上荘神社 西伯郡伯耆町福吉(祭神 うけいの八神)
宮﨏神社 日野郡根雨町下榎(祭神 うけいの八神)
安原神社 日野郡根雨町安原(祭神 うけいの八神)
松崎神社 東伯郡湯梨浜町松崎
日御碕神社 米子市陰田町(祭神 うけいの八神)
松河原神社 西伯郡大山町松河原(祭神 うけいの八神)
日御碕神社 西伯郡南部町三崎(祭神 うけいの八神)
野上荘神社 西伯郡伯耆町福吉(祭神 うけいの八神)
宮﨏神社 日野郡根雨町下榎(祭神 うけいの八神)
安原神社 日野郡根雨町安原(祭神 うけいの八神)
5 私見
うけいで見つかった八神をまつる神社が鳥取県中西部に七神社あるが八神が七神社で見つかったのではなくそれぞれの神社で見つかった神は異なっていた。
松河原神社は近くに瓊々杵命(史実は饒速日命)が生まれた壹宮神社があるので天忍穂耳命が見つかったところであると解する。
南部町の日御碕神社は周りに天穂日命を祀る神社が多いため天穂日命が見つかったところであると解する。
陰田町の日御碕神社は三女神がいた胸形神社に近いため胸形三女神が見つかったところであると解する。
宮﨏神社と安原神社と野上荘神社は速玉男命と一緒に熊野から吉備に上陸して伯耆国の奥に到着していた速玉男命を祀る福岡神社が近くにあるため熊野久須毘命が見つかったところであると解する。
松崎神社は津(東郷池)の畔にあるので天津日子根命、活津日子根命が見つかったところであると解する。
6 鳥取県西部の天穂日命を祀る神社
北原神社 米子市福萬
御崎神社 米子市河岡
北野神社 米子市赤井手
御崎神社 米子市尾高
巨勢神社 米子市八幡
大川内神社 西伯郡南部町上中谷
松尾神社 西伯郡南部町田住
小町神社 西伯郡伯耆町小町
三部神社 西伯郡伯耆町三部
渡神社 日野郡根雨町本郷
岩崎神社 日野郡日南町湯河
奥萩神社 日野郡日南町上萩山
御崎神社 米子市河岡
北野神社 米子市赤井手
御崎神社 米子市尾高
巨勢神社 米子市八幡
大川内神社 西伯郡南部町上中谷
松尾神社 西伯郡南部町田住
小町神社 西伯郡伯耆町小町
三部神社 西伯郡伯耆町三部
渡神社 日野郡根雨町本郷
岩崎神社 日野郡日南町湯河
奥萩神社 日野郡日南町上萩山
天穂日命は鳥取県西部に到着していたが、素戔嗚と稲田姫の御殿を守るように命じられ鳥取県東部の八頭郡に行っていた。