そもそも国境線すら引けておらず、広大な高原は北と東に果てしなく無人の荒野が広がり、それはとても一代や二代で開拓できる様な広さではありませんでした。
この人類未踏の地を探索する「旅」は不断に行われて、北のゴビ砂漠は現在でも全く無人の荒野なので旅は不可能でしたが、東には河が流れておりそれを下る旅は容易に行えました。
この旅には子供たちが率先して参加し、それを引率するのは常にトゥルク(転生者)であるセイでした。
旅は百頭ものヤクを引き連れて盛大に行われ、ヤルツァンポ河が高原から流れ落ちる先(現在の雲南省)まで3ヵ月かけて到達します。
そこには少数民族が暮らしており、僅かながら古代の黄河文明もそこに及んでいたので、シャンシュン王国はようやく隣国との境を得ます。
セイのパーティーは平和的に国交を樹立し、チベット高原に国が誕生したコトを伝え広めます。
ここで少し人類史に鑑みますと、チベット高原と日本列島に人類が到達したのは約3万年前でほぼ同時とされ、その民族のDNAもほぼ同一とされています。
このコトから、チベット高原への人類の「旅」は東から西へも行われたと考えられ、我々の祖先はとても開拓精神の旺盛な民族だったと言えます。
「Sayの物語」はそれから2万年も後の話なので、チベットと日本を結びつけるストーリーにまでは出来ませんが、セイの東への「旅」は数年に渡って続けられ、台湾から沖縄くらいまで到達したと描くコトは出来ます。
そこまで遠く旅が出来るのは少人数に限られ、旅の途上で糧を得る術も必要になります。
ここでは10人程の楽団としてパーティーを組もうかと思い、道々でセイの歌声が響き渡り多くの人々の心を掴むとします。
この旅をセイと共にするのは十代の子供たちで、彼等彼女等は後にシャンシュン王国をしょって立つ人材へと成長して行きます。