「真実の古代史」 by サイの尾・猿田彦

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる。

第14代仁徳天皇と第15代応神天皇の皇居

2018-07-30 10:53:49 | 日本書紀10代から27代までの期間の倭国天皇
1 仁徳天皇は平群木菟宿禰であり、応神天皇は葛城長江襲津彦であった。
 13代成務天皇はおらず、13代は武内宿禰大臣(大王)であった(生年月日が同じであるとするため)。14代は仁徳天皇であり武内宿禰大臣(大王)の4男の平群木菟宿禰であった(生年月日が同じであるとするため)。仁徳天皇を16代にもってくるから、仁徳天皇に仕えたとする武内宿禰が220年も生きた(水鏡)という矛盾がおきるのである。4男の平群木菟宿禰(仁徳天皇)は父の13代天皇の次の14代天皇であった。
 仁徳天皇は鷦鷯=佐々木という説があり、美佐々伎命は大鷦鷯尊であり武内宿禰大臣(大王)の4男の平群木菟宿禰(仁徳天皇)であるとする。仁徳天皇は伯耆国では5社に祀られている。(昭和9年鳥取県神社誌による)
 落合神社 西伯郡法勝寺村大字落合 祭神 大鷦鷯命。藤森神社 日野郡黒坂村大字黒坂 祭神 大鷦命。吉原神社 日野郡日光村大字吉原 祭神 美佐々伎命。山口神社 日野郡日光村大字杼原 祭神 美佐々伎命。大瀧神社 日野郡日光村大字大瀧 祭神 美佐々伎命。
 皇居は難波(東郷池)高津宮である。湯梨浜町の松崎神社と思われる。高いところにあるし、陽光が水面に反射してキラキラと輝く情景が見える。

2 武内宿禰の4男が14代天皇なので15代天皇は武内宿禰の6男の葛城長江襲津彦と思われる。応神天皇の在位期間(354年~394年)に葛城長江襲津彦は朝鮮半島に渡っていた。百済(日本)は葛城長江襲津彦を捕らえ3年間人質にしていた(382年)ので葛城長江襲津彦のことはよく知っていた。百済(日本)は倭国を乗っ取ってから、応神天皇を八幡神社の祭神にした。15代応神天皇は6男の葛城長江襲津彦と思われる。誉田別は伯耆国の神社では八幡神社ではなく単独で祀られている神社が多い。390社中75社で祀られている。皇居は倉吉市穴窪(軽島之明宮)と湯梨浜町小鹿谷(難波大隅宮)にあったと思われる。
 応神天皇は葛城長江襲津彦であり、小鹿谷にも宮を置いていた。難波大隅宮は湯梨浜町小鹿谷と思われる。小鹿谷は宮を置いていたところであり、葛城は生まれたところである。
 13代武内宿禰大臣(大王)の皇居は葛城地域(蜘ヶ家山より西)にあったと思われる。私見では葛城山(蜘ヶ家山)の西麓の原集落と思われる。
 


最新の画像もっと見る