教育に関し、学力向上のモチベーションをあげるもう一つの方法が
緊張感
です。
これは、国家論を書いた理由ですが、
国家に頼っていたら大変なことになる
という緊張感です。
小さいうちに、努力しないと、国は何もしてくれないから、
貧困層へ落とされるという現実を早い段階から目にしておく。
社会の現実を知らない状態で、社会に放り出される方が
現実を目の当たりにするよりも不幸です。
少年院・刑務所の見学も中学校で行うべきだと思います。
裁判傍聴を課題学習で行う中学校がありますが、
犯罪について考えるよい勉強の機会だと思います。
そこで、
弁護士になりたい
裁判官になりたい
検察官になりたい
という夢を持つ契機にもなります。
お年寄りの施設の現場も見学したほうがよいと思います。
生きるということを考えさせられるからです。
ヘルパーになりたい
理想的な施設を経営したい
という夢を持つ契機になるかもしれません。
また、最期をどのように迎えたいかを早い段階から意識することで、
自分の人生を大切にしなければならない
という思いがわいてくるはずです。
同様に、病院で難病と闘っている人も目にしたほうがよい。
命を粗末にしようなどと思わなくなります。
さらに、映像を通してでも、飢餓で死んでいく人も目にしたほうがよい。
食べ物を粗末にしようと思わなくなります。
テロで自爆する少年兵も目にしたほうがよい。
同じ世代の子供の末路を見れば、国際的に、日本がいかに恵まれた国家であるかが分かるからです。
僕が寄付をするようになったのも、ある施設を見学に行ったことからです。
頑張って生きようと思ったのも、若くして亡くなった親戚の存在や
痴ほうの方が入居する施設を見学に行った経験からです。
ボランティア活動に励む人達は、
現場で悲惨な現状を目にした
ことがきっかけであったといいます。
身をもって学ぶということは、そういうことであると思います。
衝撃的すぎてよくないと、保護の観点から見せないことが、
かえって、子供のためになっていない。
それが、過保護教育の問題点だと思います。
政治家も官僚も、そういうところをきちんと目にして、
良心の存在を確認すれば、無駄な税金の使い方に対する抑止効果
になると思います。
過酷な社会が待ち受けているという現実をきちんと教え、
それと同時に、
努力次第で目標をつかむことができるという希望を与え、
国家としては、質の高い教育や図書館など努力できる場を整備する。
それにより、素晴らしい人材がたくさん排出されることにより、
国家自体が利益を生み出すようになる。
それにより、
何らかの事情により努力することすら難しい方に対しても
福祉の充実により平穏な暮らしを与えられる。
それが、国家の役割であり、
国民のためになっているという国家の正当性の唯一の原理
だと思います。
社会は、助けあいのために成り立っています。
リスクの分配です。
今元気な人でも、事故に遭って、働くことができなくなりかねない。
そんなときに、元気な人が手を差し伸べる。
それを行うのが、社会であり、国家であるのだと思います。
緊張感
です。
これは、国家論を書いた理由ですが、
国家に頼っていたら大変なことになる
という緊張感です。
小さいうちに、努力しないと、国は何もしてくれないから、
貧困層へ落とされるという現実を早い段階から目にしておく。
社会の現実を知らない状態で、社会に放り出される方が
現実を目の当たりにするよりも不幸です。
少年院・刑務所の見学も中学校で行うべきだと思います。
裁判傍聴を課題学習で行う中学校がありますが、
犯罪について考えるよい勉強の機会だと思います。
そこで、
弁護士になりたい
裁判官になりたい
検察官になりたい
という夢を持つ契機にもなります。
お年寄りの施設の現場も見学したほうがよいと思います。
生きるということを考えさせられるからです。
ヘルパーになりたい
理想的な施設を経営したい
という夢を持つ契機になるかもしれません。
また、最期をどのように迎えたいかを早い段階から意識することで、
自分の人生を大切にしなければならない
という思いがわいてくるはずです。
同様に、病院で難病と闘っている人も目にしたほうがよい。
命を粗末にしようなどと思わなくなります。
さらに、映像を通してでも、飢餓で死んでいく人も目にしたほうがよい。
食べ物を粗末にしようと思わなくなります。
テロで自爆する少年兵も目にしたほうがよい。
同じ世代の子供の末路を見れば、国際的に、日本がいかに恵まれた国家であるかが分かるからです。
僕が寄付をするようになったのも、ある施設を見学に行ったことからです。
頑張って生きようと思ったのも、若くして亡くなった親戚の存在や
痴ほうの方が入居する施設を見学に行った経験からです。
ボランティア活動に励む人達は、
現場で悲惨な現状を目にした
ことがきっかけであったといいます。
身をもって学ぶということは、そういうことであると思います。
衝撃的すぎてよくないと、保護の観点から見せないことが、
かえって、子供のためになっていない。
それが、過保護教育の問題点だと思います。
政治家も官僚も、そういうところをきちんと目にして、
良心の存在を確認すれば、無駄な税金の使い方に対する抑止効果
になると思います。
過酷な社会が待ち受けているという現実をきちんと教え、
それと同時に、
努力次第で目標をつかむことができるという希望を与え、
国家としては、質の高い教育や図書館など努力できる場を整備する。
それにより、素晴らしい人材がたくさん排出されることにより、
国家自体が利益を生み出すようになる。
それにより、
何らかの事情により努力することすら難しい方に対しても
福祉の充実により平穏な暮らしを与えられる。
それが、国家の役割であり、
国民のためになっているという国家の正当性の唯一の原理
だと思います。
社会は、助けあいのために成り立っています。
リスクの分配です。
今元気な人でも、事故に遭って、働くことができなくなりかねない。
そんなときに、元気な人が手を差し伸べる。
それを行うのが、社会であり、国家であるのだと思います。