こんばんは。
お久しぶりです。
最近あまり明るいブログを書いていないような気がするのですが・・・今日はタイトル通り悲しい話について書きます。
ひたすら悲しくて感情を吐き出すために書くので、支離滅裂になってしまいそうな予感・・・
でも書かずにはいられません。
こんな悲しいことがあっていいものか・・・。
昨日の15時半ごろ、立て続けにニュース速報が入りました。
私は音楽の日をみていたので、
「またコロナの話か~・・・音楽を聴いてるのに速報の音が邪魔だ」
と思っていました。
案の定1件目の速報はコロナウイルス関連でした。
それからほどなくして知らされた2度目のニュース速報。
またコロナだろう。今度は神奈川あたりのニュースか。
そう思っていたのに。
まさかのニュースでした。
青天の霹靂とはこのことを言うんだろうなと思いました。
一緒にテレビを見ていた母親、弟とともに絶句しました。
「俳優の三浦春馬さんが死亡 自殺とみられる」
我が家、とくに母は三浦春馬さんのファンで、誰も何も言えませんでした。
これほどまでに内容が理解できないニュース速報は初めてでした。
その場にいた誰もが嘘だと思った。
信じられるはずもないと思った。
これは誤報だ。
きっと夢なんだ。
だって考えられないじゃないか。
あり得るわけない。
急いで開いたTwitterでも似たような反応が飛び交っていました。
でも、音楽の日も何事もなかったかのように進行していて、私はバイトがあったので信じられないままでした。
バイト中に取り乱すわけにはいかないし、いつも通りの日常を送るので精一杯でした。
ただ、バイトから帰ってきてからもテレビは三浦春馬の話題で持ち切り。
音楽の日で城田優さんが涙を流していたこともあり、徐々に現実感に襲われました。
つい最近もテレビで見たばかりで、これからもドラマや映画が決まっていたはずで、何より数日前までは「生きていた」じゃないか。
知り合いでも何でもないけど、「三浦春馬という人間がこの世にいない」ということが信じられませんでした。
これから彼が出演する新作は一生見ることができないなんて。
彼を見ることができるのは過去の映像でだけ。
現在はもちろん、未来に三浦春馬の映像が流れることは絶対にない。
これまで作品の中で亡くなる彼を見たことがある分、それが現実だなんてどうしても思えない。
しかも闘病中だったわけでもなく、あまりにも突然すぎる。
テレビで見ている限りでは、もうすぐ死んでしまう人にはどうしても見えなかった。
本当にただただ信じられないんです。
まだ30歳で、これから未来があったはずの人に「死亡」という文字があまりにも似合わなくて。
この世界のどこかには必ず存在していたはずの彼がもういないなんてどうしても想像できなくて。
実感のない死はこれが2回目で、きっとこれからもずっと受け止められないままなんだろうなと思います。
笑顔が素敵でさわやかでとても格好良かった三浦春馬さんがこの世にいない世界線なんて、誰が想像していたんでしょう。
30歳という年齢はこの世から去るには早すぎる。
ひたすら悲しいです。
何があったのかは調査中で、もし仮に詳しいことが分かったとしても報道されるとは限りません。
ネット上でも様々な憶測が飛び交っていますが、それは憶測でしかありませんし、死を選んだときの心情はどうやっても本人にしか理解できないものです。
ただ一つ確かなのは、「死を選ばざるを得なくなるほどの何かがあった」ということだけです。
三浦春馬さんがどんな気持ちでいたのか、最後に何を思ったのかはわからないし、理解できるとも思えません。
華やかな職業で様々な人の目にさらされていた三浦春馬さんと、このブログを書いている女子大生の悩みが同じ次元だとも思っていません。
しかし、死にたいと思うほどに追いつめられる気持ちを抱いたことがあるのは同じです。
私はなんだかんだと理由をつけて生き延びていますが、死にたい気持ちと闘っていたことも確かなんです。
「生きていても全然楽しいことなんかなくて、それなら死んで全部終わりにした方が楽になれる」
この気持ちが死にたいと思う原因だったのかなと思います。
そしてそんな気持ちにならざるを得ないような辛い出来事があったんだと思います。
少なくとも私はそうでした。
生きていることへの希望がないから死にたかった。
辛い気持ちになりたくないから死にたかった。
迷惑をかけたくないから死にたかった。
味方になってくれる人なんてどこにもいないと思っていたので。
思っていただけで本当は違ったんですけどね・・・。。
