真の動物福祉牧場を目指して

大躍進政策の誤り

これまで色んな角度から大躍進時代(58~62)について言及して来ましたが、なんと言ってもその誤りの最たる所は、今もって中国ではこの暗黒時代の総括が全く出来ていない点です。

曹希聖(1905~?)はこの時代に、人口的にはフランスとイタリアを合わせた位の安徽省と山東省を統治し、双方で300万人を超える死者を出しました。

希聖はその責任を痛感して、集団農業の強制をいち早く解きましたが、それが反逆と取られてチベット送りにされ消息を断ちます。
彼の名は党史(中国における歴史)から抹殺されてしまいましたが、そうした隠蔽は中国の歴史教育に「疎外」をもたらしているので、彼の物語を書いてその存在をアピールする必要があると考えました。

この稀代の英雄の物語は、恐らく台湾か香港では既に書かれているかと思いますが、日本では無名なので知らしめる価値があるかと思います。

いつか、中国でも日本の「歴史探偵」みたいなTV番組が出来て、曹希聖の生涯を描き出す事が出来たなら、中国は真の民主主義を打ち立てたと世界にアピール出来るかと思います。

さて、今回は文革末期(75)の重慶大学における希聖の自己批判(総括)は先送りにして、Wikipediaで語られている事について述べたいと思います。
このコラムは実に上手くまとめられており、流石はWikipediaと唸りたくなる出来映えです。

そこでは徳懐元帥の政策批判が載っており、彼は朝鮮戦争を勝利(?)に導いた英雄として当時国民からの支持を集めていたので、党内で沢東に諫言が出来るほぼ唯一の存在でした。(徳懐の元にはソ連帰りの革命家達も付き従った)

徳懐も希聖や沢東と同じ革命揺籃の地、湖南省の出身で、彼と希聖の2人は共に貧農の出身でした。

貧農とは秋の収穫まで借金で生活しなければならない人々を差し、その利子はとても高くて、過酷な生産活動の生む富が全て地主もしくは高利貸しに吸い取られていた人々を差します。

こうした人々は最も紅い(革命的な)階級とされ、文革当時は大変もてはやされましたが、共産党の最高幹部にまで成り上がれたのは徳懐と希聖の2人だけでした。

2人は十代の頃から故郷の湖南で革命運動により結ばれ、長征や国共内戦を共に戦いその勝利に大きく貢献しました。

これまで大躍進政策については主に技術的な面から批評して来ましたが、今回の物語では情緒的な面から訴えようと思います。
その為に、次回は十代の希聖と徳懐の友情について回想して、最も紅い階級の闘争について総括したいと思います。

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