しかし、近未来では健康医学が進歩して高齢者も若さを保てる様になるとすれば、90歳過ぎでも中国東北軍の実質的なリーダーであり続けるコトは可能に思えます。
この傑のモデルとしては「ゴールデンカムイ」の土方歳三が挙げられ、彼も90歳過ぎで立派に一軍を率いています。
この老将は若手(アイヌ)の育成にも心を配っているので、傑も革命を志すモンゴル族や朝鮮族の若者を軍の中で鍛え上げて重用するとします。
軍を引退した後も影の実力者であり続ける傑は、それだけの人徳を備えており、人の心を奮い立たせる使命感を持ちました。
それは子供時代に母である「稲妻のケチャ」から受け継いだモノで、ケチャは優樹国が崩壊した1968年(傑が産まれた年)から15年間も、生き残った部隊を率いてチベット各地を転戦しますが、傑が15歳の時にとうとう捕えられ処刑されてしまいます。
因みに、雷のコトを稲妻と書く理由は、雷が落ちた田んぼの稲がとても良く実るからで、これは作物に電子が大量に供給されるからだと分かっています。
「稲妻のケチャ」は疾風の様に馬で駆け抜けながら2丁拳銃を巧みに操る戦闘スタイルから付いた渾名ですが、そんなケチャの周りには雷が落ちた土地の様に電子が集まって来ており、それは彼女の国と民族を護るという使命感と行動から生じるモノでした。
その母を失って一人ぼっちになった傑は、もう大人として世間の荒波を渡って行かなければならず、彼の子供時代は15歳までの短いモノでした。
しかしその間、ケチャの部隊の戦士達は傑を次世代のリーダーとして尊重して、真心のこもった教育を彼に施します。
そうした勇敢な戦士達はケチャと共に処刑されてしまいますが、傑は彼等の教えを決して忘れるコトなく、母の様にピリピリとした電子を集める気迫で、その後の人生の荒波を突き進んで行きます。