中年オヤジNY留学
”アンチ(反対)低学年留学“、英語が話せるか?は最初だけ、最後は魅力的な人間かどうか?。
2016/3/23 掲載
それはコロンビア大学の英語学校のクラスに、中途から入ってきたのはキヨシだった。 自分より一回り以上若く、余り表情を変えず、自分と同じクラスで良いの?と思うくらい英語が話せる感じだった。
年下なのに何者か?、そのな彼の素性(すじょう)を知りたくなる雰囲気を持っていました。
また何で、そんなに英語が喋れるの?とか。
そのうち、クラスに日本人が少ないこともあり、自分と彼は話すようになり、”今度の土曜日、ウェストバージニアの友達の所へ行くから、一緒に行かないか?“と誘いを受けました。
ニューヨークに来て数か月の自分は、怖いもの知らずで行けるところは何処でも行くと言った感じです、一種の留学初心者の何でも知りたい病です。
約束の時間にキヨシの下宿先を訪ねる、この時、嫌な予感の序章が始まる。
彼が姿を現さない、たまりかねたホストファミリーの奥さんが、彼がまだ寝ていることを確認、起こしにかかる。
それから、シャワーだの身支度(みじたく)だのと。
やれやれ私達は、ワシントンDCのペンステーションに降り立ちました。
まだ日は高く明るく、ドーム型の突端の駅出口は昔の兜町証券取引所の建物を思わせる感じ。
そこでキヨシは客待ちのタクシーを拾い私たちは乗り込みました。
東京都内を走るのと違い、相当なスピードでハイウェイを走っていても目的地には、ほど遠い様子。 走れど走れど目的地には程遠い様子。
黒人の運転手は指にチキンを挟み食べながらハンドル操作、”場所が分からない“と、出来るなら適当なところで降りてくれと言わんばかり。
日本でこれだけ乗ったら、既にX万円でしょう。
何度も停車、運転手は目的地を聞くが、尋ねられた方も分からず。
辺りは、とっぷり暗くなる。
運転手は、もう嫌だとばかり、不満をタラタラ。
キヨシ“ふざけた運転手だから、ぶっ飛ばすしかない!(日本語で)”私に何度も。
自分の知らない世界に入り込んでしまい、運転手とキヨシの“ギャーギャー”、“この野郎”は延々と。
ようやく、なんとかキヨシが見慣れた地域を確認、”そこを右、・・・・左”と言った感じで到着。
木立に囲まれた白塗りのアパート。 さながら軽井沢の木立の中のペンションを彷彿。
そこでキヨシの友達は男2人、女1人で各自の部屋で生活。
第一印象は若干,違和感。
20代前半の若者が、ここで何を?
キヨシを含め、全員同級生との事。
高校の卒業アルバムを見せてもらいました。
何を隠そう、全員日本の高校で何らかの理由で退学になり(親の経済力で)ハワイの高校に転入卒業したそうな。
卒業式の写真を見ると、全員、昔の原宿の”タケノコ“か、見知らぬスナックに入ったら、白や黒、はたまた柄入りのスーツ姿の怖い面々“の様相。
そして、彼らの高校は日本の文部省の認可を受けていないので、日本では高卒扱いにならない事。
必然的に、アメリカの大学を卒業する必要がある。 しかし,アメリカにも日本の大検制度に似たものが有り、これをクリアーする事が必要。 地に入れば、別の掟(おきて)あり。 全てが簡単では無い。
話を聞けば聞くほど、内心“これは、イカンナ!”
親元を離れ、落ちこぼれ同志で傷を舐めあい、仮に仲間同士でセックスに呆けても、叱るものはいない。
その晩から2泊キヨシと友達1人そして自分、そのアパートには泊まらず、モーテル住まいとなった。 何故?良くわかりません。 私にしたら、何で要らぬ出費するの?です。
しかし、これだけは言えることは、彼らは金を持っていないモーテル代すらもである。
友達への遠慮は感じても、その反面、俺の財布を当てにしている。
ここへ来るまでのタクシー代も自分が払いました。 清算の話は後からと思いきや、とぼけにかかっている。
アメリカを知りたいアドベンチャーは高いものになり始めました。
こんな訳もわからない嫌悪感、窮屈、金に不自由するお坊ちゃんはもう要らない。
私の体が叫んでいる!
