真の動物福祉牧場を目指して

優樹ダークツーリズムの勧め

また物語の舞台である優樹(ユーシュー)に戻るのですが、今回は私が5年前に旅した時の思い出を語ります。

そこは青海省の西寧(シーニン)からバスで1日程の距離で、半月間のノービザでも行ける所です。(私は1ヶ月ビザで行った)

優樹の街は結構発展していて、一応チベット寺院も在りましたが、これは急造で再建された観が強く観光客を惹き付けられるようなシロモノではありませんでした。

それでも観光都市を目指していて、ホテルやお土産屋はムダに多くありましたが、どこも閑古鳥が鳴いていて活気があるのはネットカフェだけ、という状況は他のどの地方都市とも変わりありませんでした。

中国のネット文化はかなり特異で、著作権が無いため映画や音楽がタダで鑑賞できます。
国内のアーティスト達は基本的に公務員で、 そこから生まれるアートは国のオーダーに従ったモノと成ります。(勿論アングラも有り、暗愚と称されてる)

人民の多くはそうした官製文化にウンザリしていて、海外のアートを沢山無料でアップし共有しております。
国はこれに検閲は加えていますが、「文化的共産主義」の理想には叶っているとして、「和諧」(削除)の対象にはまず成っていません。(最近はアダルトなシーンもパスする様になった)

私もこの「共産主義」の恩恵にはだいぶ浴しており、ネットカフェは300円程でオールナイト出来るので、映画や音楽を沢山「共有」させて貰いました。(映画は中国語字幕で、読解の勉強にもなりました)

こうしたフツーのツーリズムは1日で充分なのですが、私は優樹地区で3日間を過ごし、その内の1日は高級ホテルに招待される栄誉に預かりました。

それは、優樹からチベット自治区へ向かう乗合車(山道なのでバスは無くトヨタ)に乗り、途中の検問所で引っかかって、優樹に送り返され取り調べを受けるハメになったからです。

取り調べは穏便に高級ホテルで行われて、日本語を喋れる女性(チベタンの血が濃かった)がその担当者でした。
私は以前に3回もチベットで罰金を取られた経歴を持ちますが、この時は南京のEM研究機構(国営企業)に立ち寄っていて連絡が取れ、「チベット農業を改善する為の視察旅行」という名目が通ったので、お咎め無しとなりました。

取り調べ官の女性は好意的で、「せっかく来て頂いたのに、チベット自治区に行かせられなくて申し訳ない」という姿勢でした。
彼女はチベット名を持っていましたがチベット語は堪能でなく、日本語は堪能でしたが日本には来たコトがありませんでした。
「いつか日本に行きたい」と言っておりましたが、中国政府はチベット人にはまずパスポートを出さないので、難しいかなと思います。

他にも公安官でチベット人のアイデンティティを持っている若い男性が居て、彼は検問所から優樹のホテルまで送ってくれたのですが、やはりチベット自治区を外国人が旅行出来ないコトに対して「忸怩たる思い」を表明し、日本軍がかつて中国軍を圧倒したコトに対しても「讃辞を表明」していました。

優樹地区はかつて、人民解放軍の侵攻に対して頑強に立ち向かい、その結果男性の9割以上が戦死もしくは収容所で亡くなって、「断種政策が行われた」とまでチベット政府が非難している所です。

そのダークな歴史の「痼(しこ)り」は、現代的な街を歩くだけではまず感じられませんが、ちょっと冒険をするコトで垣間見れます。
二十歳で初めてチベットを旅した時は、検問所で捕まって追い返されても、歩いて回り込んで突破し、チベット自治区入りを果たしました。

もうそこまでの冒険が出来る年ではなく、チベット自治区は北京オリンピック(2008)時の騒乱以来、外国人の入境が一段と厳しく取り締まられる様になったので、この時はこれ以上の深入りは諦めざるを得ませんでした。

それでも帰りはヒッチハイクで四川省の方へ抜けて、途中で遊牧民のテントに招かれたりしました。
古いチベットの暮らしを保っている人達は実に純朴で、言葉は余り通じませんでしたが「折り紙」で打ち解けられ、「小さな娘を日本に連れて行ってくれないか?」と冗談交じりに言われて戸惑ったりもしました。

この旅の思い出はここまでにして、次回は検問を突破して進んだ旅を語ろうと思います。







名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る