家の裏手に茶の木が5本ほどある。植えたのは随分前になるが、低木のまま、それでも今の季節になると、
きまって白い3センチほどの小さな花をつけます。
茶の花はいつもうつむき加減に咲く。背丈が低いうえにうつむいているので、カメラに納めるのは苦労する。
地面に這いつくばるようにしないと、撮れないのです。
今日もボケボケの撮れよう・・・
茶の花・・・茶の木の花 というべきなのか?この花が咲き出す頃になると、
とおい子供の頃のことを思い出す。
小学校2年生の秋、母に連れられて知らない家に行った。
瀟洒な日本家屋のお茶室に通されると、床には黒竹の小ぶりの花瓶に
茶の花が挿してあったことを鮮烈に覚えている。
後でわかった事だが、そこは表千家の茶道を教えているお宅だった。
母が先生とどういう話をしたのか・・・などは、いっさい覚えていなくて、
この白い花だけが頭に残っている。
それから私は週一回、この先生のところへお稽古に通うことになる。
自分の意志が入っていたのかどうかも定かではないが、「行く?」と聞かれて
何もわからずにウンと答えたのだろう。
それより前に子供のやーやは襖の開け閉めをガタピシャとする・・・と
父には怒られていた覚えがある。
女の子はおとなしく、静かに・・・そんな時代だった。
とはいえ、遊びたい盛りの時期なのに、お稽古に通うことは少しも嫌ではなかった。
部屋の歩き方からはじまり、やさしく教えてもらった覚えがある。
休まずに通ったのは、お稽古でだされるお菓子に惹かれたのかもしれない。
なにせ、最年少だったので、先生にも、きれいなお姉さん方にも可愛がってもらった。
(今となってわかるのだが、花嫁修業中の若い人が沢山おられた)
お正月には初釜なども経験したのだが3年ほど経って、家が引越しをしたことで、
お稽古にも終止符がうたれた。
白い茶の木の花と共に、思い出されるのはやさしくしてもらった
記憶と、きれいなおねえさんたちの甘い匂い・・・
秋の午後の、コーヒタイムのひとときです。
でもね~3年あまりもお稽古に通ったのに、肝心のお手前の方は
袱紗さばき以外、全然覚えていない!!
お粗末な顛末でした~~
今の子供たちにも習わせたいですね。生活の全ての基本が合理的に組み込まれていますよね。茶道の中には・・・・
私も大人になってから少しだけ表千家をかじりました。楽しかったです。
お茶の花で思い出すなんてなんて素晴らしいことでしょう。
私も会社のクラブで3年ほど、裏千家の真似事をした事があります。
同じ課の女性(おばさんですよ)に誘われたのですが、今では大方忘れてしまいました。
が、お茶席には躊躇せずに座る事が出来ます・・・・・?
お稽古へ通った!ことだけが思い出になっています(笑)
大人になり常識として茶道を知って、{あゝあの時のことは
そういうことだったのか}とふと感じたりすることは
あります。
生活の基本となることが茶道には確かにありますね~
その頃を思い出していただけましたか。
>お茶席には躊躇せずに座ることができ・・<
これは大きいですよ。
私にもそういう気持ちは少しありますが、作法を、たとえ間違ってもお茶の席では
文句を言われない、ご自由に・・・という
精神的な安心感の方が強いのかもしれません。
今の子供たちは、忙しすぎるのかしら・・・
なんだか、そのへんは可愛そうな気がします。
お茶、中学時代部活で表千家を習いました。
友人は着物を着るチャンスがあると
最近始めたり、定年後本格的に教えたりと☆
時間があれば始めたい世界ですね。
大人になってお茶会で知らずに先頭に座って
恥をかいた苦い思い出が!
本気で何にもわかりませんと挨拶。
今でも顔が赤くなる思い。
おいでだと思います。
お茶をやっていれば、今でも着物を着る機会は多いことでしょうね。
最近は茶道サークルでも、男性も多いようです。
ゆうさんの、お茶会での体験 ご自分では恥ずかしいと思われたかもしれませんが
お招きした亭主からしたら、全然気にすることではないと
いうことです。
その場でも、きっとうまくフォローされたことと想像しますが・・・
次の席に回って皆さん末席と先頭を譲りあって中の席に座るのを見て初めて気がついたのでした。
先頭の先生らしき何でも知った方が何もわかりませんがと挨拶。
もう忘れていますが花や料理、調度品、和菓子と触れ合い、着物を着るチャンスのあるお茶は憧れです。