福島に行ってきました。
原発問題を考える上で、どうしても行っておきたかったので、
よい経験になりました。
原発のニュースは、今でも、全国的なものですが、
現地の新聞や放送局の報道は、原発一色という感じです。
今回訪れたのは、磐梯熱海。
なぜ、熱海?
駅名で戸惑います。
源頼朝による奥州藤原氏の征伐後、伊豆の出身である伊東祐長が領主となって
この土地を治めたことから、温泉が出るこの土地を、磐梯の地の「熱海」と名付けたとのこと。
旅館のおじさんが語っていました。
お湯もかなり良かった。
ただ、お客はなかなか原発前の水準には戻らないとのこと。
実感としては、5分の1程度。
その影響で、多くの旅館が事業をやめてしまっています。
これは、鬼怒川温泉の時にも書いたのですが、
温泉街は、黒川温泉のように、町全体として一つの価値を生み出すので、
廃墟が増えれば、温泉街の魅力が下がって行きます。
窓ガラスが割れて廃墟となったホテル、ずいぶん前に締めたであろう看板が色あせたスナック、
だれもこんな風景をみるために、温泉に行かないからです。
福島の旅館は、一時期、避難所や復興作業員の宿泊施設として利用されていましたが、
仮設住宅ができ、復興作業も一段落してしまったので、
需要がなくなっているとのこと。
今回、また汚染水の問題がレベル3になり、60キロ付近のこの辺りの温泉街は、
いくら放射能が許容範囲だとはいえ、懸念されてしまうはずです。
可哀そうなのは、磐梯熱海は、スポーツ施設を取りこんでいるので、
屋外での活動を予定したコンセプトになっており、
放射能汚染の問題が、ダイレクトに影響してくるという点。
また、磐梯熱海は、湯治場としても有名であるため、
健康のために放射能が心配な温泉街には行きにくい
という問題もあります。
いくら、健康には害がありませんと言っても、
今までの国の対応がまずいので信用してもらえず、
よく分からないなら、別のところに行った方がよい
という感じで、
熱海や伊東に変更されてしまう
というわけです。
せっかくの資源が、原発のせいで台無しです。
ちなみに、
温泉街
という町だけでなく、
食べ物にまで、この「漠然とした不安感」は波及していく
ので、
東北(福島)の価値が毀損する
わけです。
では、これを東京電力に損害賠償請求できるのか?
破産した旅館は、法人格を失っているので、法人としての請求はできないし、
債権者の代理人のような仕事をする管財人が、
東京電力に損害賠償請求権があるとして訴訟をして、配当に回す
ということも、現時点では考えにくいわけです。
経営者個人ができるのかというと、法律構成や立証活動でかなりのエネルギーが必要なので、
今まで通り、うやむやな感じになってしまう
虞が高いと思います。
(東電に書類を送るというニュースは報道されていますが、その後の和解については、
あまり、報道されていません。)
健康被害が30年後に出始めた場合、
おそらく、原爆症認定と同じように、救済法が制定される
ことになると思いますが、
認定基準でいろいろ問題が生じる
ことになると思います。
福島県は、原発事故によって、かなりの資産の価値が下がったはずです。
土地の価格も、農作物や水産資源、旅館等の観光資源も、
原発事故がなかったら得られたであろう利益
を考慮すると、
莫大な金額になる
はずです。
法的には、損害賠償責任が東電にある。
東電は確実に債務超過になっており、破産事由に該当する。
ただ、
東電の破綻ということになると、影響が大きい
ので、
先延ばしのように、現状維持を貫く
ことを決めた。
そのため、
来年度の予備費をつぎ込んで、汚染水を処理する
ことになっています。
東電を破綻させるかどうかは、
政治的な決定
ということになります。
政治家は、何のために存在するのか?
