『あまちゃん』22週、「おらとママの潮騒のメモリー」の感想まとめ。
その2、映画『潮騒のメモリー』、水口ぼこられる、主題歌『潮騒のメモリー』くらいまで。
(その1はこちら、前髪クネ男はこちら)
『あまちゃん』がいったん完結する、のかな。
関連リンク
・『あまちゃん』21週、ここまでずっと丁寧に描かれたからこそ、それぞれの『大逆転』に涙する。
・『あまちゃん』20週、勉さんと甲斐さん、2人の証人によって深まる物語。
・『あまちゃん』18週、太いものには巻かれない天野春子。
以前のもの、本放送当時の記事はこちら。
・朝ドラ感想記事のまとめ。
■その日
なんだかんだで堪えたのは、なんてことのないこのホワイトボードのワンカット。
公開日は「2011年3月5日」。
その日が近づいている。
今日はもしかしたら「その日」の前の日なのかもしれない。
ここまで131回かけて描かれた幸せが、それが崩れていくその日。
それでも前を向いていくのが人間。
走って走ってトンネル抜けて、最後にはみんなで歌うのが、『あまちゃん』。
■やっぱり春子さんは荒っぽい
東京からのFAXで、センチメンタルな北三陸の不良娘から、女社長に戻った春子さん。
電話越しに凄む太巻だけれど、もう怯まない。
過去を清算し、今の春子をしっかり見るという心持ちの表れか。
「なんとお礼を言ったらいいのかわからないので言いませんけど」
「うん、そうね」
何があっても巻かれそうにない春子と、ビビって笑うしかない太巻。こんなふたりだからこそ和解が待ち望まれる。
そして豹変。アキに対する笑顔、太巻に対する嫌味、板前に対する鬼の形相。
そしてこのあとに訪れるミズタクの眼鏡の悲劇。やっぱり「春子さん、荒っぽい」。
■ミズタク、ぼこられる。
「水口ボコられる」んだけど、
それをただボコられるのではなく……
『種に話す→回想→種に八つ当たり』の流れにして、ミズタク視点にしたのがうまいなって。
それでもなお「袖の春子」の追い込み方から描かれる心情もわかりやすい。
■「向いてない。向いてないけど、続けるのも才能よ」
「今日本で天野アキをやらせたら、あなたの右に出る女優はいません。向いてないけど続けるっていうのも才能よ。続けなさい」
たとえどんな好きな仕事でも
向いていないのかもしれない。
嫌なこともあるかもしれない。
辛い時もあるのかもしれない。
それでも続けろなさい。
自分に素直で正直で居続けなさい。
そんな鈴鹿さんの言葉はやがて鈴鹿さん自身を救うことになる。
それにしてもこの言葉、能年ちゃん本人に届くといいなって。
というか能年ちゃん本人はどんな思いで今の再放送を見てるんだろう。
厳しい朝ドラ撮影の現場の中で、この言葉が励みになったんだとといいな。
そういうメタ的な「愛」があるから、このドラマほんと好き。
本放送のときはあまり深く考えなかったんだけど、今にして思えばこの台詞。
『脚本家・宮藤官九郎』が『女優・能年玲奈』にあてた「たいしたもんだ」なのかもしれないなって。
そんな鈴鹿さんの言葉を受けて、喜ぶアキ。
初めてのお造りをふたりに届けるずぶん。涙を堪えている(堪えきれてない?)ミズタク。
ミズタク、原石が光り輝いてるよ。
■『あまちゃん』が描くもの
『潮騒のメモリー』の収録はじまる。
娘がスタジオで歌う姿に、かつての自分を重ねる春子さん。
北から出てきたあの日、北へ帰ろうとしたあの日。
春子さんのその日。
あれからいろんなことがあった。
あのタクシー運転手と結婚して、娘は成長して、母とも和解した。
『あまちゃん』の側面のひとつ、『春子さんの潮騒のメモリーの物語』。
一代記でも人情喜劇でもなく、「ひとりの女性の物語」。
静かに真面目に怒る春子さん、同じように静かに真面目に話す太巻。
大人たちの演技に引き込まれる。
太巻は、春子さんの気持ちわかってた。
そこから逃げてきた。
それでも向き合わなきゃいけないって決めさせたのは、ひたむきに自分を生きるアキだった。
「1回だけだからね。失敗してもやり直さないからね」
やり直しはない。失敗しても前に進むしかない。春子も太巻もアキも鈴鹿さんも水口もユイちゃんも、みんな。
「逆回転できないもんね、人生は」
よしえさんに言ったあの言葉は、春子さん自身にも響いている。
春子さんがアキの前で「潮騒のメモリー」を歌うのは、リアス以来か。
春子さんはずっと待っていたのかもしれないなあ。
太巻がその日を飛び越えてくるのを。
後ろで右往左往する水口と河嶋さんがスパイスになる演出。
■大人が謝るとき
ガラス越しに向き合う鈴鹿さんと春子さん。
歌が止まる。
このとき、春子さんは鈴鹿さんに『声』を返したんだろうな。
