「言論の自由のない国に未来はない」と言われます。
これは、言論統制している国では決まって過去が歪められ、そのタメ現在すら本物ではなく、したがってまともな未来はあり得ないというコトです。
わたしが今いる香港には、5年前まで日本と同レベルの「言論(報道)の自由」があり、自由主義経済のトップを走る国としてメディアも発達していました。
しかしそれがここ数年で、「国境なき記者団」による評価ではソマリアやウガンダなどアフリカの独裁国家並みに下落してしまいました。
これは中国共産党によって「国安法」が押し付けられ、100万人以上居るとされるネット警察がネットの書き込みを常にチェックして、中共に批判的な人を刑務所に入れてしまうからです。
こうした社会環境ではとうぜん海外の企業は撤退して行き、香港は自由主義経済のトップの座からも下落し、自由を求める若者達は香港に見切りをつけイギリスに移り住んでいます。
中共による「過去の捻じ曲げ」も進んでおり、曾ては共産革命を批判的に総括した本を多く街の書店で見かけ、特に100万人以上の難民が香港に押し寄せた「大躍進」(農村部で4〜5千万人が餓死した)についての本が多くあったのですが、今ではそれは共産革命賛美の本に入れ替えられてしまいました。
しかし、資本主義が世界一発展した香港を共産党が牛耳るというのはどう考えてもムリがあり、逆に中国が共産主義を捨てて資本主義に呑み込まれた観もあります。
そもそもこうした「右と左」を対立させる考え方はもう古い気がし、左右の「中道」を目指す北欧などが先進的かと思えます。
北欧では政府の権限を出来るだけ民衆に還元しようとしており、「People are the nation (人民が国である)」の理想に近づいています。 そこでは国会議員は専業職ではなく、各職場から代表が選出されて数年の任期で交代します。
これはデモクラシーが発祥した頃のギリシャに習った方式で、そこでは王や政府に権力を持たせずに「民が主」の国が生まれました。
かつての香港はそんな、小さな政府の「民が主」の国でしたが、大国に呑まれてしまい未来どころか現在すらハッキリと見えない国になってしまいました。
しかしもうこうした、政権が絶対の力を持つ国などは明らかに時代遅れなので、香港にはきっとまた「言論の自由」が蘇り、過去も現在も闇に閉ざされている中国大陸の光になると信じます。