世界史的にみると、今は興味深い時代だと思います。
人の移動が限られていると、
国家は安定する
ことになります。
東西冷戦期は、
ソビエトとアメリカ
という二大勢力が、
社会主義と自由主義
という思想を背景に、
国家を束ねていました。
自分の思想や経済圏に入れるために、
諜報活動(スパイ)
や
内政干渉(クーデターの支援)
などが頻繁になされていた時代です。
ただ、こういう時代は、
「国家」という軸でものを見ることがしやすい。
そのため、
各国史(日本で言うなら日本の歴史)が中心
となるわけです。
ところが、
東西冷戦が崩壊し、グローバル化が進み、
ITにより情報が世界中を駆け巡り、
物や人の移動も容易になる
と、
「国家」というものの機能が低下していく
ことになります。
たとえば、日本国の秩序を守る、道徳を守るということで、
過激なゲームや危険思想の書物の発刊を禁止したり、
無修正の映像を取り締まった
としても、
海外のサイトから簡単にダウンロードできてしまう
ので、
効果はない
わけです。
覚せい剤が絶対に入ってこないようにするために、
税関検査を何重にも厳重にし、何十時間もかかる
ようにしてしまえば、
観光客がこなくなり、ビジネスもしにくくなる
ので、
国益を損なう。
そのため、
ある程度の簡略化されたシステムにせざるをえない。
情報や人・モノ・カネの移動ができたほうが、
経済発展にかなう
というのが、
自由主義経済の特徴であり、
規制がしにくくなるので、
犯罪や不当に利益を上げようとする仕組みに対応できない
というマイナスの側面を持つということです。
金融の自由化が
サブプライムローンを生んだり、
マネーロンダリングをしやすくしている
という負の面を生んでいるというのが一例。
論理的には、
グローバル化が進むと、国家の価値や役割・権威が減っていく
というのが、自然なように思います。
しかし、
今、グローバル化と
国家を中心とする思想であるナショナリズムという要素が混在している。
これが、興味深いところ。
ナショナリズムが進めば、
日本が国際連盟を脱退したように、反グローバル化の流れになる
のが自然です。
第2次世界大戦は世界中でナショナリズムが進んだ結果です。
ブロック経済は、
自国の利益となるような経済体制を作っていこう
という思想であって、
門戸を開こうというグローバル化
とは別の流れ。
このグローバル化とナショナリズムという一見相いれない流れが、
混在するのが、現在で、中国という国家をみるとその興味深さが引き立ちます。
中国は、共産主義国家でありながらも、自由主義経済を取り入れ、
門戸を開き、世界中から資源を輸入し、製品を輸出することで、GDPで日本を抜きました。
この流れは、グローバル化の流れです。
ところが、
日本、フィリピン、ベトナムなどに対し、過激な主張を繰り返し、
領土、領海を奪おうとしている。
その根底には、
中華思想があり、漢民族を中心とした中華帝国の復活を掲げている。
これは、ナショナリズムの表れ。
まさに、二面性を有する。
これは、
お金が取引を前提とする
ので、
お金は自由主義・グローバル化
と親和性を有する。
政権安定・国家統制は、ナショナリズムと親和性を有する。
しかし、政権安定・国家統制のためには、
お金がいる。
そのため、
お金を稼ぐために、自由主義・グローバル化を取り入れざるを得ない。
しかし、
取り入れすぎると、政権の安定や国家統制に影響が出る。
このジレンマをどううまく解決し、バランスを取っていくのか?
世界中の国々が、このバランスの中でもがいているように思えます。
日本もそうで、
お金を稼ぐためには、関税を下げ、取引を活発化していく
必要がある。
法規制も取引がしやすいようにしたい。
しかし、取り入れすぎると、
日本固有の文化が揺らぎ、日本固有の農業などが崩壊する(と考える人が多い)。
そのため、
悩んでいるわけです。
少子高齢化で若者が減り、物が売れない。
労働力を確保するためには、在留資格を緩和し、人の出入りを活発化していく
必要がある。
しかし、人が入ってくると、
日本固有の文化が揺らぎ、犯罪が激増する(と考える人が多い)。
そのため、
悩んでいるわけです。
そして、
最終的には、国家とはなにか?