「歌を差し替えてしまいました」
あの80年代は、春子さんも太巻もみんな必死だった。その中で起きた不幸な間違いだった。
春子さんは、鈴鹿さんが歌の差し替えをずっと知らなかったことを、今知った。
春子さんと鈴鹿さん、ふたりの心情の機微が美しい。
「あっ私だ〜」
短いこの言葉だけで、
『春子さんか鈴鹿ひろ美の影武者やって、それをトラウマに生きてきて、それは太巻にとってもトラウマで、でもみんなそれを乗り越えようとしていて…』
ってのが伝わってくるんだよ。
それを鈴鹿さんが、混乱しながらもどうにか受け止めようとしてるのが伝わってくるんだよ。
この一言だけだよ。
すげえよ。
「申し訳ない、春ちゃん」
東京編で何週にも渡って描かれた太巻と春子さんと鈴鹿さんの確執。
1984年のあの日から始まった物語、
笑ったり泣いたり怒ったり。
それは『あまちゃん』そのもの。
『あまちゃん』は春子の物語でもあることを思い知る。
どこかでこじれた糸を解くのは、『春ちゃん』の呼び方ひとつでいい。
人の名前を何て呼ぶか、それだけで距離感や関係性は大きく違う。
「奈落のほうが楽しかったよ、なあ水口」
どの回だったかそんな言葉があったんだけど、太巻も必死だったんだと思う。
どうしようもできなかったんだと思う。
2人を同時に守ることはできなかった。
秘密を墓場まで持っていくことはできなかった。
ずっと傷つけていたことを知っていたけど、謝れなかった。
だってもう3人とも大人だったから。
本当は気づいてた。
あんな切ない目で春子さんを見ていたんだと思うし、鈴鹿さんをずっと守ってきた。
春子さんと鈴鹿さん、ふたりの母が並ぶ。
影武者である春子さんの衣装が白く、表舞台の鈴鹿さんの衣装が黒い。
コインの裏表、白と黒が並んだ。
白と黒がひっくりかえった。
■アキが受け継いだもの
そんなコインの両面を受け継ぐのが、アキ。
「今度はあんたの番でしょ」
改めて『あまちゃん』がはじまる。
「アキのおかげで鈴鹿さんに会えました」
アキがつないだ大人たちの絆。
同時に言えるのは「鈴鹿さんのおかげでアキに会えた」だし「太巻のおかげでアキは水口に出会った」かもしれない。
みんながみんなに関わってく。
■まだ終わっていない『潮騒のメモリー』がある
映画「潮騒のメモリー」と主題歌「潮騒のメモリー」。
アキと春子さんそれぞれの潮騒のメモリーがやっと完成した。
長い時間をかけて完成した。
でもまだ完成していない人が二人いる。
鈴鹿さんとユイちゃんの「潮騒のメモリー」は完成していない。
■『あまちゃん』はいったん完結する。
春子の事務所に入りたいという鈴鹿さん。
太巻と鈴鹿さんが内縁の夫婦であることに驚く3人(特に甲斐さんww)
その後、アキと一緒に表参道を歩く春子さん。
「オセロみたいに全部ひっくり返った」
過去に起こった出来事そのものは変えられないけれど、それはいろんな意味を持っている。
気持ちがあれば変えられる。
そんな『あまちゃん』のテーマが現れている言葉。
表参道で立ち尽くしていた1日は、いつかこの日を迎えるためにあったのかもしれない。
「ちゃんと言ったからね、『ありがとう』って」
春子さんが「ありがとう」にこだわるのもなんだか微笑ましい。
夏ばっぱからもらった「ありがとう」をきちんとアキに伝えてるんだな。
それにしても『ひっくり返る』。
この場面ではマイナスからプラスにひっくり返るの意味合いで使われているとはわかっている。
でも『その日』は「マイナスもプラスも、全部崩れる」
22週「オラとママの潮騒のメモリー」で、まるで『あまちゃん』が完結するように描かれている。
夏さんと春子さん、太巻と春子さん、太巻とアキ、みんなが大逆転して、トラウマを解決した。
ここでエンディングを迎えても何も違和感はない。
けれど話にはまだ続きがある。
続きを見るか見ないかは視聴者に任せられるようにした作りなのかな。
■アキの夢が叶うとき
あのとき悔しい思いをした劇場にアキは帰ってくる。
そこには親友のユイちゃんも来る。
アキの夢は、ユイちゃんと舞台に立つこと。
だから「おら、紅白出るど!」は、本当の意味での完結なんだろうな。
■ミズタクが約束を達成するとき。
「今夜天野の親友が上京します。良かったら会っていただけませんか」
太巻にお願いする水口さん。
最初にミズタクがスカウトしようとしていたのはユイちゃんだし、上京しようとしていたのはユイちゃんだし。
アキ1人だけがきて落胆していたし。
あのころがなんだか懐かしいねえ。
ようやく水口さんの当初の夢も叶ういかけたとき。
■『その日』への布石
純喫茶アイドルのシーンや表参道のシーンで雨が描かれる。