(例えバージニアという知らぬ地に来てしまったが、もう1分たりとも行動を共にするのは・・・)
翌朝、私達3人は大型のファミリーレストランで朝食をとる。
表に、見ると時折バスが停車している。 このアメリカで右も左も分からない自分に“火がついた”。 バス停の行き先を確認しに中座し表に出る。
とりあえず,来た時のペンステーションもしくは、そこへ行く地下鉄の駅でも良い。
バス停の案内を見て、“多分、大丈夫?”でも自信は無い。
でも賭けるしかない“どうにかなる”と。
レストランに戻り、”ごめん、俺ここで、一人でニューヨークに帰るから“
キヨシの友達は言う“日曜日はバス休みだよ・・・・”
後で思うことだが、これを言うキヨシの友達も相当の“悪(ワル)”だ。
自分は一瞬、くじけそうになったが、(バスは見たところ,何台も来ている)そして自分に賭けた。
間もなく、バスが停車した。
今でも、憶えている、アメリカに来たばかりの自分がバスドライバーに言った言葉を。
バスの黒人のドライバーは、一瞬“ウッ(何?)”と言った感じだったので、バスのタラップを後ずさりしようとしたら、ジェスチャーとともに“COME ON(乗れ!)”
その瞬間、緊張感がいっぺんに解け、キヨシの友達は嘘をついていたのも分かった。
キヨシ達のように日本の高校を退学になったという事情を含め、低学年から留学するメリットは有るのか? 私の持論だが、人は小学校4年前後から急速に第二外国語をネイティブのように扱えなくなる。
例えば親世代が英語で苦労した経験から、経済力のある親が早期に中高生を海外へ送り込むのは、人格形成の上でリスクが大きい。
(金持ち子女が、群れてたむろう、変にまったりする空気感と”秘密の隠れ家”ともいえる上海とNY留学の共通点)
実は私、十数年前に中国人の女性と再婚し、義理の息子がいます。
四年ほど前、彼の友達が喫茶店を開店したというので上海へ行ったついでに寄ってみました。 それは喫茶店と呼ぶよりは”サロン“のようなもの、椅子も重厚感あり、ビリアード台も設置。 その時、一般の客は居らず、女性2人、男性は息子の友達のオーナーともう一人、全員仲間内。
何か感じる異様さは、二十数年前の”キヨシ事件”に通じるものがありました。
この店の資金は、息子の友達の母親(XX駅近くで数件の事業主)が出したそうです。 そう言えば、このサロンの前に白のスポーツタイプのベンツが置いてありました。 皆さん中国では、もちろんベンツは高いが、車のナンバープレートだけでも手に入れるのに、日本円で200~300万円要るの知っています? 車も何もかも彼の母親が買ってくれたそうです。
更に彼は車のスピード出し過ぎで、人身事故で日本円で当時4000万円で和解、これも母親が出したそうです。
先ほどの女性2人も日本に居たそうです。 一人は母親が日本人と再婚し、その義理の父親が亡くなり、彼の日本の遺産と年金で母娘二人が暮らしているそうです。
これら日本からの帰国子女が、この上海のサロンに寄り会い、親の援助と言う”点滴“を受け、若い青年がやらなければならない、勉強・苦労を”モラトリアム化“し開き直り、あるいは、外目には”おしゃれな服”をまとい、“高級車”と言う道具を使い、自分の存在価値を社会に認めてもらおうと寄り集まり、時には街中に繰り出す。
結局、英語や外国語が話せるなんてどうでも良い、人として何らかの地味な小さな同心円からスタートし、機会があればその波紋を大きくし、常に自分の責任(稼ぎ)の範囲をわきまえる事が大事ではないか?