Twitterで「彼がした選択だから間違いだなんていいたくない」といった趣旨のツイートを見かけました。
確かにその通りです。
でも生きていてほしかった。
自殺をしてほしくなかった。
欲を言えばこれからもいろんな作品に出て、もっと多くの舞台で活躍してほしかった。
彼の死が与えた影響は計り知れなくて、何より多くの人の悲しみの声があふれていました。
どうして力になれなかったんだ、と悔やむ声も多く聞きました。
もしかしたら・・・味方に気付けないほど追い込まれていたのかもしれないと思いました。
「力になれていたら」
「話を聞いてあげられていたら」
「連絡してあげられていたら」
全部たらればの話で、きれいごとかもしれません。
現に三浦さんは亡くなってしまったわけですから。
でも、三浦春馬さんの死で悲しんでいる人、後悔している人がいることもまた事実です。
私はとても悲しいです。
そこらへんにいるただの女子大生ですが、悲しいです。
未だに気持ちの整理がつきません。
ファンだったこともそうですが、一人の人間が亡くなられたことが悲しくて仕方ないんです。
私は基本的に人の死に引きずられます。
今回もしばらくは人の死について延々と考える日々が続くと思っています。
ただ今回の件に関しては自分も死にたい、というよりはちゃんと生きなくてはいけないな、という方向です。
少なくとも、三浦春馬さんは自分以外の誰かに死んでほしいとは思っていないと思うんです。
むしろ逆・・・もっと生きやすい世の中になってほしい、とそう思っていたんじゃないか・・・深読みしすぎだとは思うんですけど、そんな気もします。
今回の件を機に生きるとは何か、死ぬとは何か、改めて考えなくてはいけないなと思いました。
最後になりますが。
三浦春馬さん。
今まで数々の素敵な作品、幸せな時間をありがとうございました。
私はあなたの存在に何度も救われました。
早すぎる、そしてあまりにも惜しい死ですが、どうか安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。
まさか私が20歳になる前に、三浦春馬に向けて「安らかにお眠りください」なんて言うと思わなかった。
改めて書くと衝撃的だな・・・。
これからも彼の素敵な作品のことは忘れないようにしよう。
そして私は一人でも多くの人の心や命を救えるような養護教諭になろう。
お久しぶりです。
最近あまり明るいブログを書いていないような気がするのですが・・・今日はタイトル通り悲しい話について書きます。
ひたすら悲しくて感情を吐き出すために書くので、支離滅裂になってしまいそうな予感・・・
でも書かずにはいられません。
こんな悲しいことがあっていいものか・・・。
昨日の15時半ごろ、立て続けにニュース速報が入りました。
私は音楽の日をみていたので、
「またコロナの話か~・・・音楽を聴いてるのに速報の音が邪魔だ」
と思っていました。
案の定1件目の速報はコロナウイルス関連でした。
それからほどなくして知らされた2度目のニュース速報。
またコロナだろう。今度は神奈川あたりのニュースか。
そう思っていたのに。
まさかのニュースでした。
青天の霹靂とはこのことを言うんだろうなと思いました。
一緒にテレビを見ていた母親、弟とともに絶句しました。
「俳優の三浦春馬さんが死亡 自殺とみられる」
我が家、とくに母は三浦春馬さんのファンで、誰も何も言えませんでした。
これほどまでに内容が理解できないニュース速報は初めてでした。
その場にいた誰もが嘘だと思った。
信じられるはずもないと思った。
これは誤報だ。
きっと夢なんだ。
だって考えられないじゃないか。
あり得るわけない。
急いで開いたTwitterでも似たような反応が飛び交っていました。
でも、音楽の日も何事もなかったかのように進行していて、私はバイトがあったので信じられないままでした。
バイト中に取り乱すわけにはいかないし、いつも通りの日常を送るので精一杯でした。
ただ、バイトから帰ってきてからもテレビは三浦春馬の話題で持ち切り。
音楽の日で城田優さんが涙を流していたこともあり、徐々に現実感に襲われました。
つい最近もテレビで見たばかりで、これからもドラマや映画が決まっていたはずで、何より数日前までは「生きていた」じゃないか。
知り合いでも何でもないけど、「三浦春馬という人間がこの世にいない」ということが信じられませんでした。
これから彼が出演する新作は一生見ることができないなんて。
彼を見ることができるのは過去の映像でだけ。
現在はもちろん、未来に三浦春馬の映像が流れることは絶対にない。
