平成26年4月14日 第三十三番 高福山 雪蹊寺を参詣しました
雪蹊寺は782~806年間 弘法大師の開基とされ 当初は真言宗の霊場「高福寺」と
号していましたが その後 鎌倉時代の仏師 運慶と長男湛慶(たんけい)が訪れ
本尊に薬師如来 他毘沙門天を刻み 安置したことから「慶運寺」と改めていましたが
一時荒廃となり その後 戦国時代 長宗我部元親が 月峰上人を招いて再興し
1599年元親の死後 4男の盛親が長宗我部の菩提寺 元親の法号「雪渓恕三」に
ちなんで「雪蹊寺」と改めたのが 寺号の由来となり
明治の廃仏毀釈で一時 廃寺となり 明治12年に再興されているそうです
石柱の門
雪蹊寺は 四国八十八ヶ所霊場のうち 2ヶ寺しかない 臨済宗妙心寺派のお寺です
雪蹊寺 境内図
門を入ると すぐに 山本玄峰老師の像
失明の身で 裸足で四国霊場を巡り中 雪蹊寺の前で 行き倒れになり
山本太玄住職に助けられ 後に雪蹊寺の十八代目住職になった逸話があります
玄峰老師が 失明でありながら 書いた師匠の十七代目 山本太玄住職の供養塔
つづいて 墓石 地蔵群があります
修行大師像
手水場 と 休息所 手水場にも修行大師像が佇んでいます
通夜堂
雪蹊寺十八代住職 山本玄峰師は 通夜堂に泊り 大玄師匠から
「心眼を開け」と悟されたと言います
山本玄峰師は 後に多くの寺を復興させ 臨済宗妙心寺派本山 妙心寺館長になられた方です
安産堂
安産地蔵が祀られ 安産祈願に多くの人が参拝されるそうです。
観音堂
旅の安全を守る 馬頭観音菩薩が祀られ お遍路さんに信仰されています
客殿 ・ 納経所
門を入って右手に 鐘楼
次に 大師堂 があります
正面に 本堂 平成16年に再建されました
雪蹊寺は四国八十八ヶ所霊場のうち 2ヶ寺しかない臨済宗妙心寺派の寺院であり
ご本尊 薬師如来と 脇侍仏 日光月光菩薩は 鎌倉時代の 仏師として名高い
運慶作で 運慶子湛慶作の 毘沙門天 吉祥天女 善膩師童子も安置され 共に国の重要文化財です
鰐の口
「早朝 悟りのない 夢を 鐘の音に破られ 夕べの鐘の音は 修行をして
清く 汚れのない悟りの心境で 聴く」という意味の銘が書かれているそうです
おびんずるさま
お釈迦様の一番弟子で 撫で仏とも言われ 自分の痛むケ所を左手で
右手で 撫で仏のケ所を同時に撫でると ご利益があるそうです
頭も撫でると良くなるそうで 学力向上に も信仰されているそうです
台座に「摂津国 西宮町 遊郭中」と彫っています。遊郭で働いていた方たちの 寄贈 だそうです。
今日はお天気が良かったので 境内に 出店屋さんが 店を出していました
バスツアー巡拝 5回目は 平成26年4月14日 27番~ここ33番で打ち止めです
おしまい