また、続きます・・・
”アンチ(反対)低学年留学“、英語が話せるか?は最初だけ、最後は魅力的な人間かどうか?。
2016/3/23 掲載
それはコロンビア大学の英語学校のクラスに、中途から入ってきたのはキヨシだった。 自分より一回り以上若く、余り表情を変えず、自分と同じクラスで良いの?と思うくらい英語が話せる感じだった。
年下なのに何者か?、そのな彼の素性(すじょう)を知りたくなる雰囲気を持っていました。
また何で、そんなに英語が喋れるの?とか。
そのうち、クラスに日本人が少ないこともあり、自分と彼は話すようになり、”今度の土曜日、ウェストバージニアの友達の所へ行くから、一緒に行かないか?“と誘いを受けました。
ニューヨークに来て数か月の自分は、怖いもの知らずで行けるところは何処でも行くと言った感じです、一種の留学初心者の何でも知りたい病です。
約束の時間にキヨシの下宿先を訪ねる、この時、嫌な予感の序章が始まる。
彼が姿を現さない、たまりかねたホストファミリーの奥さんが、彼がまだ寝ていることを確認、起こしにかかる。
それから、シャワーだの身支度(みじたく)だのと。
やれやれ私達は、ワシントンDCのペンステーションに降り立ちました。
まだ日は高く明るく、ドーム型の突端の駅出口は昔の兜町証券取引所の建物を思わせる感じ。
そこでキヨシは客待ちのタクシーを拾い私たちは乗り込みました。
東京都内を走るのと違い、相当なスピードでハイウェイを走っていても目的地には、ほど遠い様子。 走れど走れど目的地には程遠い様子。
黒人の運転手は指にチキンを挟み食べながらハンドル操作、”場所が分からない“と、出来るなら適当なところで降りてくれと言わんばかり。
日本でこれだけ乗ったら、既にX万円でしょう。
何度も停車、運転手は目的地を聞くが、尋ねられた方も分からず。
辺りは、とっぷり暗くなる。
運転手は、もう嫌だとばかり、不満をタラタラ。
キヨシ“ふざけた運転手だから、ぶっ飛ばすしかない!(日本語で)”私に何度も。
自分の知らない世界に入り込んでしまい、運転手とキヨシの“ギャーギャー”、“この野郎”は延々と。
ようやく、なんとかキヨシが見慣れた地域を確認、”そこを右、・・・・左”と言った感じで到着。
木立に囲まれた白塗りのアパート。 さながら軽井沢の木立の中のペンションを彷彿。
そこでキヨシの友達は男2人、女1人で各自の部屋で生活。
第一印象は若干,違和感。
20代前半の若者が、ここで何を?
キヨシを含め、全員同級生との事。
高校の卒業アルバムを見せてもらいました。
何を隠そう、全員日本の高校で何らかの理由で退学になり(親の経済力で)ハワイの高校に転入卒業したそうな。
卒業式の写真を見ると、全員、昔の原宿の”タケノコ“か、見知らぬスナックに入ったら、白や黒、はたまた柄入りのスーツ姿の怖い面々“の様相。
そして、彼らの高校は日本の文部省の認可を受けていないので、日本では高卒扱いにならない事。
必然的に、アメリカの大学を卒業する必要がある。 しかし,アメリカにも日本の大検制度に似たものが有り、これをクリアーする事が必要。 地に入れば、別の掟(おきて)あり。 全てが簡単では無い。
話を聞けば聞くほど、内心“これは、イカンナ!”
親元を離れ、落ちこぼれ同志で傷を舐めあい、仮に仲間同士でセックスに呆けても、叱るものはいない。
その晩から2泊キヨシと友達1人そして自分、そのアパートには泊まらず、モーテル住まいとなった。 何故?良くわかりません。 私にしたら、何で要らぬ出費するの?です。
しかし、これだけは言えることは、彼らは金を持っていないモーテル代すらもである。
友達への遠慮は感じても、その反面、俺の財布を当てにしている。
ここへ来るまでのタクシー代も自分が払いました。 清算の話は後からと思いきや、とぼけにかかっている。
アメリカを知りたいアドベンチャーは高いものになり始めました。
こんな訳もわからない嫌悪感、窮屈、金に不自由するお坊ちゃんはもう要らない。
私の体が叫んでいる!
