出口の見えない高齢化社会、あるNYの二人
2018/11/23記
(NYに住むある退職者との出会い)
1990年頃、私はNYのタイムズ・スクエア―近くのインターナショナル・センターという留学生を主にサポートする場所に英会話のの練習目的で頻繁に出入りしていました。
(現在、センターは移転しています → 80 Maiden Ln, NY)
(センターに興味のある方は → www.newintlcenter.org )
センターはそこで私にJOSE(ホセ)という男性・退職者、年齢は70前後を紹介してくれました。
私達は次第に仲良くなり、ついには彼のCond(住まい)に行くようになりました、玄関入口にはセキュリティ常駐のマアマアの住まい。 彼の生い立ちを聞いたり、お母さんは小さい頃、TB(Tuberculosis:結核)で亡くなり、後妻のお母さんで苦労した事を聞かされました。
私の親族も昔のことですが結核で、たくさん若くして亡くなっています。
憧れの大国アメリカでさえも例外なく世界中、結核は猛威を震っていたのですね。
大戦後、軍隊を退役NYにて酒の卸業を生業とし生涯独身そして事業を整理していた。
(彼の遺言書の話)
それからも、自分は英語(GMAT・SLAT)のスコアーが足りない、資金的にも問題を抱えているにも拘わらずNYでビジネス・スクールや法律系の大学院へ進みたい夢を時折、彼に語っていました。
そんな私達もかなり付き合いが進む中、彼の別荘に行くことになりました。
そこで庭の芝生を歩いていた時、彼は“今度、WILL(遺言状)を書きなおそうと思う。”と言いだしました。 アメリカですから彼が勝手に単に自分でしたためるのでは無く当然、弁護士の下での話です。
直感で私の進学希望と彼の遺言を書き直す話は、もしかすると繋がっている?と思いました。 推測するに経済的に私の学費を援助する見返りに、現在健康だがJOSEも将来、気の合う私に周りの世話を期待する?とか。
彼の遺言状の変更、その点ついて私が“どうして?或いはどんな風に変更するのか?”などは聞ける話ではありません。
ただ私は、ここまで進学の夢を彼に語っていたのは確かですが、私達は男女の関係ではあるまいし、“それを、オネダリしたり”、そんな素振りをした覚えはありません。
彼もそれ以上の話は出しませんでした、それにはとても勇気の要る話です、お金にからむ不確定の話を易々と口外する人は何処にも居ません。
彼に拘わらず、誰しも人間、DEATH-BED(デス・ベッド -死の淵)にいない限り、“俺の財産を(一部たりとも)譲る”など口外できないし、また話してはいけない話題です。
仮にでも、そこまで私を思ってくれたのは嬉しいけど、そうとなったら私は彼の車椅子(介護も含め)を一生押さなければならないと思いました。当時アラフォーだった私は彼からの経済的援助額の大小にかかわらず、仮にもJOSEの意には添えないと思いました、途中で投げ出すことの出来ない大変な話です。
(また別の女性英語ボランティアの場合) そして1年後には、センターの英語パートナーはロシェル(ROCHELLE)という女性に代わりました。 もちろん彼女もリタイアー組です、NYのハンター・カレッジ卒、その後、教師を長らくしていたそうです。
ROCHELLEは文系卒そして教師の経歴通り、私の学校での英語クラスのESSAY(文章)やプロジェクトで教授より”ダメ出し(やり直し)“を食らった所を的確に指導してくれました。
同じく日本人がペラペラ日本語を話しているからと言って、いざ日本で大学在学中の留学生の課題を全ての日本人がスラスラと添削出来るものではありません、それと同じです。
しかしROCHELLEは、それが可能な人でした。
月日と共に彼女と親しくなり始め、私達の会話の中に彼女のルーツでは人が亡くなっても、再興した魂が戻れるように火葬にしないと言っていました。 また、いつか一緒にメッカの“嘆きの壁へ巡礼に行こうとも言っていました。
そんな彼女が、私を教え子の留学生というよりも、少し親近感を持っているのも感じました。
私も仮に、仮にでもながら自分に問いかけました“もしも彼女が自分を異性の対象として考え初めていたら、どうする?”。
“かなり年上の彼女と万一、○○。 考えられるか?”
“ゲスな話、手に入れずらいグリーンカードはクリヤーするだろうけど”
その先の事は私達二人のあり様が、私の頭の中に“絵”として全然出て来ませんでした。無理という事でしょう。
仮にも年齢通りに時間が経つならば、JOSEと同じく私が彼女を介護という事になります。
勿論、彼女は分別があり理性的な人でしたから、私の心配は思い過ごしかもしれません。
暫くして、ある日、INTERNATIONALセンターでの英語レッスンを終わり私達は路上で立ち話の後、“GOOD-BY”のタイミングで彼女がKISSする姿勢で急接近した時、私は(無意識のうちに)体を引いてしまいました。私も彼女も一瞬“気まずさ”を感じたのを憶えています。
彼女にしたら“なぜ(私の挨拶のKISSを受け入れない)?”と同時に大きな淋しさを感じたでしょう。
“ごめんなさい”(私)・・・
アメリカでは特にNYCでは異文化と独身者の坩堝(ルツボ)、同じカップルでも異なるルーツを抱え、食べなれた食事も違い、そして宗教も。
つまり日本のように自分の家族に泣き付きたくても、泣きつく家族がそばに居ない。
必然的に、友人は疑似家族。
JOSEもROCHELLEも少なくとも私に疑似家族を求めていたことは確か。
しかし人の繋がりは時として流れに乗り、決して同じ場所に留まらない、助走を経て男女関係であれば何時しか熱く燃える。 そして極限をきわめれば次第に保守的・自己防衛的な側面が次第に醸成され、どちらかでもそれが負担と感じるようになれば、また人はそれぞれ別の道を歩まなければ。
おいそれとは恋愛というラッピングがされても弱者救済、広範囲の家族関係の受け入れは出来るものではない。
だから私は、時折テレビドラマで美化された他人の子の親になる物語の放映には否定的です。 そんなに生易しいものではありません、私は経験者です。
(来るところまで来た?:高齢化社会)
最近、姉(もちろん日本での話)から電話があり世間話の後、”実は、ひょっとした事で、大喧嘩になり10数年お互い連絡を取り合わなかった旧友(女性)から突然、電話がありビックリした“と。
話を聞くと、過去の件は申し訳ないと詫びた後、事細かに彼女は病歴を話し始め救急車にもタビタビお世話になっていること、やせ細り気力も体力も尽き、今後どのように生活したらよいか?また万一の時に頼む当てがないとの事までも。
つまり他人ではあるが姉に彼女が逝った後の始末を頼みたい。
他にすがる術(すべ)が無いと。
政府が推奨する、高齢者の家庭での見送り、こんなのは100点満点の理想とも思える。
仮に独身者であれば、その選択肢は使えず、例え家族がいても長期にわたり誰が精神的・体力的・経済的に仕事を続けながら持ちこたえられるでしょうか?
“墓じまい”というトピックすら小さく見え始め(当たり前に)、その前に“人の終末”は日本のみならず答えの出ないHEAVY BURDEN(重し)となり益々行く手を塞いでいるかのように見えます。