真の動物福祉牧場を目指して

チベット人の戦いについて

 今回も八路和提(パールワティー)のブログとして書いて行きます。 
 このブログは中国本土では「和諧(閉鎖)」されてしまいましたが、非常に人気が高かったので香港や台湾経由のアンダーグラウンドで読み継がれるとします。

 その編集にはずっと徳流河(ドゥルーガ)が関わっていて、彼女もリタメイとの協力関係をたいへん喜びます。
 流河はこの機会に隊名を「女子革命突撃隊」に改めるコトとし、ブログでも革命色を鮮明に出して行きます。

ーー  前回の続きで、利他妹(リタメイ)
が私たちに語った「チベット人の戦い」について述べます。
 リタが深い眠りから覚めたのは夕暮れ時で、それまでに彼女の噂はキャラバン中に広まっていたので、話を聞こうと100人以上もがゲルに詰めかけました。

 リタは昨日までチベット人と共に戦っていたので、中国語で話すコトには慣れていました。
 彼女の話の中で私が特に感銘を受けたのは、チベット人が「不殺生の戦い」を貫こうとしている点です。
 
 彼等はみな敬虔な仏教徒なので、戦いでも「慈悲の心」をもって敵の足しか射たないそうです。
 それは「死」に対して何の準備も出来ていない漢民族への慈悲であり、チベット人はそれが出来ているので「死」を恐れないと言います。

 これはとても大きな文学テーマだと思い、私の祖父も「収容所群島」で実に多くの「死」を描いており、そこで恐れを持たずに旅立った人々を称賛しています。
 彼等にとって「死」は終わりではなく、それはむしろ新たな始まりと捉えられていました。

 私はそこまで深い信仰心を持ちませんが、「死後の世界」はなんとなく在るような気がします。
 それは魂が眠りながらもずっと、この星と共に在り続けるとするイスラームの教えに近い気もします。

 私にとってそれは、祖父の存在が如実に語っているとも言えます。
 彼の魂は眠りに就きましたが、その精神がこの星から消えるコトは決して無いと言えます。
 それは文明が滅んで全ての文学が失われたとしても、この星に深く刻み込まれた祖父の精神は無くならないからです...
 
 それは自由な精神で、自然や動物を愛し、家族や子供たちを慈しむ精神です。 
 しかしそれを破壊しようとする敵とは戦って、人が人を支配する世界に革命をもたらす精神です。  ーー
 
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