もういい加減にしてくれ。そう思っているのに、きょうになってもまだ止まらない。またしても、出た。きょうこそ無粋なコロナ・ネタは終わりにしたいと思っていたが、サイト「リテラ」の記事を読んで、こいつは見過ごせないぞと、暗澹たる気分になった。
この記事《クルーズ船の厚労省職員を「感染者が増えるのは嫌」と検査せず…国内感染者増加を隠蔽する安倍政権、検査数は韓国の20分の1》は、次のように書いている。
「問題はなぜ検査をしなかったのか、という理由だ。TBSによると、一時は厚労省内でも検査が検討されたが、『陽性者が多く出た場合の業務への影響を懸念して』見送られたという。
検査というのは陽性の感染を見つけるためにするものなのに、『検査をしたら陽性になるかもしれないから検査をしない』って、どうかしているとしか思えない。」
私がこの記事を読んでショックを受けたのは、ここで指摘された事実に、安倍政権の本質が見事なまでに露呈していると感じたからである。「隠蔽すれば、無かったことにできる」、「頬かぶりすれば、見つからない」。小学生じみたこの考え方こそ、安倍政権の本質そのものと言わなければならない。
数年前のモリカケ問題が明らかにしたように、安倍政権は(「独裁的政権の横暴」とも言うべき)我田引水の事実を無かったことにするために、配下の官僚を総動員し、必死になってこの不都合な事実を隠蔽しようとした。事実を隠蔽すれば、その事実は無かったことにできる。そう考えたのだ。
幼稚きわまりないこの考え方が、クルーズ船のコロナ対策問題へと場所を変え、「感染拡大の可能性」という具体的な危険性を伴う形で現れるのを見ると、私は、政権に(ウイルスのように)蔓延するこの考え方が毒性を持つとんでもない考え方であると、改めてそう思わざるを得なかった。その意味で、きょうの「リテラ」の記事は、見過ごせない重大問題を提起しているとみるべきなのである。
この記事《クルーズ船の厚労省職員を「感染者が増えるのは嫌」と検査せず…国内感染者増加を隠蔽する安倍政権、検査数は韓国の20分の1》は、次のように書いている。
「問題はなぜ検査をしなかったのか、という理由だ。TBSによると、一時は厚労省内でも検査が検討されたが、『陽性者が多く出た場合の業務への影響を懸念して』見送られたという。
検査というのは陽性の感染を見つけるためにするものなのに、『検査をしたら陽性になるかもしれないから検査をしない』って、どうかしているとしか思えない。」
私がこの記事を読んでショックを受けたのは、ここで指摘された事実に、安倍政権の本質が見事なまでに露呈していると感じたからである。「隠蔽すれば、無かったことにできる」、「頬かぶりすれば、見つからない」。小学生じみたこの考え方こそ、安倍政権の本質そのものと言わなければならない。
数年前のモリカケ問題が明らかにしたように、安倍政権は(「独裁的政権の横暴」とも言うべき)我田引水の事実を無かったことにするために、配下の官僚を総動員し、必死になってこの不都合な事実を隠蔽しようとした。事実を隠蔽すれば、その事実は無かったことにできる。そう考えたのだ。
幼稚きわまりないこの考え方が、クルーズ船のコロナ対策問題へと場所を変え、「感染拡大の可能性」という具体的な危険性を伴う形で現れるのを見ると、私は、政権に(ウイルスのように)蔓延するこの考え方が毒性を持つとんでもない考え方であると、改めてそう思わざるを得なかった。その意味で、きょうの「リテラ」の記事は、見過ごせない重大問題を提起しているとみるべきなのである。