民主主義国家の場合、政治家は国会議員であり、選挙で選ばれた人です。
中国の場合、政治家は共産党の指導者ということになります。
日本の場合、
政治をするのは、官僚ではなく、国会議員である政治家。
官僚は、
政治家が決めた内容を遂行する実務を行う存在
であり、
自分で決める権限を有していない。
これが、憲法が予定する姿。
議院内閣制を取ると、
政治家の多数が、内閣を構成し、内閣が官僚をコントロールする
ので、
安倍首相は、国会議員(政治家)だか、官僚側の人間だか
分からなくなるかもしれません。
イメージとしては、
国会議員
が主流であり、
官僚をコントロールする役割を担っている
という感じです。
野党議員や内閣に参画していない与党議員は、
政治家の仕事だけを担っている
ということ。
民主党の時代に、
東電をどうすべきかについて、曖昧な感じにしてしまった
ので、東電処理について、
自民党は民主党のせい
にできるし、
民主党は、深く突っ込めない(自分たちがやったところに原因がある)
ので、
なぁなぁにならざるを得ない
わけです。
政治家は、
国民の幸せのために存在する。
国民の幸せのために、
国民の代表者
だから、
自分たちと身分の違う貴族が勝手に決めるのとは違い、
国民の幸せを害するような予算は組まないだろう。
国民の幸せを害するような法律は作らないだろう。
だから、国民の代表者である国会議員に、予算や法律の制定権を認めた。
これが、憲法の理念。
ところが、
国民が貴族(既得権益者)と平民に分かれ、貴族中心の政策ばかりするようになる。
平民は選挙に行かない。
実情は、制限選挙の時代とあまり変わらない。
政治家が国民の存在でなくなったのは、
国民が政治家が一番欲しがる票を提供しないため。
政治家の質を上げるには、
国民が政治家一人ひとりの資質をチェックし、
既得権益の有無ではなく、この人が全国民の代表にふさわしいか
という視点で票を投じる必要があるわけです。
民主主義の理想は、崇高ではあるものの、
実利で動く人をどうやってコントロールするか
について、非常に難しい。
これが、民主主義の限界。
民主主義は、多数派民主主義になった瞬間に、
卑劣な制度となる。
多数派が少数派を虐げ、食い物にするため。
憲法は、そうならないように、人権を定め、
少数派を救う最後の砦として司法権を制定した。
ところが、多数派民主主義が行き過ぎると、
憲法はじゃまな存在だ
と言い出し、
憲法をないがしろにする。
これが許されると、
もはや、民主主義は正当性を失い、卑劣な制度にすぎなくなり、回復の見込みはなくなる。
政治家は、国民の幸せのために存在し、
国民は多数派も少数派も含め、国民である以上、
少数派の権利は守られるシステムが維持されていなければならない。
そのようなシステムが存在して初めて、
民主主義は、多数派民主主義という卑劣な制度ではなく、みんなの幸せを実現するための制度として正当性を持つようになる。
そのシステムを守るのも、民主主義国家の政治家の役割です。
今は、多数派民主主義に突き進んでいるような危険な香りがしています。
原発の問題にしても、被害に遭っている人は、全国民から見れば、おそらく少数派。
こういう人々に配慮できるかどうかが、国家の成熟性を示すメルクマールとなると思います。
原発問題を考える上で、どうしても行っておきたかったので、
よい経験になりました。
原発のニュースは、今でも、全国的なものですが、
現地の新聞や放送局の報道は、原発一色という感じです。
今回訪れたのは、磐梯熱海。
なぜ、熱海?
駅名で戸惑います。
源頼朝による奥州藤原氏の征伐後、伊豆の出身である伊東祐長が領主となって
この土地を治めたことから、温泉が出るこの土地を、磐梯の地の「熱海」と名付けたとのこと。
旅館のおじさんが語っていました。
お湯もかなり良かった。
ただ、お客はなかなか原発前の水準には戻らないとのこと。
実感としては、5分の1程度。
その影響で、多くの旅館が事業をやめてしまっています。
これは、鬼怒川温泉の時にも書いたのですが、
温泉街は、黒川温泉のように、町全体として一つの価値を生み出すので、
廃墟が増えれば、温泉街の魅力が下がって行きます。
窓ガラスが割れて廃墟となったホテル、ずいぶん前に締めたであろう看板が色あせたスナック、
だれもこんな風景をみるために、温泉に行かないからです。
福島の旅館は、一時期、避難所や復興作業員の宿泊施設として利用されていましたが、
仮設住宅ができ、復興作業も一段落してしまったので、
需要がなくなっているとのこと。
今回、また汚染水の問題がレベル3になり、60キロ付近のこの辺りの温泉街は、
いくら放射能が許容範囲だとはいえ、懸念されてしまうはずです。
可哀そうなのは、磐梯熱海は、スポーツ施設を取りこんでいるので、
屋外での活動を予定したコンセプトになっており、
放射能汚染の問題が、ダイレクトに影響してくるという点。
また、磐梯熱海は、湯治場としても有名であるため、
健康のために放射能が心配な温泉街には行きにくい
という問題もあります。
いくら、健康には害がありませんと言っても、
今までの国の対応がまずいので信用してもらえず、
よく分からないなら、別のところに行った方がよい
という感じで、
熱海や伊東に変更されてしまう
というわけです。
せっかくの資源が、原発のせいで台無しです。
ちなみに、
温泉街
という町だけでなく、
食べ物にまで、この「漠然とした不安感」は波及していく
ので、
東北(福島)の価値が毀損する
わけです。
では、これを東京電力に損害賠償請求できるのか?
