中年オヤジNY留学
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↑ NY、 INTERNATIONAL HOUSE
NYにて、流浪の“台湾女子ネネ”の話、・・・そして貴方に問う、結婚する派、しない派? 2016/6/26 RE-WRITE
(ネネとの出会い) NYでネネちゃんを知ったのは何時(いつ)だったろう?
それは自分が住んでいた寮(約500人の学生を中心とした大きな寮)では年一度秋に寮祭を催しているが、各国ごとの寮生がユニットになりそれぞれの準備をしていた頃でした。
自分が模擬店の屋台造作のため、材木を鋸で切っていると彼女が”あれこれ“と指図してきたのが最初でした。
その時から”ネネ“とは顔見知りになりました。
ここに居たと思ったら、今度はあすこで立ち話、何かクラブの女子マネージャーごとく、何かオカシナ行動の人と思ったら台湾の女性でした。
日本語が話せて、今はアメリカに居場所をとは、いかなる人物でしょう?
大きな寮でこんなイベント(寮祭)で狩り出されもしないと、こんなにたくさん日本人(約40人)が住んでいたのか?分かりませんでした。
万一、寮内の廊下やカフェで会っても日本人は初対面はとりあえず“知らんぷり”する傾向ですが、寮祭が縁ですね。
日本人は一般に、地下鉄で遭遇しても挨拶したり、”日本人の方ですか?“なんて話しかけません。 日本人を視界に捉えながらも、現地の友人を盾に”ツッパリ”続けます。
私は”日本人を卒業したNY子なんだ!“と言わんばかりに・・・
(彼女もマルチ移住経験者)
NYには親に連れられて先ず南米ブラジル、チリに移住その後アメリカ。 中国人では当時の政治情勢で先ず香港にそれからカナダ更にアメリカとか転々と。
ネネも台湾から日本の大学に留学し在日8年、ただ卒業したかどうか?
日本では”水商売のバイト“をしていたそうです、それは言わずもがなでしたが。
それにしても日本語が“へたくそ”で、本当に日本の大学へ行き、8年も居たか?の話です。 彼女のヘタな日本語を長時間、聞くと少し頭が痛くなります。
しかも眼鏡もかけ、日本語ヘタ、これら合わせて、彼女は今までどうやって生きてきたのか? 彼女が生き抜いてきた半生には、とりあえ理屈抜きに敬服です。
(ネネの男性遍歴)仲良くなると、ネネのほうから寮内での男性遍歴をチラチラ話すようになりました。 まずはアメリカ人のクレス、そういえば彼の部屋からキュービック型の冷蔵庫をもらう時、元カノ振りで仕切っていました。 また日本の大手証券会社で研修留学のSさんも、見た目も悪くなく、将来性のある会社の人がネネに手を出さなくてもと思いましたが。 彼女とでは、病気が心配です。
Sさんの話が出たので、私は“Sさん良いじゃない(交際相手として)”と言うと。
彼女曰く“ただ、背広着ているだけの違い・・・(社会的に見た目が良いだけ)”。
クールでバッサリ、水商売8年のお言葉。
(ネネの結婚)暫くネネと交友関係が続き、その後彼女は新しい彼が見つかったとかで寮を出で行きました。 ただその後も、あたかも実家に里帰りするかのように良く寮に立ち寄っています。
そして、その時、彼女は少しだけ自慢げに”グリーンカード“を見せました、今思えば、日本の外国人登録証と似たものです。
知りませんでした、ネネは“チャッカリ”新しい彼と結婚しているなんて。
これで彼女は新しい軒先を捜さなくて良さそうです。
でも、俗に言う”良くヤルワ”です。
(ネネのご主人と対面)それから、その年の9月にネネから電話で、今度の日曜日ビーチに行こうと誘いがありました。 多分、私も暇だったのでしょう。
朝、ペン・ステーション駅の前で待ち合わせ、彼女の新しいご主人が来ていました、一緒に行くのか?と思いきや送りに来ただけ。
この状況設定も理解しずらい、何か悪い雰囲気になるか、人の奥さんと出かけるなんて?
”一瞬、俺、帰るわ“と言わなくてはの状況です。
ネネも“全然、問題ない”。
“(私)ほんと?”
ご主人から自分に何かを問いただすような質問もありませんでした、例えば”お前は何者か?“なんて。
勿論、その後に俺の女に手を出すなと乱闘もありません。
かと言って、馬鹿丸出しの男かと言うと、そうではありません、若干小柄ながら “キリット”した顔、ハンサムでした、歳は30後半、アメリカ人。
こうした男性が、何故ネネちゃんと結婚? そして訳の分からない男(私の事)が人の女房と出かけるのを許す、彼の心のうち如何に(いかに)?
