JDさんのブログ

頑張りたくても自律神経の乱れであまり無理はできず…。日々の発見や不安について書いてます!

改めて...

2018-11-07 12:00:18 | 日記
今日の昼、同じフロアで突然生徒が倒れた。


現場には大勢の生徒、そして先生...。

その生徒は車椅子ではなくて担架で運ばれていった。

私の横を通ったその生徒は、苦しそうな表情をしていた。




文字に起こせばたった数行のことだけれど、この出来事は衝撃的だった。

その場で救急車が呼ばれていなかったことから考えて、すぐに命に関わるような出来事では無い、とわかったとはいえ、現場の緊張感にとても耐えられそうに無かった。

私の知り合いでは無かったし、私は野次馬に過ぎなかったけれど...。

「あぁ、最後に命を守るのは養護教諭なんだ」

と改めて感じた。


その現場にいち早くついたのが私の数学の先生だったらしい。

職員室の座席的に一番出やすかったんだと思う。

でも、私はその先生が格好いいと思った。

学年主任、養護教諭、管理職の中に一人、若い数学の先生がいたからだ。

だれかの命を守るために、いち早く行動できる人ってそんなにいないと思う。

「誰かが行くからいいよね」

といって人任せにしがちだった私だからこそ、眩しく見えた。

それなのに、その先生は

「もっとできることがあったんじゃないか」

と反省していた。

意識があるかの確認しかできなかったからだという。

現場に養護教諭がついて、衣服を緩めたり、楽な体制にしたらしい。

しかし、養護教諭は学校における心身のエキスパートであり、応急処置体制の中心的役割を担っているのだから、それ以外の先生以上のことができるのは普通のことだと思う。

裏を返せば、養護教諭ではない先生が養護教諭と同等のことができるケースはない、もしくはあっても非常に稀なことだ、ということであり...。

今回のケースにおいては、なによりも先生(大人)が駆けつけてくれたことによる安心感を与えられたことに大きな意味があると思う。


とはいえ、生徒の命が本当に危なくなったとき...例えばアナフィラキシーショックや致死性不整脈が起こったときには、養護教諭を待っている間にも救命率は目減りしていく。

そういうときには養護教諭を待たずに処置を始めてほしい。

養護教諭が近くにいるとは限らないし...。

しかし、自分で興味を持たない限り応急処置について学べる機会はそう多くないのが現実。

また、応急処置の常識は定期的に変化していくため、情報を更新する場があれば良いと思う。

今回の数学の先生のように、もっと勉強したいと思っている人がいるのに、学ぶ場がないのはとても残念なことなのではないか...

だからこそ、私は看護学部に行って専門的な知識を身につけ、教員向けの講習を開くのが理想。

学校で開ければ、外部で行うよりも参加しやすいと思う。

また、心肺蘇生法について学ぶ機会は多くても、近年増加傾向の見られる熱中症の処置について学ぶ機会はかなり少ないため、学びたいと思っている人が多いようだ。

教員側のニーズに沿った講習を展開できるように、勉強していきたい。

心身のことに関しては看護学部が一番詳しいから、こういったことを展開するためには教育学部じゃない方がいいんだよね。

というわけで入試に向けて頑張ろうーーー!!