2060年に北京の仏舎利塔で開かれた、党と人民の代表3人ずつによる公開討論会は、2日目で後半戦に突入しいよいよ未来についての議論となります。
まずは信仰告白を行って2日目の討論会を独壇場にした愛新覚羅仁が、未来についての議論でも先頭に立ち「軍隊の未来」を語ります。
旧満洲国の東北地方を統治する東北軍には、仁のような隠れ満洲族やモンゴル族、朝鮮族やロシア民族も多く居り、これらの民族は軍隊の中では漢民族よりも少数派ですが、満洲の地に元々住んでいたのは彼等なので、土地に対する愛着は漢民族よりも強いと思われます。
漢民族の流民が大挙して満洲に押し寄せたのは清朝が崩壊してからで、1932年に満洲国が成立してからは毎年100万人以上の漢民族が「王道楽土」に惹かれて移民しました。
満洲国の歴史は日本ではネガティブに捉えられ勝ちですが、当時の中国はずっと内戦状態だったので、満洲国は唯一平和に暮らせる土地で、日本からの投資により経済的にもずっと発展していました。
この歴史については台湾の作家、黄文雄の「満州国の遺産」に詳しく、中国共産党はこの遺産のお陰で天下を取れたとしています。
しかし、共産党支配下での漢民族の満洲への大量植民は自然環境を破壊してしまい、東北地方と改名された満洲は今では中国でも経済的に貧しい土地になっています。
自然破壊は樹木が殆ど伐採されてしまったコトが顕著で、そのせいで農地は痩せ細り、塩害から砂漠化まで環境破壊は進行しています。
こうした農地を蘇らせるには、まず防風林を育てる必要がありますが、それだけでは充分でなく土地の微生物環境を復活させる必要もあります。
そうした取り組みは東北地方で実際に行われており、塩害で砂漠化した農地も微生物資材(EM)の活用で見事に復活するコトは、エジプトやパキスタンなどの事例からも広く実証されています。
こうした農地を復活させる取り組みを軍隊が行っている国もあり、タイやコスタリカでは真に国土を愛し護るタメに、兵士達は武器を捨て農機具を手にして闘っています。
これはキリスト教の「プラウシェア運動」と呼応するモノで、「剣を鋤に打ち直す」平和運動は古くから行われて来ました。
愛新覚羅仁が率いる東北軍の満洲派もこの運動に力を入れ、兵士達は鉄砲よりも農機具の扱いに習熟しており、そんな軍隊こそが本当の平和をもたらせると仁は力説します。