(アメリカは広い)目的地のビーチはとりわけ何もなく、海水浴シーズンも終わり“今は・・♪♪もう秋♪♪・・・”です。
ネネが何故ここに来たかったのかも分かりません。
コニーアイランドのようにボード・ウォークもありません。
NYジョーンズ・ビーチのもっと先ファイアービーチ? 地名忘れました。
シーズンも終わり、ビーチに人影がほとんどありません。
日本ではこんな無人の長い海岸線見たことが無い、何しろ長い、おまけに人も建物も視界に入らない。
打ち寄せる波は高く、浜は白浜で綺麗。
浜には、産卵か何かで力尽きたカブトガニが無数打ち上げられています、太古のおもむき。
ただカモメ達が強風にもかかわらず、餌がほしいのか私達と距離を保ち飛び続けている。
日本だと大自然といっても、殆ど人の手を加えた形跡がある。
しかも近くに人里の気配を感じる。
一方アメリカでは以前、旅行先の湖でボートを漕いで何気なく浮島に沿って曲がったら、視界から僚船も人影も一瞬に消え、原始の雰囲気で、パニックになったことが有ります。
日本では自然と言っても、人が“いじった箱庭”のようなところ遊ばさせられている感じかな?
一種の平和ボケならぬ、街中ボケ?・・・。
(どうしてネネと結婚)話をネネに戻しますが、少し不思議、結婚した彼が何故それを選択したのか?
いわば海千山千のネネと取り込め詐欺的な結婚に舵を切ったのか?
ネネのご主人の心境は計り知れませんが? 人には歳を重ねても、若い時とは違うけど、なかなか心の中に燃える、燻る情熱、思いを消し去るのが“下手くそな生き物”です。
もう子供を産めない(出産適齢期を過ぎた)、産まないカップルは急いで籍を入れる必要が無いと思いますが。 本来は、人は年を重ねると、自分に合う相手が分かるようになり、また若い時より選別が厳しくなるはず?なんですが?
しかし何年、何十年の結婚冬眠状態にある人がある事をキッカケにして、結婚という温存してきた”ジョーカー”を使おうと、安全地帯の塹壕(ざんごう)から飛び出し、狙い撃ちに会うこともあります。
他人には結末が見えても、人(本人)は引き返すのが苦手な生き物です。
中国の結婚登記所で女性は若く美しいのに、相手は日本人、椅子から立ち上がるのも“ヤット”の高齢というカップルの話を友人から聞いたことが有ります。
(彼女はお荷物か?それとも宝?)
アメリカには”どんな彼女“と聞かれたら”SHE IS AN ASSET(彼女は宝物)もしくはSHE IS A RELIABILITY(お荷物)”と答えることもあります。
人は頭の良い生き物ですが、ついついその年代の生き方をしてしまいます。
30代では事業や勤めも順調、その時の勢いで消費生活を行い、ローンも万一、離婚の際の慰謝料、養育費も男性の場合は苦し紛れに高めに設定してしまいます。
また50代以降に訪れる”お金の一時的洪水(遺産、退職金、積立金の満期)“から太っ腹になり、人を助けるのが人の道(真の人間のする道)みたいな迷路に入り込むこともあります。
若い時は予想だにしない、50代中頃から人生のネガティブな面が急に前面に出てきます。
例えば“たちこめていたバラ色の霧”が駆け足で白け始めると、そこに関ケ原に陣を張る徳川の最強軍団が出現、西軍総崩れにも似ています。 50代半ばから身内の不幸を皮切りに、夫婦どちらかの健康問題、退職を控え社内での処遇、健康、収入、精神面、親族関係の悪化、ぶつかり合いなど急激なダウン・サイジングが起こり始めます。
そんな男の人達へ、“あなたは普段、自分自身は節約して、たまには贅沢をしたことがありますか?” 人(周りの人間)の幸せを第一に考えるのも大事、しかし自己中心的とは別に貴方自身がまず幸せになることは大事。
少なくとも、中年以降の結婚で”泥船に乗ってしまった“ことにならないように祈ります。
今でも、あのNYペン・ステーションで会ったネネのご主人の私を見た眼差しを忘れません。 睨み(にらみ)つけるでもない、かと言って私をチャンと観察している。 彼の眼には、船出してしまったが、この先、自分に何が起こるのか?と言った不安が・・・よぎっているように見えました。
また、続きを書きます。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/95/4758957ca1cb40144e788de7378b51b4.jpg
↑ NY、 INTERNATIONAL HOUSE
NYにて、流浪の“台湾女子ネネ”の話、・・・そして貴方に問う、結婚する派、しない派? 2016/6/26 RE-WRITE
(ネネとの出会い) NYでネネちゃんを知ったのは何時(いつ)だったろう?
