まずは、女系(母系)社会について優れた考察を述べている「ナチュラル・ハーモニー」のコラムをもう1つ挙げます。
ここでは中国奥地のモソ族の女系社会が紹介されており、そこでもやはり結婚制度はなくて、男女はコトを自由奔放に行い、出来た子供は母親の家族が面倒を見るそうです。
こうした女系社会は日本でも平安時代まで存在し、「源氏物語」ではその奔放な性がフィーチャーされています。
しかしそんな雅(みやび)な社会は、野蛮で格式張った男系社会によって葬られてしまいました。
コラムの著者はこの「男性革命」こそが、政治と宗教を堕落させて世界を戦争の渦に落とし込んだとしており、新たな「女性革命」が地球には必要だとしています。
この考えにわたしは賛同し、今もベラルーシで起っている「女性革命」にはもっと多くの日本人に注目して欲しく思います。
このコラムからは如何に、男系社会の権力者が横暴に振る舞うかが伺われ、それは最近BSドキュメンタリー「プーチンの陰で オリガリヒの闇を暴く」でも映し出されていましたが、これは「頭の悪い金持ちぐらい始末に負えぬ者はない」(河島英五「モサクどんの運動会」)という歌詞が正にそのまま当てはまります。
果たして人類は、こうした野蛮な近代史を積み上げて来た、男系社会の「悪しきカルマ」を克服できるのか?
その答えは、如何に古代の雅な女系社会の記憶を蘇らせるかに懸かっていると思え、これを物語のテーマにしたいと思っています。