(例えバージニアという知らぬ地に来てしまったが、もう1分たりとも行動を共にするのは・・・)
翌朝、私達3人は大型のファミリーレストランで朝食をとる。
表に、見ると時折バスが停車している。 このアメリカで右も左も分からない自分に“火がついた”。 バス停の行き先を確認しに中座し表に出る。
とりあえず,来た時のペンステーションもしくは、そこへ行く地下鉄の駅でも良い。
バス停の案内を見て、“多分、大丈夫?”でも自信は無い。
でも賭けるしかない“どうにかなる”と。
レストランに戻り、”ごめん、俺ここで、一人でニューヨークに帰るから“
キヨシの友達は言う“日曜日はバス休みだよ・・・・”
後で思うことだが、これを言うキヨシの友達も相当の“悪(ワル)”だ。
自分は一瞬、くじけそうになったが、(バスは見たところ,何台も来ている)そして自分に賭けた。
間もなく、バスが停車した。
今でも、憶えている、アメリカに来たばかりの自分がバスドライバーに言った言葉を。
バスの黒人のドライバーは、一瞬“ウッ(何?)”と言った感じだったので、バスのタラップを後ずさりしようとしたら、ジェスチャーとともに“COME ON(乗れ!)”
その瞬間、緊張感がいっぺんに解け、キヨシの友達は嘘をついていたのも分かった。
キヨシ達のように日本の高校を退学になったという事情を含め、低学年から留学するメリットは有るのか? 私の持論だが、人は小学校4年前後から急速に第二外国語をネイティブのように扱えなくなる。
例えば親世代が英語で苦労した経験から、経済力のある親が早期に中高生を海外へ送り込むのは、人格形成の上でリスクが大きい。
(金持ち子女が、群れてたむろう、変にまったりする空気感と”秘密の隠れ家”ともいえる上海とNY留学の共通点)
実は私、十数年前に中国人の女性と再婚し、義理の息子がいます。
四年ほど前、彼の友達が喫茶店を開店したというので上海へ行ったついでに寄ってみました。 それは喫茶店と呼ぶよりは”サロン“のようなもの、椅子も重厚感あり、ビリアード台も設置。 その時、一般の客は居らず、女性2人、男性は息子の友達のオーナーともう一人、全員仲間内。
何か感じる異様さは、二十数年前の”キヨシ事件”に通じるものがありました。
この店の資金は、息子の友達の母親(XX駅近くで数件の事業主)が出したそうです。 そう言えば、このサロンの前に白のスポーツタイプのベンツが置いてありました。 皆さん中国では、もちろんベンツは高いが、車のナンバープレートだけでも手に入れるのに、日本円で200~300万円要るの知っています? 車も何もかも彼の母親が買ってくれたそうです。
更に彼は車のスピード出し過ぎで、人身事故で日本円で当時4000万円で和解、これも母親が出したそうです。
先ほどの女性2人も日本に居たそうです。 一人は母親が日本人と再婚し、その義理の父親が亡くなり、彼の日本の遺産と年金で母娘二人が暮らしているそうです。
これら日本からの帰国子女が、この上海のサロンに寄り会い、親の援助と言う”点滴“を受け、若い青年がやらなければならない、勉強・苦労を”モラトリアム化“し開き直り、あるいは、外目には”おしゃれな服”をまとい、“高級車”と言う道具を使い、自分の存在価値を社会に認めてもらおうと寄り集まり、時には街中に繰り出す。
結局、英語や外国語が話せるなんてどうでも良い、人として何らかの地味な小さな同心円からスタートし、機会があればその波紋を大きくし、常に自分の責任(稼ぎ)の範囲をわきまえる事が大事ではないか?
また、続きます・・・