11月6日より11日間かけて、ネパールとインドの国境の尾根を歩き、世界3位のカンチェンジュンガを見てきました。
インドのデリーから西ベンガル州のバグドクラに飛び、そこから車でヒマラヤを望む有数の避暑地ダージリンに入りました。標高200mから2134mまで登る道の周りは茶畑が埋め尽くしていました。さすが紅茶の里だけはあると感心しました。
ダージリンは丘陵に出来た人口約11万の活気のある街でした。天気が良かったのでホテルのテラスからもカンチェンジュンガが望めました。
次の日石畳の悪路を4駆のジープで7時間のサンダクプ(3636m)まで登りました。
ここからはエベレスト、ローチェ、マカルーものぞめました。
次の日から5日間かけて、テント泊のトレッキングが始まりました。よりカンチェンジュンガに近づくためです。まさに尾根が国境になっておりそれに沿ってインド側に道があります。
所々にインド軍の駐屯している所があり、そのたびに許可書とパスポ-トを見せ、サインを求められました。
眺めは、すばらしくカラパタ-ル(エベレスト)、ダウラギリ、マナスルトレッキングにも劣らないものでした。
淺田記
インドのデリーから西ベンガル州のバグドクラに飛び、そこから車でヒマラヤを望む有数の避暑地ダージリンに入りました。標高200mから2134mまで登る道の周りは茶畑が埋め尽くしていました。さすが紅茶の里だけはあると感心しました。
ダージリンは丘陵に出来た人口約11万の活気のある街でした。天気が良かったのでホテルのテラスからもカンチェンジュンガが望めました。
次の日石畳の悪路を4駆のジープで7時間のサンダクプ(3636m)まで登りました。
ここからはエベレスト、ローチェ、マカルーものぞめました。
次の日から5日間かけて、テント泊のトレッキングが始まりました。よりカンチェンジュンガに近づくためです。まさに尾根が国境になっておりそれに沿ってインド側に道があります。
所々にインド軍の駐屯している所があり、そのたびに許可書とパスポ-トを見せ、サインを求められました。
眺めは、すばらしくカラパタ-ル(エベレスト)、ダウラギリ、マナスルトレッキングにも劣らないものでした。
淺田記