中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その4)人の道かそれとも、汚れても生き抜く

2018-03-14 16:50:14 | 小説

次郎(主人公)の上海滞在も、飛行機に例えればやや乱気流にさしかかった感が。
この世は全て相手有っての自分。
いくつもの問題や状況が絡み合って、進むも退くも容易ならぬ時もあります。
多分こんな時、人は最大限の力を振り絞り、答えを捜します。

しかし、時には何も良い答えなど用意されていない事も。



その 4)
(人の道それとも、汚れても生き抜く

次郎の足は無意識に賑やかな方へと目指していた。
それは歩き、雑踏にまぎれることにより、一種の敗北感を時をかけて癒すがごとき。
次郎の日本にいる間の、サラリーマン生活。
自己を押さえつけて半ば“去勢”された中性状態を強いられているサラリーマン生活ともいえる。
その日々の犠牲の代償もしくは“果実”としての次郎の今回の上海滞在がある。
少しは夢をもって、昨夜上海入りして、次の日の今日、早くも予定していた上海女性二人のうち一人には、どうやら望みが絶たれたようだ。
それが最悪なことに、次郎の相手としては理想的なこと。 頭の良さも,身のこなし、話しかたも。
彼女は、頻繁に日本に密入国してくるような中国人と違い、余りにも“持てるもの”をもっている。大學を出て、仕事で油ののったエリート、キャリア・ウーマン。
人は一生のうち、一時期、飛ぶ鳥を落とす時期があるが、彼女はまさにそこにいる。

一方、次郎には三井や三菱の肩書きの無い三流会社づとめ、彼女に見せびらかす地位や財産もない。
常識からいっても、不釣合いなのだ、かといっても、彼女を紹介してくれているイタコ商会の山下を恨むわけにもいかない。 “結局,オレが好き好んで自分で(上海まで)来たのだから”と、次郎。

ほどなくして、次郎は南京路を目前にして、中途ハンパだが時間がソコソコにある。
そこで次郎は“外国に来て短い滞在期間の時間をムダにする手はない…・・”と。
急にというか、自然の成り行きというか、二人目の女性に会って見たくなった、もちろん、彼女の都合がつけばの話しだが。 彼女には明日電話することになってはいたが。
次郎の心には、上海到着から今まで、何をしていたか、怪しまれるのではという恐れもあったが、今の次郎には、時間をムダにしたくない方が優先していた。

街角に公衆電話を目にし、電話する、“果たして、(彼女は)居るか?居ないか?……”と、次郎。 
彼女は、紹介者の山下によれば、デパートの店員、名前を劉(りゅう)さん。 正直言って、孫さんよりは、次郎は情報を持っていない。 若干の家族関係と彼女の写真2枚といったところ。
そして日本から一度だけ、次郎は今回の上海行きについて国際電話をしている。
話しによれば、離婚歴がある。 年は三十六,七、ただ写真の彼女は美人だ。 それも優しい美しさというより、“刺さるようなキレイさ”。 その点に関して、次郎は彼女に直接会って、写真の“ツーン”とした次郎の彼女に持つ印象は正しくないことに期待したかった。
つまり、実際の彼女は次郎の妥協の範囲内であってほしいと。
電話のトーンは数回呼びつづけ、程なくしてつながった。
彼女だ。
次郎の聞き覚えの有る声が、受話器を向こう側でとった。






“あっ、居たんだ”と、次郎。
“仕事から帰ったばかりです、上海に居るのですか? いつ上海に来たの?”
“きのう、夜中だけど………・、(いま)電話してもいないと思ったよ”
“(今日は)早番だから”
“明日は、休めるの?会えるかな?”
“別に、問題無いけど”
“ほんと!、ありがとう”しかし内心、次郎にとって、明日のことはどうでも良かった。
“ところで………・今から出て来て、(オレと)会えないよネ?”と次郎の本音をようやく言い出した。
“(いま)どこにいるの?”
“南京路だけど……”
“(好了) いいわ”
“そう、それじゃ今5時だから、6時ごろ新世界というデパート知っているかな、その一階のドアの内側で、イイかな?”そこで次郎は約束を取り付け電話を切った。
さっきまで落ち込んでいた次郎の気持ちは急展開した。
別の女性に会えることで、にわかに次郎の心は引き締まった。