それは自分が住んでいた寮(約500人の学生を中心とした大きな寮)では年一度秋に寮祭を催しているが、各国ごとの寮生がユニットになりそれぞれの準備をしていた頃でした。
自分が模擬店の屋台造作のため、材木を鋸で切っていると彼女が”あれこれ“と指図してきたのが最初でした。
その時から”ネネ“とは顔見知りになりました。
ここに居たと思ったら、今度はあすこで立ち話、何かクラブの女子マネージャーごとく、何かオカシナ行動の人と思ったら台湾の女性でした。
日本語が話せて、今はアメリカに居場所をとは、いかなる人物でしょう?
大きな寮でこんなイベント(寮祭)で狩り出されもしないと、こんなにたくさん日本人(約40人)が住んでいたのか?分かりませんでした。
万一、寮内の廊下やカフェで会っても日本人は初対面はとりあえず“知らんぷり”する傾向ですが、寮祭が縁ですね。
日本人は一般に、地下鉄で遭遇しても挨拶したり、”日本人の方ですか?“なんて話しかけません。 日本人を視界に捉えながらも、現地の友人を盾に”ツッパリ”続けます。
私は”日本人を卒業したNY子なんだ!“と言わんばかりに・・・
(彼女もマルチ移住経験者)
NYには親に連れられて先ず南米ブラジル、チリに移住その後アメリカ。 中国人では当時の政治情勢で先ず香港にそれからカナダ更にアメリカとか転々と。
ネネも台湾から日本の大学に留学し在日8年、ただ卒業したかどうか?
日本では”水商売のバイト“をしていたそうです、それは言わずもがなでしたが。
それにしても日本語が“へたくそ”で、本当に日本の大学へ行き、8年も居たか?の話です。 彼女のヘタな日本語を長時間、聞くと少し頭が痛くなります。
しかも眼鏡もかけ、日本語ヘタ、これら合わせて、彼女は今までどうやって生きてきたのか? 彼女が生き抜いてきた半生には、とりあえ理屈抜きに敬服です。
(ネネの男性遍歴)仲良くなると、ネネのほうから寮内での男性遍歴をチラチラ話すようになりました。 まずはアメリカ人のクレス、そういえば彼の部屋からキュービック型の冷蔵庫をもらう時、元カノ振りで仕切っていました。 また日本の大手証券会社で研修留学のSさんも、見た目も悪くなく、将来性のある会社の人がネネに手を出さなくてもと思いましたが。 彼女とでは、病気が心配です。
Sさんの話が出たので、私は“Sさん良いじゃない(交際相手として)”と言うと。
彼女曰く“ただ、背広着ているだけの違い・・・(社会的に見た目が良いだけ)”。
クールでバッサリ、水商売8年のお言葉。
(ネネの結婚)暫くネネと交友関係が続き、その後彼女は新しい彼が見つかったとかで寮を出で行きました。 ただその後も、あたかも実家に里帰りするかのように良く寮に立ち寄っています。
そして、その時、彼女は少しだけ自慢げに”グリーンカード“を見せました、今思えば、日本の外国人登録証と似たものです。
知りませんでした、ネネは“チャッカリ”新しい彼と結婚しているなんて。
これで彼女は新しい軒先を捜さなくて良さそうです。
でも、俗に言う”良くヤルワ”です。
(ネネのご主人と対面)それから、その年の9月にネネから電話で、今度の日曜日ビーチに行こうと誘いがありました。 多分、私も暇だったのでしょう。
朝、ペン・ステーション駅の前で待ち合わせ、彼女の新しいご主人が来ていました、一緒に行くのか?と思いきや送りに来ただけ。
この状況設定も理解しずらい、何か悪い雰囲気になるか、人の奥さんと出かけるなんて?
”一瞬、俺、帰るわ“と言わなくてはの状況です。
ネネも“全然、問題ない”。
“(私)ほんと?”
ご主人から自分に何かを問いただすような質問もありませんでした、例えば”お前は何者か?“なんて。
勿論、その後に俺の女に手を出すなと乱闘もありません。
かと言って、馬鹿丸出しの男かと言うと、そうではありません、若干小柄ながら “キリット”した顔、ハンサムでした、歳は30後半、アメリカ人。
こうした男性が、何故ネネちゃんと結婚? そして訳の分からない男(私の事)が人の女房と出かけるのを許す、彼の心のうち如何に(いかに)?
