年末年始に久しぶりに建築・ビジネス関係以外の本を読みました。日常では当然自宅にも仕事を持ち込みますので、仕事に関係しない本を読んだり、たまには映画を借りてきて観たいとは思うのですが、2時間も自宅でのんびりする心の余裕がありません。常に仕事や知識を前に進めておかないと気が済まないのです。
ところが昨年の11月に「日本は侵略国家ではなかった」という趣旨の論文が発表されました。それも自衛隊のトップが書いたということで問題になり、大変気になっていたのです。そこで、その田母神氏の著書が発売されたので購入しておき、この問題を取り上げた雑誌も年末年始に読んだのです。
私の関心はもちろん自衛隊のトップが何を言いたかったのか?です。一般的な歴史認識、政府見解と異なる意見を自衛隊のトップがなぜ発表したのか?クーデターを企て、戦争を美化する危険人物ではないのか?
国会での答弁、テレビ番組の出演も観ましたが、戦いを望む危険人物ではなく安心しました。もちろん非武装を望む側からは反対意見が出るのは当然ですが、氏の国防という最前線に立っていた立場からは、あらゆる制約でがんじがらめの中途半端な自衛隊を戦える軍隊にし、日本も核武装すべきだ、という意見は当然です。
喧嘩で考えると、やったらその何倍もやり返される滅茶苦茶強い相手にはなかなか喧嘩を仕掛ける勇気は出ません。田母神氏は戦争の抑止のために核武装も必要だ、と述べています。国を守るという観点からは当然だと思います。
戦争の世紀だと言われた20世紀でしたが、米ソの冷戦も終結し、理想論者からはこれからは人間のレベルが上がり21世紀は戦いのない平和な世界が訪れる、といわれました。しかし21世紀になっても世界では殺し合いが絶えず、テロが多発する世紀となっています。平和だった日本もいつ何が起こっても不思議ではない国となってしまいました。
理想を追求するならば、戦いを求めず、人類はみなひとつだ!と話し合いで解決する世界が理想です。青い地球はそうなっていかないといけません。しかし現実世界に目をやると、とても数百年くらいではそんな理想的な地球になるとは決して思えません。
被爆国である日本が核を持たず、戦争も放棄するというのは、他者の痛みのわかる素晴らしい国民性があってのことであり、誇りに思います。しかし、子や孫達次世代の将来を思うと、人類のあるべき未来に思いを馳せ、日本はこのまま理想を追求していくままでいいのか?それとも自国は自分達で守る軍備を強化していくべきなのか?もっと社会の中で議論していくべきであるように思います。
目先の国防を考えると核武装は必要であるかもしれません。他国との外交を有利に進めるために軍備を増強し、核武装するすることは目先の(現実)問題としては重要かもしれません。そうしないと、次世代にこの小さな独立国家日本は平和なままで残せないのかも知れません。
田母神氏が立たされていた現実世界の立場から氏の意見は正論です。しかし、今でも世界には人類が全滅するだけの核は装備されているはずです。そんなものを持つ人間とは恐ろしい存在です。数千年後には理想世界(ユートピア)がやってくるのか?それともそんな世界は夢幻でしかないのでしょうか?
現実と理想。これからも考えていきたいと思います。