yurikago-sa

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四国八十八ケ所 第四十九番札所 浄土寺

2014年10月06日 | 日記

四国八十八ケ所霊場 ご開創1200年記念のバスツアー巡拝 第8回  

平成26年7月28日 天気雨  第四十九 西林山 浄土寺を参詣しました

浄土寺は 女帝 孝謙天皇(在位749〜758)の勅願寺として 恵明上人が 

行基菩薩が刻んだ 釈迦如来像を本尊として祀り 開創され その後 弘法大師がこの寺を訪れ、

荒廃していた 伽藍を修復して 法相宗から真言宗に改宗して 霊場に定められました 

その後も度重なる火災 兵火で焼かれ 現在の本堂は 

1482年に 領主 河野道宣公によって 再建されたそうです

 

浄土寺境内

仁王門

 

 金剛力士像

 

手水場 その後ろ小さいお堂 弁天堂(音楽 学問 福徳の神さま) 

さらに後ろ 庫裏と納経所の建物

 

鐘楼

  

    仁王門から石段を上がった正面に 本堂              縁先に びんずるさま

ご本尊は 行基作の 釈迦如来 秘仏です

悟りが開け 煩悩が消え 智慧と慈悲の仏さまです

本堂は 1482年に 領主河野通宣公よって再建され

本堂と 内陣にある 一間厨子は 国の重要文化財に指定されています

    

   本堂と大師堂の間に地蔵尊 大師像

本堂右に 大師堂

本堂の左に 阿弥陀堂

阿弥陀堂の前に 愛染堂

愛染明王が祀られ 縁むすび 夫婦円満のご利益があります

団体遍路は なるだけ正面を避け 本堂に向かてお勤めをします

 

正岡子規 句碑

「霜月の 空也は骨に 生きにける」

空也の肉体は 白骨となっても 人々の胸には念仏の教えが 今も生きている

 

 空也上人像(ダウンロード画像)

空也上人は浄土寺に 957~960年の3年間滞在され 上人がこの地を去る時に

村人の願いで 高さ130㎝の 「南無阿弥陀仏」の6文字の念仏を 

小さな像に表現して 口から出ている象を 自から彫って寄進されたそうです

 像は京都の西国六波線密寺と 国内に2体だけしかなく 国の重要文化財に指定されています 

空也上人は浄土教の先達で 平安時代の中ごろ 諸国を巡り 「南無阿弥陀仏」を

 踊riりながら 唱えて人々に念仏を広め 道・寺・井戸・橋なども造り 人々を救済されたそうです

 

 白象の句碑

「お遍路や 杖を大師と たのみつつ」

 愛媛県温泉郡重信出身の 高野山管長 森寛紹大僧正(白象)が

 ご子息を亡くされ 巡拝されたとき 詠まれたそうです

 つぎ今回の結願寺 50番札所 繁多寺まで 約3km バスで約5分です

おしまい