(アメリカは広い)目的地のビーチはとりわけ何もなく、海水浴シーズンも終わり“今は・・♪♪もう秋♪♪・・・”です。
ネネが何故ここに来たかったのかも分かりません。
コニーアイランドのようにボード・ウォークもありません。
NYジョーンズ・ビーチのもっと先ファイアービーチ? 地名忘れました。
シーズンも終わり、ビーチに人影がほとんどありません。
日本ではこんな無人の長い海岸線見たことが無い、何しろ長い、おまけに人も建物も視界に入らない。
打ち寄せる波は高く、浜は白浜で綺麗。
浜には、産卵か何かで力尽きたカブトガニが無数打ち上げられています、太古のおもむき。
ただカモメ達が強風にもかかわらず、餌がほしいのか私達と距離を保ち飛び続けている。
日本だと大自然といっても、殆ど人の手を加えた形跡がある。
しかも近くに人里の気配を感じる。
一方アメリカでは以前、旅行先の湖でボートを漕いで何気なく浮島に沿って曲がったら、視界から僚船も人影も一瞬に消え、原始の雰囲気で、パニックになったことが有ります。
日本では自然と言っても、人が“いじった箱庭”のようなところ遊ばさせられている感じかな?
一種の平和ボケならぬ、街中ボケ?・・・。
(どうしてネネと結婚)話をネネに戻しますが、少し不思議、結婚した彼が何故それを選択したのか?
いわば海千山千のネネと取り込め詐欺的な結婚に舵を切ったのか?
ネネのご主人の心境は計り知れませんが? 人には歳を重ねても、若い時とは違うけど、なかなか心の中に燃える、燻る情熱、思いを消し去るのが“下手くそな生き物”です。
もう子供を産めない(出産適齢期を過ぎた)、産まないカップルは急いで籍を入れる必要が無いと思いますが。 本来は、人は年を重ねると、自分に合う相手が分かるようになり、また若い時より選別が厳しくなるはず?なんですが?
しかし何年、何十年の結婚冬眠状態にある人がある事をキッカケにして、結婚という温存してきた”ジョーカー”を使おうと、安全地帯の塹壕(ざんごう)から飛び出し、狙い撃ちに会うこともあります。
他人には結末が見えても、人(本人)は引き返すのが苦手な生き物です。
中国の結婚登記所で女性は若く美しいのに、相手は日本人、椅子から立ち上がるのも“ヤット”の高齢というカップルの話を友人から聞いたことが有ります。
(彼女はお荷物か?それとも宝?)
アメリカには”どんな彼女“と聞かれたら”SHE IS AN ASSET(彼女は宝物)もしくはSHE IS A RELIABILITY(お荷物)”と答えることもあります。
人は頭の良い生き物ですが、ついついその年代の生き方をしてしまいます。
30代では事業や勤めも順調、その時の勢いで消費生活を行い、ローンも万一、離婚の際の慰謝料、養育費も男性の場合は苦し紛れに高めに設定してしまいます。
また50代以降に訪れる”お金の一時的洪水(遺産、退職金、積立金の満期)“から太っ腹になり、人を助けるのが人の道(真の人間のする道)みたいな迷路に入り込むこともあります。
若い時は予想だにしない、50代中頃から人生のネガティブな面が急に前面に出てきます。
例えば“たちこめていたバラ色の霧”が駆け足で白け始めると、そこに関ケ原に陣を張る徳川の最強軍団が出現、西軍総崩れにも似ています。 50代半ばから身内の不幸を皮切りに、夫婦どちらかの健康問題、退職を控え社内での処遇、健康、収入、精神面、親族関係の悪化、ぶつかり合いなど急激なダウン・サイジングが起こり始めます。
そんな男の人達へ、“あなたは普段、自分自身は節約して、たまには贅沢をしたことがありますか?” 人(周りの人間)の幸せを第一に考えるのも大事、しかし自己中心的とは別に貴方自身がまず幸せになることは大事。
少なくとも、中年以降の結婚で”泥船に乗ってしまった“ことにならないように祈ります。
今でも、あのNYペン・ステーションで会ったネネのご主人の私を見た眼差しを忘れません。 睨み(にらみ)つけるでもない、かと言って私をチャンと観察している。 彼の眼には、船出してしまったが、この先、自分に何が起こるのか?と言った不安が・・・よぎっているように見えました。
また、続きを書きます。