というところにまで追い込まれる。
これが、ウクライナ。
ウクライナは、
民族を中心に国家をとらえると、ロシア系は独立したい
と考える。
経済を中心に考えると、
ロシアと経済が深く関係している東部は、独立したい
と考える。
グローバル化が、人モノカネの動きを活発にするため、
国家の堤防を低くし、国家を超えたつながりを増やしていく
ものであれば、
最終的には、国家というものがなくなり、
経済や民族といったつながり
によって、
社会経済圏が構成される
ことになりかねないわけです。
それを防ぐには、
ウクライナ人、ウクライナ文化、ウクライナ経済
というものを、
作り上げて、価値を高めていく
必要があります。
ただ、それこそが、
ナショナリズムの動き
と関連することになります。
今は、
実利を取ってグローバル化の流れを走るか
国家というものを見つめなおして、ナショナリズムに走るか
が揺れ動いている時期なのだと思います。
注意すべきは、
実利を取るとグローバル化のほうが望ましい
としても、
人は理論ではなく、感情により判断する。
ナショナリズムは、
国民感情に浸透しやすい
ので、
国民の感情を掻き立てることで、ナショナリズムに走りやすくなる
わけです。
戦争という究極的な犠牲を払うのも、
怒りに身を任せて、合理的な損得勘定で動いていない
からです。
知的な成長により、
自分や周りの人が幸せに生きられるようになるにはどうすればよいか
という損得勘定で物事を冷静に分析できれば、
戦争という選択肢は最適ではない
という判断に双方が行きつくはずです。
人の移動が限られていると、
国家は安定する
ことになります。
東西冷戦期は、
ソビエトとアメリカ
という二大勢力が、
社会主義と自由主義
という思想を背景に、
国家を束ねていました。
自分の思想や経済圏に入れるために、
諜報活動(スパイ)
や
内政干渉(クーデターの支援)
などが頻繁になされていた時代です。
ただ、こういう時代は、
「国家」という軸でものを見ることがしやすい。
そのため、
各国史(日本で言うなら日本の歴史)が中心
となるわけです。
ところが、
東西冷戦が崩壊し、グローバル化が進み、
ITにより情報が世界中を駆け巡り、
物や人の移動も容易になる
と、
「国家」というものの機能が低下していく
ことになります。
たとえば、日本国の秩序を守る、道徳を守るということで、
過激なゲームや危険思想の書物の発刊を禁止したり、
無修正の映像を取り締まった
としても、
海外のサイトから簡単にダウンロードできてしまう
ので、
効果はない
わけです。
覚せい剤が絶対に入ってこないようにするために、
税関検査を何重にも厳重にし、何十時間もかかる
ようにしてしまえば、
観光客がこなくなり、ビジネスもしにくくなる
ので、
国益を損なう。
そのため、
ある程度の簡略化されたシステムにせざるをえない。
情報や人・モノ・カネの移動ができたほうが、
経済発展にかなう
というのが、
自由主義経済の特徴であり、
規制がしにくくなるので、
犯罪や不当に利益を上げようとする仕組みに対応できない
というマイナスの側面を持つということです。
金融の自由化が
サブプライムローンを生んだり、
マネーロンダリングをしやすくしている
という負の面を生んでいるというのが一例。
論理的には、
グローバル化が進むと、国家の価値や役割・権威が減っていく
というのが、自然なように思います。
しかし、
今、グローバル化と
国家を中心とする思想であるナショナリズムという要素が混在している。
これが、興味深いところ。
ナショナリズムが進めば、
日本が国際連盟を脱退したように、反グローバル化の流れになる
のが自然です。
第2次世界大戦は世界中でナショナリズムが進んだ結果です。
ブロック経済は、
自国の利益となるような経済体制を作っていこう
という思想であって、
門戸を開こうというグローバル化
とは別の流れ。
このグローバル化とナショナリズムという一見相いれない流れが、
混在するのが、現在で、中国という国家をみるとその興味深さが引き立ちます。
中国は、共産主義国家でありながらも、自由主義経済を取り入れ、
門戸を開き、世界中から資源を輸入し、製品を輸出することで、GDPで日本を抜きました。
この流れは、グローバル化の流れです。
ところが、
日本、フィリピン、ベトナムなどに対し、過激な主張を繰り返し、
領土、領海を奪おうとしている。
その根底には、
中華思想があり、漢民族を中心とした中華帝国の復活を掲げている。
これは、ナショナリズムの表れ。
まさに、二面性を有する。
これは、
お金が取引を前提とする
ので、
お金は自由主義・グローバル化
と親和性を有する。
政権安定・国家統制は、ナショナリズムと親和性を有する。
しかし、政権安定・国家統制のためには、
お金がいる。
そのため、
お金を稼ぐために、自由主義・グローバル化を取り入れざるを得ない。
しかし、
取り入れすぎると、政権の安定や国家統制に影響が出る。
このジレンマをどううまく解決し、バランスを取っていくのか?
世界中の国々が、このバランスの中でもがいているように思えます。
日本もそうで、
お金を稼ぐためには、関税を下げ、取引を活発化していく
必要がある。
法規制も取引がしやすいようにしたい。
しかし、取り入れすぎると、
日本固有の文化が揺らぎ、日本固有の農業などが崩壊する(と考える人が多い)。
そのため、
悩んでいるわけです。
少子高齢化で若者が減り、物が売れない。
労働力を確保するためには、在留資格を緩和し、人の出入りを活発化していく
必要がある。
しかし、人が入ってくると、
日本固有の文化が揺らぎ、犯罪が激増する(と考える人が多い)。
そのため、
悩んでいるわけです。
そして、
最終的には、国家とはなにか?
というところにまで追い込まれる。
これが、ウクライナ。
ウクライナは、
民族を中心に国家をとらえると、ロシア系は独立したい
と考える。
経済を中心に考えると、
ロシアと経済が深く関係している東部は、独立したい
と考える。
グローバル化が、人モノカネの動きを活発にするため、
国家の堤防を低くし、国家を超えたつながりを増やしていく
ものであれば、
最終的には、国家というものがなくなり、
経済や民族といったつながり
によって、
社会経済圏が構成される
ことになりかねないわけです。
それを防ぐには、
ウクライナ人、ウクライナ文化、ウクライナ経済
というものを、
作り上げて、価値を高めていく
必要があります。
ただ、それこそが、
ナショナリズムの動き
と関連することになります。
今は、
実利を取ってグローバル化の流れを走るか
国家というものを見つめなおして、ナショナリズムに走るか
が揺れ動いている時期なのだと思います。
注意すべきは、
実利を取るとグローバル化のほうが望ましい
としても、
人は理論ではなく、感情により判断する。
ナショナリズムは、
国民感情に浸透しやすい
ので、
国民の感情を掻き立てることで、ナショナリズムに走りやすくなる
わけです。
戦争という究極的な犠牲を払うのも、
怒りに身を任せて、合理的な損得勘定で動いていない
からです。
知的な成長により、
自分や周りの人が幸せに生きられるようになるにはどうすればよいか
という損得勘定で物事を冷静に分析できれば、
戦争という選択肢は最適ではない
という判断に双方が行きつくはずです。