これまで作品の中で亡くなる彼を見たことがある分、それが現実だなんてどうしても思えない。
しかも闘病中だったわけでもなく、あまりにも突然すぎる。
テレビで見ている限りでは、もうすぐ死んでしまう人にはどうしても見えなかった。
本当にただただ信じられないんです。
まだ30歳で、これから未来があったはずの人に「死亡」という文字があまりにも似合わなくて。
この世界のどこかには必ず存在していたはずの彼がもういないなんてどうしても想像できなくて。
実感のない死はこれが2回目で、きっとこれからもずっと受け止められないままなんだろうなと思います。
笑顔が素敵でさわやかでとても格好良かった三浦春馬さんがこの世にいない世界線なんて、誰が想像していたんでしょう。
30歳という年齢はこの世から去るには早すぎる。
ひたすら悲しいです。
何があったのかは調査中で、もし仮に詳しいことが分かったとしても報道されるとは限りません。
ネット上でも様々な憶測が飛び交っていますが、それは憶測でしかありませんし、死を選んだときの心情はどうやっても本人にしか理解できないものです。
ただ一つ確かなのは、「死を選ばざるを得なくなるほどの何かがあった」ということだけです。
三浦春馬さんがどんな気持ちでいたのか、最後に何を思ったのかはわからないし、理解できるとも思えません。
華やかな職業で様々な人の目にさらされていた三浦春馬さんと、このブログを書いている女子大生の悩みが同じ次元だとも思っていません。
しかし、死にたいと思うほどに追いつめられる気持ちを抱いたことがあるのは同じです。
私はなんだかんだと理由をつけて生き延びていますが、死にたい気持ちと闘っていたことも確かなんです。
「生きていても全然楽しいことなんかなくて、それなら死んで全部終わりにした方が楽になれる」
この気持ちが死にたいと思う原因だったのかなと思います。
そしてそんな気持ちにならざるを得ないような辛い出来事があったんだと思います。
少なくとも私はそうでした。
生きていることへの希望がないから死にたかった。
辛い気持ちになりたくないから死にたかった。
迷惑をかけたくないから死にたかった。
味方になってくれる人なんてどこにもいないと思っていたので。
思っていただけで本当は違ったんですけどね・・・。。
Twitterで「彼がした選択だから間違いだなんていいたくない」といった趣旨のツイートを見かけました。
確かにその通りです。
でも生きていてほしかった。
自殺をしてほしくなかった。
欲を言えばこれからもいろんな作品に出て、もっと多くの舞台で活躍してほしかった。
彼の死が与えた影響は計り知れなくて、何より多くの人の悲しみの声があふれていました。
どうして力になれなかったんだ、と悔やむ声も多く聞きました。
もしかしたら・・・味方に気付けないほど追い込まれていたのかもしれないと思いました。
「力になれていたら」
「話を聞いてあげられていたら」
「連絡してあげられていたら」
全部たらればの話で、きれいごとかもしれません。
現に三浦さんは亡くなってしまったわけですから。
でも、三浦春馬さんの死で悲しんでいる人、後悔している人がいることもまた事実です。
私はとても悲しいです。
そこらへんにいるただの女子大生ですが、悲しいです。
未だに気持ちの整理がつきません。
ファンだったこともそうですが、一人の人間が亡くなられたことが悲しくて仕方ないんです。
私は基本的に人の死に引きずられます。
今回もしばらくは人の死について延々と考える日々が続くと思っています。
ただ今回の件に関しては自分も死にたい、というよりはちゃんと生きなくてはいけないな、という方向です。
少なくとも、三浦春馬さんは自分以外の誰かに死んでほしいとは思っていないと思うんです。
むしろ逆・・・もっと生きやすい世の中になってほしい、とそう思っていたんじゃないか・・・深読みしすぎだとは思うんですけど、そんな気もします。
今回の件を機に生きるとは何か、死ぬとは何か、改めて考えなくてはいけないなと思いました。
最後になりますが。
三浦春馬さん。
今まで数々の素敵な作品、幸せな時間をありがとうございました。
私はあなたの存在に何度も救われました。
早すぎる、そしてあまりにも惜しい死ですが、どうか安らかにお眠りください。
ご冥福をお祈りいたします。
まさか私が20歳になる前に、三浦春馬に向けて「安らかにお眠りください」なんて言うと思わなかった。
改めて書くと衝撃的だな・・・。
これからも彼の素敵な作品のことは忘れないようにしよう。
そして私は一人でも多くの人の心や命を救えるような養護教諭になろう。