お金の話です、定年を迎えて救われている、小野田少尉の一言・・・
2021/10/14 記
最近のテレビの告知で、この秋にルバング島で終戦後も孤軍奮闘していた小野田少尉の映画が上映されるらしい。
私としては、彼の軍人としてのすばらしさは別とし、あるテレビのインタビュー番組に出演した際、80年両親バット殺人についての小野田少尉の応えが私の脳裏に焼き付いた話です。
結果、定年後の今、自分自身の経済(金銭的やりくり)が助けられている話です。
(私の人生は少し凸凹道)
私は✖2、そして現在は3人目の中国人の女性と生活しています。
お互い再婚同士です。
私が現奥さんと婚活していた当時の中国の再婚対象者は、何故か?女性達は大体多くは30代半ばから40代前半で子供一人を養育しているのが相場でした。
上海の一般的女性達の多く当時は25才前後で結婚そして出産し離婚、しかしこんな人達ばかり不思議だな? 私も何人か紹介されましたが、真にこの通り。
そして我が家の子供は上海生まれの男です、私のブログにも何回かそれとなく登場させていますが、愛想の無い無口なオス猫のイメージです。 勉強が嫌いで、自分の部屋に入ったら静か過ぎて、手製爆弾でも作っているのではないか(冗談です)ぐらい、何をしているのか分からない印象がありました。 分からないはずの日本語を、教えてほしいと言われたこともありません、不思議だ。
彼も最近は年を重ね、少し丸くなりましたが。
彼が日本に来たのは中学三年の頃、
私が彼に対して、自慢して良い事は、
1) 食事の時、当時の中国人は”ペチャペチャ”音を出す人が多かったが、私は彼をこのまま大人にするわけがいかないと”日本人は食事の時(麺類を除き)音は出さないから”と直させた事。
2) また彼は、食事のテーブルの下で、”貧乏ゆすり”、私(これも放っておけない)、”男は殺される直前までバタバタしてはダメだよ、男は小刻みに動かないと。
この二つは後々,彼自身も直して良かったと思ってほしい。
(小野田少尉の”両親バット殺人”の語りから・・・)
日本に帰国して久しくした小野田さんがテレビの番組のインタビューで当時の日本の世相に応える形で”両親バット殺人”について、話されていた。
有名大卒のお父さんと、親の期待に応えられない息子の葛藤の末の事件。
小野田さん”非常に残念な事件だ、何故もっと前に距離をおいてお互いが生活をできなかったのか?”
この話は私達家族にも関係する事で、肝に銘じなければと私も。
この距離を置くとは、とっさに当時高校一年生の義理の中国の息子とは時機を見て離れて生活する必要性を感じました。 もちろんわが家で同じことが起こるとは、思いませんが。
彼も上海の学校では舎弟二人位ひきつれて、トイレに行っていた生徒、先の事を楽観的に考えるは良くない。
人は自分と同じ生活空間での身内の所作は気になるものだ、仮にも高校生の子供が深夜遅くの帰宅、また喫煙・飲酒・勉強を含め成り行きとしては注意したくなる。 家内もその状況に可愛い子供ゆえ、どっち付かずで家の空気も重くなる。 どっちにしても控えめに注意しても、息子は私の事を”うるさくて、うざったいオヤジ”に思う訳ですから。
(要らぬ衝突と、自立のために単身者用マンションを・・・)
息子が自身で家から出るのを待っていては、話が遠回りになる。
そこで電車を多少乗る距離でも単身者用のマンションの一室を彼の高校卒業まで二年あるが、物件探しを始め、無難な物件で手を打ちました。
彼が住むまでの2年間は他人に貸して部屋を汚されたくなく空部屋にし、固定資産税と管理費をムダ払いしていました(当時は、素人でしたので)。
(小さな大家さんの始まり・・・)
結局、息子は高卒後3年間会社勤めで部屋に居住した後、中国上海へ行くという事で、このマンションを出ていきました。
小野田少尉のメッセージのヒントで買った部屋も空部屋となり、役目が終わりました。
この部屋の次のミッションは賃貸に出し、少しでも収益を上げるしかありません。
いったん持ち部屋を賃貸に転用すると、部屋が汚されるとかの臆病風は気にしないようになります。
(人生、全て万事塞翁が馬とは限りませんが・・・)
同じ屋根の下で、ぶつかる可能性すらあった親子の話が、最後はめでたしめでたしと思われますが、結果はともかく家族の心なんて時には、それぞれ針の向きが違う方位計”のようなもの。
今、私の少しばかりの余裕は、小野田少尉のメッセージから自分に当てはめた決断から来ているかもですが、それでは義理息子にストレートに感謝とも違うかな。
人や例え家族であっても、お互い世話になったり、優しさに、感謝を言葉にする局面もあるが、逆に原因が分からずとも、言葉や振る舞いで、時には”傷つけられる”ことも。
かの夏目漱石先生の、“知にはたらけば角が立つ、情に竿させば流される(私的には:例えば大金をつかわされているのに、使った相手はケロッと忘れている風情)”に似る。
余談ですが中国人との結婚はお金がかかります、生活全般は日本人男性の丸抱え状態で反面、通常奥さんの稼ぎは永久凍土に蔵置されたように金額は分かりようが有りません。
自分の思いや感情の黒白をはっきり家族に求めても騒動の元、余計な文句を他から言われない限り、自分の利や恩を語らず涼しい顔をして生きていくのが“落としどころ”なのでしょうか。
わかりません!
