あちら立てればこちらが立たぬ。今、その「あちら」と「こちら」が熾烈なつばぜり合いを演じている。
「あちら(イラン)」は、「ウランの濃縮度を(核合意によって定められた)上限の3.67%から引き上げる作業に着手した」と発表した。これは「そのうち核兵器を作ってしまうぞ」と言明したに等しい。
これに対して、「こちら(アメリカ)」は、トランプ大統領が「イランは気を付けた方がいい」と警告した。ペンス米副大統領も「米軍は準備を整えている」と強調した。これは「気をつけろよ、ぶっ殺すぞ」と啖呵を切ったに等しい。
こうなれば、武力衝突は必至の成り行きである。この場合、戦争への道を選択した「こちら(アメリカ)」の判断は、充分に合理的であり、決して間違ってはいないと言うべきだろう。「あちら(イラン)」が核兵器を手に入れれば、それは確実な抑止の城壁になる。相手を攻撃するなら、この城壁が完成するまでがチャンスだということになる。
アメリカがそう判断するだろうことは、あちら、イランにもわかるはずだ。「核兵器を作るぞ」という言明が、戦争への誘い水になることは、イランにもわかるはずだということである。「あちら」と「こちら」が戦争をすることになれば、その責めはどちらの側にもあると言わなければならない。
核武装したイランに脅威を感じる点ではヨーロッパ諸国も同じだが、イギリスやドイツはアメリカとは違い、非難声明を出すににとどめて、武力行使の構えは示さない。それはなぜかといえば、イギリスやドイツが戦争の悲惨さをよく知っているからではないだろうか。イギリスやドイツの国民は、自分の国土が戦場になった無残な経験から、戦争の残酷さ、悲惨さを身をもって知っている。だから彼らは、「戦争は何としても避けなければならない」と考えるのではないか。
これとは違い、アメリカは自分の国土が戦場になった経験を持たない。この国がやたら好戦的なのは、もしかすると戦争経験の違いによるのかも知れない。
とすれば、「あちら」と「こちら」とが戦争に至るのを回避する手立ては、両国に戦争の悲惨さを実感してもらうのが一番だということになる。
ま、一度戦争をして、その悲惨さを経験すれば、どちらも「戦争は避けなければ」と思うようになるに違いない。ならば、そのタイミングは早いほうが良い。バトルが核戦争へと発展する前、つまりイランが核武装をする前、ーーということは、やるのは今だということになる。天邪鬼爺はそう考えるのだが、いかがだろうか。
「あちら(イラン)」は、「ウランの濃縮度を(核合意によって定められた)上限の3.67%から引き上げる作業に着手した」と発表した。これは「そのうち核兵器を作ってしまうぞ」と言明したに等しい。
これに対して、「こちら(アメリカ)」は、トランプ大統領が「イランは気を付けた方がいい」と警告した。ペンス米副大統領も「米軍は準備を整えている」と強調した。これは「気をつけろよ、ぶっ殺すぞ」と啖呵を切ったに等しい。
こうなれば、武力衝突は必至の成り行きである。この場合、戦争への道を選択した「こちら(アメリカ)」の判断は、充分に合理的であり、決して間違ってはいないと言うべきだろう。「あちら(イラン)」が核兵器を手に入れれば、それは確実な抑止の城壁になる。相手を攻撃するなら、この城壁が完成するまでがチャンスだということになる。
アメリカがそう判断するだろうことは、あちら、イランにもわかるはずだ。「核兵器を作るぞ」という言明が、戦争への誘い水になることは、イランにもわかるはずだということである。「あちら」と「こちら」が戦争をすることになれば、その責めはどちらの側にもあると言わなければならない。
核武装したイランに脅威を感じる点ではヨーロッパ諸国も同じだが、イギリスやドイツはアメリカとは違い、非難声明を出すににとどめて、武力行使の構えは示さない。それはなぜかといえば、イギリスやドイツが戦争の悲惨さをよく知っているからではないだろうか。イギリスやドイツの国民は、自分の国土が戦場になった無残な経験から、戦争の残酷さ、悲惨さを身をもって知っている。だから彼らは、「戦争は何としても避けなければならない」と考えるのではないか。
これとは違い、アメリカは自分の国土が戦場になった経験を持たない。この国がやたら好戦的なのは、もしかすると戦争経験の違いによるのかも知れない。
とすれば、「あちら」と「こちら」とが戦争に至るのを回避する手立ては、両国に戦争の悲惨さを実感してもらうのが一番だということになる。
ま、一度戦争をして、その悲惨さを経験すれば、どちらも「戦争は避けなければ」と思うようになるに違いない。ならば、そのタイミングは早いほうが良い。バトルが核戦争へと発展する前、つまりイランが核武装をする前、ーーということは、やるのは今だということになる。天邪鬼爺はそう考えるのだが、いかがだろうか。