新世界という百貨店は、高級店ではないが、上海でも人でごった返すことで有名な南京路の入り口とも、言うべきところに位置している。
かつて上海と言えば第一百貨店が長く有名だった。
しかし、ここ最近新興の百貨店が続々誕生している。 新世界はその第一百貨店の目の前に4,5年前に誕生している。
次郎にとって、この百貨店は目新しくなかったが、劉さんとの待ち合わせの場所には都合がよかった。
百貨店の建物の中央に上り下りのエスカレーターを配し、その部分が吹きぬけ形式になっている。
その外から左側に面した入り口付近の宝石売り場をウロウロしていると、劉さんは約束の時間から7,8分遅れてやってきた。 お互い、これが初対面なので、当事者に違いないという確信がありながも、恐る恐る相手の名前を呼び合った。
“松尾さんですか?”
“劉さんですよネ? はじめまして”
そして、次郎は思わず、劉さんの服装に目が行ったが、黒い皮のジャケット、そして中国女性の間でここ何年か流行している黒のスパッツ状のパンツ、そしてセミブーツ。
彼女は、上海キャリア女性の孫さんとは対照的に中国人の間でここ数年来流行している、オシャレの基準の中にいた。
しかし、背は日本女性に比べ高く、顔立ちは美人系、いわゆる見栄えの有る顔をしている。
頭は、今さっき美容室でセットしたらしくカールが力強く表現され、顔に掛かる繊細な髪のラインはプロの手による軌跡を残していた。
彼女の服装も、髪型も、次郎好みかどうか?はともかくとして、次郎にはそれらから、彼女の女としてのプライドが感じられた。

いきなり、食事というもの面白くないので、次郎はお互いを紹介する意味でも、デパートの店内を巡り始めた。新世界百貨店の内部は宝石部門のつづきに履物売り場となっているので、次郎には、やや時代遅れに見える劉さんのセミ・ブーツの代わりに、ややカラフルなヒールでもどうかと思い、彼女に似合いそうなものを捜した。
淡いピンクで、細いつり紐二本がクロスして足をサポートするタイプのヒールを指して、次郎は“これ、どう”と。
劉さんは、首を振り“いらないわ、靴はもっているから”
次郎はガッカリした反面、安易に男に“たからない”劉さんに好感を持った。2階3階へ上がり婦人服のコーナーへ行ったが、やはり彼女は、欲しがらなかった。

これ以上、ここに居てもということで、二人は食事へ行くことに。
イタコ商会の山下が来たことがあるという、新世界百貨店を西に約2,30メートルのビルの4階に日本料理の店があるという。 別に、次郎にとってワザワザ上海まで来て日本料理ということも無かったが、山下が勧めるものだから、後で彼との話しのネタにと。

そこは、店内にコテコテと赤い提灯をぶら下げ、店の中国人の女の娘にムリヤリ薄っぺらい日本の浴衣のようなモノを着せているだけの、主張の無い店であった。
次郎は“良く、山下が行って見ろといったもんだと思った”とすこし、山下のセンス
を疑った。
料理の味はともかくとして、しかし、食事の間、劉さんとの会話、仕草から彼女が少し見えてきた。
彼女は今まで、この上海を中心にのみ生きてきた人であること。
どうして山下はこうも対照的な二人を紹介してきたのか?
そして、次郎が、劉さんの女としての値踏みをすると、美人は美人だが、彼女は普通の人であるということ。
偶然にも、対照的な二人、年はそれほど離れていないのに。
孫さんはキャリア・ウーマン、一方、上海のデパートの店員。
二人の社会的地位の隔たりは大きい。

どうして、この世の中、人として生れ落ちても、持てる者と、持たざるものにわかれてしまうのか

しかし、又、中国の故事に、またこの世の中、“万事翁王が馬”という例えもある。
考えようによっては、仮に持てる孫さんと、持たざる劉さんのどちらが好位置につけているか人生のシメックリ(最後)を見なければ、わからないこともある
なぜなら、孫さんも中国の基準で優遇されているかもしれないが、それは世界基準ではない。 もし、彼女が中国最大手の海運会社のエリートというバック・グランドで、アメリカや日本企業に勤めれば、収入は更に増え、待遇も優遇されるだろう。

彼女の今の幸せが、彼女の更なる向上心に水を差している

次郎は、常日頃から思っている、人はこの地球上どこの国だろうが、自分が求めらているならば、どこでも行くべきと、自分の置かれている小さな世界から、ムリヤリ答えを探す必要が無いと。
先ほどの孫さんだって、求められているなら、次郎の嫁さんになるならないは別として、アメリカでも何処でも行けば良いのだ。
でも彼女は会社に必要とされている。
一方で幸せな人、充足感を得ている人は保守的となる

次郎はこう読んだ、先ほどの孫さんは動かない。
利口な人ほど、持てる者ほど、時には臆病だ
一方、劉さんは、自分が外国に適している、否か?など自分に問うこともせず、デパートの店員の職業を捨てても、日本に来るだろう。

次郎の目には、上海には“お金というモンスター(怪獣)”が暴れまって居るように見える
上海のあちこちでは、庶民には高値の高層マンションが立ちつづけている、旧い家屋は取り壊され、あたかも、貧乏人は早く出で行けと言わんがよう
特に冬の上海はドンより曇っている。
それにも増して、休むことなく、場所を変え、そこいら各所で再開発のための建物の倒壊、それらから発生する粉塵、このチリが上海の冬空の一つの形になっている。
次郎の目には、おびただしい再開発、その後に立ち並ぶ高層ビルや高層マンションが、あたかもゴジラか何かの怪獣のように、庶民を怖がらせていると見える。

持たざるものは、すがれるものなら何かにスガリタイはず。
仮に、日本人との国際結婚、それも一つの解決法かもしれない。

次郎は食事を終え店の下で、タクシーを拾おうと手を挙げ、劉さんには、
“一緒に(ホテルへ)来る?”と尋ねると、
彼女は無言で、うなずいた。
タクシーの後ろ座席に乗った二人は、無口であった。
次郎は、確信した、今日、この女を抱けると、彼女が抵抗しない筋書きが描ける。
汚い言い方をすれば、次郎には、彼女はメスとして、観念しているのが読めた。
そして、この沈黙は何処から来るのだろうか?
男女が初めて交わる際の緊張感と、もしかして、これが縁でお互いが戻れなくなるかもといった恐怖感から来るのだろうか?