破産した旅館は、法人格を失っているので、法人としての請求はできないし、
債権者の代理人のような仕事をする管財人が、
東京電力に損害賠償請求権があるとして訴訟をして、配当に回す
ということも、現時点では考えにくいわけです。
経営者個人ができるのかというと、法律構成や立証活動でかなりのエネルギーが必要なので、
今まで通り、うやむやな感じになってしまう
虞が高いと思います。
(東電に書類を送るというニュースは報道されていますが、その後の和解については、
あまり、報道されていません。)
健康被害が30年後に出始めた場合、
おそらく、原爆症認定と同じように、救済法が制定される
ことになると思いますが、
認定基準でいろいろ問題が生じる
ことになると思います。
福島県は、原発事故によって、かなりの資産の価値が下がったはずです。
土地の価格も、農作物や水産資源、旅館等の観光資源も、
原発事故がなかったら得られたであろう利益
を考慮すると、
莫大な金額になる
はずです。
法的には、損害賠償責任が東電にある。
東電は確実に債務超過になっており、破産事由に該当する。
ただ、
東電の破綻ということになると、影響が大きい
ので、
先延ばしのように、現状維持を貫く
ことを決めた。
そのため、
来年度の予備費をつぎ込んで、汚染水を処理する
ことになっています。
東電を破綻させるかどうかは、
政治的な決定
ということになります。
政治家は、何のために存在するのか?
民主主義国家の場合、政治家は国会議員であり、選挙で選ばれた人です。
中国の場合、政治家は共産党の指導者ということになります。
日本の場合、
政治をするのは、官僚ではなく、国会議員である政治家。
官僚は、
政治家が決めた内容を遂行する実務を行う存在
であり、
自分で決める権限を有していない。
これが、憲法が予定する姿。
議院内閣制を取ると、
政治家の多数が、内閣を構成し、内閣が官僚をコントロールする
ので、
安倍首相は、国会議員(政治家)だか、官僚側の人間だか
分からなくなるかもしれません。
イメージとしては、
国会議員
が主流であり、
官僚をコントロールする役割を担っている
という感じです。
野党議員や内閣に参画していない与党議員は、
政治家の仕事だけを担っている
ということ。
民主党の時代に、
東電をどうすべきかについて、曖昧な感じにしてしまった
ので、東電処理について、
自民党は民主党のせい
にできるし、
民主党は、深く突っ込めない(自分たちがやったところに原因がある)
ので、
なぁなぁにならざるを得ない
わけです。
政治家は、
国民の幸せのために存在する。
国民の幸せのために、
国民の代表者
だから、
自分たちと身分の違う貴族が勝手に決めるのとは違い、
国民の幸せを害するような予算は組まないだろう。
国民の幸せを害するような法律は作らないだろう。
だから、国民の代表者である国会議員に、予算や法律の制定権を認めた。
これが、憲法の理念。
ところが、
国民が貴族(既得権益者)と平民に分かれ、貴族中心の政策ばかりするようになる。
平民は選挙に行かない。
実情は、制限選挙の時代とあまり変わらない。
政治家が国民の存在でなくなったのは、
国民が政治家が一番欲しがる票を提供しないため。
政治家の質を上げるには、
国民が政治家一人ひとりの資質をチェックし、
既得権益の有無ではなく、この人が全国民の代表にふさわしいか
という視点で票を投じる必要があるわけです。
民主主義の理想は、崇高ではあるものの、
実利で動く人をどうやってコントロールするか
について、非常に難しい。
これが、民主主義の限界。
民主主義は、多数派民主主義になった瞬間に、
卑劣な制度となる。
多数派が少数派を虐げ、食い物にするため。
憲法は、そうならないように、人権を定め、
少数派を救う最後の砦として司法権を制定した。
ところが、多数派民主主義が行き過ぎると、
憲法はじゃまな存在だ
と言い出し、
憲法をないがしろにする。
これが許されると、
もはや、民主主義は正当性を失い、卑劣な制度にすぎなくなり、回復の見込みはなくなる。
政治家は、国民の幸せのために存在し、
国民は多数派も少数派も含め、国民である以上、
少数派の権利は守られるシステムが維持されていなければならない。
そのようなシステムが存在して初めて、
民主主義は、多数派民主主義という卑劣な制度ではなく、みんなの幸せを実現するための制度として正当性を持つようになる。
そのシステムを守るのも、民主主義国家の政治家の役割です。
今は、多数派民主主義に突き進んでいるような危険な香りがしています。
原発の問題にしても、被害に遭っている人は、全国民から見れば、おそらく少数派。
こういう人々に配慮できるかどうかが、国家の成熟性を示すメルクマールとなると思います。