1 天穂日を祀る神社(大正合併後の神社)
《鳥取県東部》
中村神社 岩美郡福部村大字中字宮ノ谷
賀茂神社 八頭郡賀茂村大字宮谷字寺坂
大江神社 八頭郡大伊村大字橋本字馬場
都波只知上神社 八頭郡散岐村大字佐貫字林ノ谷
都波奈彌神社 八頭郡散岐村大字和奈見字林ノ内
湯谷神社 八頭郡西郷村大字湯谷字大瀧
隼神社 八頭郡隼村大字見槻中字宮ノ本
日下部上神社 八頭郡安部村大字日下部字宮ノ谷
諏訪神社 八頭郡智頭町大字智頭字宮ノ前
天穂日命神社 気高郡大郷村大字大畑字森崎
《鳥取県中部》
五郷神社 三朝町牧560の1
大原神社 倉吉市大原619番
田内神社 倉吉市巌城1494番
松崎神社 湯梨浜町松崎566番
《鳥取県西部》
天萬神社 南部町天万1009番
多里神社 日南町新屋70
末尾神社 手間村大字田住字松尾
御崎神社 米子市尾高
北野神社 米子市赤井手
新印神社 米子市新印137番
古川神社 春日村大字古豊千字屋敷
豊田神社 米子市古豊千
東千太神社 米子市古豊千888番
御崎神社 米子市河岡630番
北原神社 米子市福万667番
巨勢神社 米子市八幡254番3
逢坂八幡神社 大山町松河原233番
小町神社 伯耆町小町455番
三部神社 伯耆町三部824番
上の荘神社 伯耆町福吉264番
安井神社 日野町津地423番
2 私見
(1)《鳥取県東部》
天穂日を祀る神社は八頭郡に8社ある。天穂日は国譲りの交渉に派遣されるまで鳥取県の八頭郡にいたと思われる。天穂日を祀る神社は素戔嗚・稲田姫・その両親を祀る神社を守る位置にある。天穂日は素戔嗚・稲田姫の御殿を守るために、八頭郡にいたものと思われる。その中で、賀茂神社(土師神社)と諏訪神社(向山神社)の2神社は本来の天穂日の任務とはかけ離れたところにあるため、天穂日を祀っていた準王一族(ヤマト王権から見れば河童と鬼)のいたところと推定される。大江神社、都波只知上神社、都波奈彌神、湯谷神社、隼神社、日下部上神社の6神社に天穂日はおり、素戔嗚と稲田姫の御殿を守っていた。天穂日はこの御殿で生まれた大国主を生まれたころから知っていた。
(2)《鳥取県中部》
大国主は鳥取県北栄町の大神山(茶臼山)の松樹庵を本拠地にして葦原中津国を造っていた。天孫族は葦原中津国を大国主に譲ってもらう交渉に天穂日を出向かせた。五郷神社、大原神社、田内神社の3神社は天穂日が国譲りの交渉に行くまでにいたところと思われる。 天忍穂耳や天穂日にとって荒神(荒ぶる神)とされる準王一族(出雲神族)が葦原中津国にいることは国譲りの障害であった。天忍穂耳と天穂日は準王一族の動向を探ることにした。天穂日は伊那佐山(北栄町国坂の茶臼山)の隣の三輪山(北栄町下神)にいた天忍穂耳に頼まれて、伊那佐之小浜での国譲りの交渉の時に、すでに葦原中津国に多くいた準王一族(出雲神族)の本拠地を大国主に聞いたと思われる。大国主は天穂日に準王一族の本拠地を教えた。
(3)《鳥取県西部》
天穂日は大国主の計らいで出雲神族の拠点である熊野大社の近くの能義平野(安来市)に移った。天萬神社以下の17社は伯耆国の西部であり、能義平野(安来市)に移るまでにいたところと思われる。その後、天穂日は大国主の計らいで、島根県東部の能義平野(安来市)を拠点とし、松江市南部(熊野大社)を拠点としていた準王(タケヒラドリ、クナト神)に出会った。天穂日は準王(長髄彦)の娘と結婚した。饒速日と長髄彦の妹を結婚させたのも天穂日と思われる。富氏の口伝によると「神武から数代の王は出雲神族の反乱を抑えるため出雲王家の娘を妻にした」とする。天穂日は後続部隊の手引きをした。出雲神族の子孫の富氏は天穂日を「ヤマト王権のスパイであった」とする。
大国主を生まれた時から可愛がってきた天穂日は準王を大己貴神(オオナムチ)と呼んだ。準王一族は出雲神族といいその王の名を代々長髄彦・大己貴神(オオナムチ)と呼んでいた。