タクシーは昨夜、次郎が飛行場から来た方向と逆の方から、ホテルの車寄せへすべりこんだ。 ロビーや受付には何人もホテル関係者がいる。 次郎は、朝と別の女性を連れて戻ってきたことに多少やましさもを憶えながらも、平静を装いエレベーターの入り口に急いだ。
人目から逃れ“ヤレヤレ”と次郎が安心し、部屋のトビラを開けた瞬間に、一番奥に有るテーブルに目が吸いつけられた。
“シマッタ”と次郎は思った。
なんと、今日午前中、この部屋で孫さんと二人で飲んだ茶器がそのままになっている。
もしも、劉さんの“感が働いたら”、誰か先客がこの部屋に来たことがバレテしまう。 次郎は、隠すように二つの茶器をバスルームに運び、すかさず洗った。
案の定、茶器には、口紅が残っていた。
次郎はすぐさま、それを洗う。
次郎はホットした。
短く、そして長い一瞬であった。

テーブルを挟み、朝、別の女性が座った席に劉さんが座り、改めて次郎は話しをする必要を感じた。 なぜなら、ヘタに仲がよくなった後では、聞けないこともお互いに有る。
次郎は、彼女に離婚歴が有ると聞いたが、原因? 子供は誰が扶養しているか? 紹介者のイタコ紹介の山下とはどういう関係か? などなど・・・。

一方、次郎も過去の話し、現在の仕事、日頃の生活振りを話した。
正直言って、男女関係は一方の意見だけで納得するのは、危険だが、今は彼女の言うと通りを一応、信じるほかない。
彼女いわく、旧の旦那は遊び好きだったと言う。
ひと通り、聞きたいことを話し終えると、もう、次郎には退屈だった。
次郎が小さな声で次の行動をうながすと、彼女は軽くうなずいた。

これを中国語では“ツゥオ愛”と言う。
ツゥオとは日本語の“~する”、つまり愛をするとなる。 どこの世界でも、この手の状態をストレートには表現しないものだ。

次郎にしてみれば、何だろう……二人の行為は、愛の結果でもなく、彼女にしてみれば一つの取引 (中国語では交易)であったかもしれない?
行為の間、彼女の表情は乾いていた、ただ彼女の二つの瞳は次郎の瞳を注視していた。
二人のそれに愛があるかないか? を求めるのはムリな話し。

行為が終わり、彼女は暫くうずくまっていたかと思うと、急に我を思い出したかのように、バスルームへ急いだ。
彼女の全身の裸体を見た時、なんと綺麗なシルエットだろうと次郎は感心した。
高い身長、くびれたウエスト、それでいて女性らしいふくよかなヒップの持ち主である。
しかし、次の瞬間、バスルームのシャワーは全開され、水音は部屋中に響きわたった
仕方ないとは言え、初対面の男にヤスヤス体を許した汚れとも嫌悪感とも全てを抹殺(洗い流)している。
それがホテルの一室の壁一枚隔てたバスルームで、シャワーは夏の突然の雷雨のように“吠えている”。

しかし、それで男と女の関係が終わるのか?と言うと、そうで無いのも現実。
世の中、綺麗な筋書きの台本通り話ばかりでは無い生きていくとは時には人にも言えない話が隠れている
日本の例をあげれば、女性社員が定年まで雇用を法律で守られていると信じ切ってはいけない、時には会社上層部の“隠れ二号”を保身のため女性自ら手段とする場合もある。

一人ベットの上で次郎は考えた。
初対面の女性をお互い余り理解もしていないうちに“抱く”、これは一種の暴力かも知れない
一方、その仕返しとして、彼女は次郎の痕跡をかき消すようにシャワーを浴びる。
その音は相手(次郎)を鋭利な物で刺すがようでもある。

次郎は人生半ばを過ぎて、時々、今までの次郎が“良し”としてきたことは、間違いだったかと思うことがある。
それは、今まで、“人が歩むべき道があって、人は生きる”であった。
これは、次郎の母親から、暗に学びとったものであり、そして長い間、本人も人にとって大事なものとして来たものである
それが、最近、“目先の善悪はともかくとして、とりあえず生き残ることも大切”に変わって来たことだ。

すると、初対面の彼女を抱くことは、暴力でもなくなり、シャワーを全開にして彼女が次郎の体液を洗い流そうとすることも、この世の中で肯定されることになる。

(つづく)