原作者のパステルナークはノーベル文学賞を何度も辞退しており、それは西側の視点でロシア革命を評価されたくなかったと言うよりも、政治的な争いから遠ざかりたかったからの様です。
「ドクトル・ジバゴ」は長らく「反革命文学」とされたほど非政治的で、バラライカを弾き唄うコトを好む医師ジバゴは、深く戦争を憎みました。
ロシア革命は1917年に起こり、その当時にこの本は書かれましたが、1986年のペレストロイカ(改革解放)によってようやく解禁されたほど、反戦的な文学です。
一方、革命の歴史では医師がリーダーシップを取るコトもよくあり、孫文やチェ-ゲバラが特に有名です。
今回はそんな若き医師を登場させ、八路和提のブログで彼の手紙を紹介する形式にします。
こうした「入れ子方式」はマトリョーシカ書法と呼ばれ、創作の常套手段であります。
ーー 今日は、私の特別な男友達を紹介します。
彼はとても勉強熱心な医師で、詩と音楽を愛する素晴らしい人です。
それな彼も、戦争が始まってからは前線の野戦病院で働かされ、大変な苦労をされています。
彼は私に手紙でそこの現状を教えてくれ、多くの人に伝え広めて欲しいと記しています。
この手紙は今も大事に取っているので、それを要約し公開させて貰います。
『 敬愛する詩人 パールへ
私は今、激戦の末に占領したマリウポリの野戦病院で働かされています。
貴女は海外メディアの情報を得られるので、この街の状況が如何に酷いかはご存知かと思います。
数百人の女性や子供が避難していた劇場が爆撃されて、戦時下では医療体制が崩壊していた為、その殆どが助からなかったコトも知っている筈です。
地獄と化したマリウポリの医療は、私たち僅か10数名の徴収された若い軍医達に委ねられましたが、これが一体どんな仕事かは、たとえ貴女でも想像がつかないでしょう。
初めは精力的に命を救おうとしていた仲間達も、その多くが数日間で燃え尽きてしまいました。
正気を保つにはどうしても休む必要があり、それは即ち患者を見捨てるコトなのですが、ここでは割り切らなければ生きて行けません。
しかし、私は医師としての良心を捨てたくはなく、僅かですがこの手で救えた命があるコトを誇りにしています。
この戦争はまだまだ続きそうで、近頃はロシア兵の死傷者も急増しています。
この私と同年代の若者達は、その多くが無知で、自分がなぜ戦っているのかを理解していません。
それは私にも解らず、彼等がなぜ死ななければならないのか、毎晩ずっと考えてしまい眠れなくなります。
私がなんとか自分の精神をケア出来ているのは、音楽と詩のお陰です。 インターネットで貴女のブログが読めなくなったのは非常に悲しいですが、こうして前世紀の手法で繋がれたのは、私にとって非常に嬉しいコトです。
貴女にはどうか、広い世界に私達の苦しみを伝えて欲しく、真の平和への道を見付けて欲しいと願っています。
どうかお元気で! レオニード-パステルナーク 』
どうか彼に神の祝福がありますように。 ーー