2021/10/14 記
最近のテレビの告知で、この秋にルバング島で終戦後も孤軍奮闘していた小野田少尉の映画が上映されるらしい。
私としては、彼の軍人としてのすばらしさは別とし、あるテレビのインタビュー番組に出演した際、80年両親バット殺人についての小野田少尉の応えが私の脳裏に焼き付いた話です。
結果、定年後の今、自分自身の経済(金銭的やりくり)が助けられている話です。
(私の人生は少し凸凹道)
私は✖2、そして現在は3人目の中国人の女性と生活しています。
お互い再婚同士です。
私が現奥さんと婚活していた当時の中国の再婚対象者は、何故か?女性達は大体多くは30代半ばから40代前半で子供一人を養育しているのが相場でした。
上海の一般的女性達の多く当時は25才前後で結婚そして出産し離婚、しかしこんな人達ばかり不思議だな? 私も何人か紹介されましたが、真にこの通り。
そして我が家の子供は上海生まれの男です、私のブログにも何回かそれとなく登場させていますが、愛想の無い無口なオス猫のイメージです。 勉強が嫌いで、自分の部屋に入ったら静か過ぎて、手製爆弾でも作っているのではないか(冗談です)ぐらい、何をしているのか分からない印象がありました。 分からないはずの日本語を、教えてほしいと言われたこともありません、不思議だ。
彼も最近は年を重ね、少し丸くなりましたが。
彼が日本に来たのは中学三年の頃、
私が彼に対して、自慢して良い事は、
1) 食事の時、当時の中国人は”ペチャペチャ”音を出す人が多かったが、私は彼をこのまま大人にするわけがいかないと”日本人は食事の時(麺類を除き)音は出さないから”と直させた事。
2) また彼は、食事のテーブルの下で、”貧乏ゆすり”、私(これも放っておけない)、”男は殺される直前までバタバタしてはダメだよ、男は小刻みに動かないと。
この二つは後々,彼自身も直して良かったと思ってほしい。
(小野田少尉の”両親バット殺人”の語りから・・・)
日本に帰国して久しくした小野田さんがテレビの番組のインタビューで当時の日本の世相に応える形で”両親バット殺人”について、話されていた。
有名大卒のお父さんと、親の期待に応えられない息子の葛藤の末の事件。
小野田さん”非常に残念な事件だ、何故もっと前に距離をおいてお互いが生活をできなかったのか?”
この話は私達家族にも関係する事で、肝に銘じなければと私も。
この距離を置くとは、とっさに当時高校一年生の義理の中国の息子とは時機を見て離れて生活する必要性を感じました。 もちろんわが家で同じことが起こるとは、思いませんが。
彼も上海の学校では舎弟二人位ひきつれて、トイレに行っていた生徒、先の事を楽観的に考えるは良くない。
人は自分と同じ生活空間での身内の所作は気になるものだ、仮にも高校生の子供が深夜遅くの帰宅、また喫煙・飲酒・勉強を含め成り行きとしては注意したくなる。 家内もその状況に可愛い子供ゆえ、どっち付かずで家の空気も重くなる。 どっちにしても控えめに注意しても、息子は私の事を”うるさくて、うざったいオヤジ”に思う訳ですから。
(要らぬ衝突と、自立のために単身者用マンションを・・・)
息子が自身で家から出るのを待っていては、話が遠回りになる。
そこで電車を多少乗る距離でも単身者用のマンションの一室を彼の高校卒業まで二年あるが、物件探しを始め、無難な物件で手を打ちました。
彼が住むまでの2年間は他人に貸して部屋を汚されたくなく空部屋にし、固定資産税と管理費をムダ払いしていました(当時は、素人でしたので)。
(小さな大家さんの始まり・・・)
結局、息子は高卒後3年間会社勤めで部屋に居住した後、中国上海へ行くという事で、このマンションを出ていきました。
小野田少尉のメッセージのヒントで買った部屋も空部屋となり、役目が終わりました。
この部屋の次のミッションは賃貸に出し、少しでも収益を上げるしかありません。
いったん持ち部屋を賃貸に転用すると、部屋が汚されるとかの臆病風は気にしないようになります。
(人生、全て万事塞翁が馬とは限りませんが・・・)
同じ屋根の下で、ぶつかる可能性すらあった親子の話が、最後はめでたしめでたしと思われますが、結果はともかく家族の心なんて時には、それぞれ針の向きが違う方位計”のようなもの。
今、私の少しばかりの余裕は、小野田少尉のメッセージから自分に当てはめた決断から来ているかもですが、それでは義理息子にストレートに感謝とも違うかな。
人や例え家族であっても、お互い世話になったり、優しさに、感謝を言葉にする局面もあるが、逆に原因が分からずとも、言葉や振る舞いで、時には”傷つけられる”ことも。
かの夏目漱石先生の、“知にはたらけば角が立つ、情に竿させば流される(私的には:例えば大金をつかわされているのに、使った相手はケロッと忘れている風情)”に似る。
余談ですが中国人との結婚はお金がかかります、生活全般は日本人男性の丸抱え状態で反面、通常奥さんの稼ぎは永久凍土に蔵置されたように金額は分かりようが有りません。
自分の思いや感情の黒白をはっきり家族に求めても騒動の元、余計な文句を他から言われない限り、自分の利や恩を語らず涼しい顔をして生きていくのが“落としどころ”なのでしょうか。
わかりません!
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