わりと晴れているシーンが多いあまちゃんで珍しい。
でも、そういえばこの時期って寒い雨がやたら続いてて、3月11日も冷たい雨が降ってたなって思い出す。
3月12日は、3月10日と違う。
幻の公演。
一方、北三陸で描かれる日常。
「地震、多いですもんね。最近」
「おらが作ったジオラマは無事でしたよ」
体調を崩す夏ばっぱは、何か感づいたのか。
『来てよ、その日を飛び越えて』
その日、2011年3月11日。
言わずと知れた東日本大震災。
発災の約3時間半前。
誰も、予想なんてしてなかった。
まさかあんなことになるなんて。
■ユイちゃん
アキのライブを見に行くべく、皆に見送られるユイちゃん。
「ユイちゃんが本当に帰ってくるつもりだったのか、それとも東京で暮らす覚悟だったのか…それは誰にも分かりません」
このシーンからナレーションが秋から春子に代わる。
春子さんのナレーションにかわるとき、それは『その日の話』がはじまるということ
ユイちゃんは、もう戻らないつもりだったんだろうか。
あるいは何か不安を感じてのこの表情だったんだろうか。
■来週
この22週土曜日、再放送Twitterのタイムラインを眺めているといろんなことを考えます。
再放送のTLでも、現実の震災のこと思い出してる人がいっぱいいるし、本放送のときのこと思い出してる人も多い。私もそうだけど。
たくさん流れるようにじゃなくてポツリポツリって。
4年半前も、2年前も、今日も。
ポツリポツリと流れてくる。
時間は淀みなく流れてるはずなのに涙が出るのは何でだろう。
本放送のときは月曜だけ見てあとは録画でした。
リアルタイムで観て、そのあと仕事行って笑顔になれる自信がありませんでした。
今から起こることはわかってるんです。
本放送を見てますし、ていうかドラマじゃなくてニュースだし、この目でもこの身体でも体感している。
予告の最後のカットでは「2011年の夏が始まりました!」と春子さんの明るい声、アキの走っていく様子が描かれます。
あのときはあまり気付けなかったけど、そこが救いなんだなって。
再放送でもドキドキしながら見ていました。
正直言うと、いくら『あまちゃん』でも悲しく辛い涙は、見ていてもしんどいです。
再放送でも、まだ予告だけでも涙がだだもれです。
4年半っていう月日はきっと『まだ』なんでしょう。
でも、『あまちゃん』を最後までみたとき流れたのは、清々しい涙でした。
クドカンが描きたかったこと、能年ちゃんたちが演じたことは、震災の辛辣さだけじゃない。
なんてことのない人たちが得た幸せ、たとえそれを奪われてもそこから立ち上がる人たちの強さ。
それが『あまちゃん』の世界でした。
再放送は目を逸らさず観たいと思います。
ところでこの再放送。
偶然なんでしょうけれども、防災の日の9月第1週ではなく、4年半を迎える9月第2週に「おら、みんなに会いてえ!」をかぶせてきたってのは、ベストタイミングだとふと思いました。
もう4年半なのか、まだ4年半なのか、それはわかりません。
けど、今、心から思います。
「朝ドラみて家事でもすっか」の日常が愛おしくてたまらないこと。
本放送のときと明らかに違うことがひとつ。
あのときはこいつのことを思い出せる余裕すらなかった。
そうだ、前髪クネ男を思い出そう。
笑おうって。きっとまた笑える日が来るって。
その2、映画『潮騒のメモリー』、水口ぼこられる、主題歌『潮騒のメモリー』くらいまで。
(その1はこちら、前髪クネ男はこちら)
『あまちゃん』がいったん完結する、のかな。
関連リンク
・『あまちゃん』21週、ここまでずっと丁寧に描かれたからこそ、それぞれの『大逆転』に涙する。
・『あまちゃん』20週、勉さんと甲斐さん、2人の証人によって深まる物語。
・『あまちゃん』18週、太いものには巻かれない天野春子。
以前のもの、本放送当時の記事はこちら。
・朝ドラ感想記事のまとめ。
■その日
なんだかんだで堪えたのは、なんてことのないこのホワイトボードのワンカット。
公開日は「2011年3月5日」。
その日が近づいている。
今日はもしかしたら「その日」の前の日なのかもしれない。
ここまで131回かけて描かれた幸せが、それが崩れていくその日。
それでも前を向いていくのが人間。
走って走ってトンネル抜けて、最後にはみんなで歌うのが、『あまちゃん』。
■やっぱり春子さんは荒っぽい
東京からのFAXで、センチメンタルな北三陸の不良娘から、女社長に戻った春子さん。
電話越しに凄む太巻だけれど、もう怯まない。
過去を清算し、今の春子をしっかり見るという心持ちの表れか。
「なんとお礼を言ったらいいのかわからないので言いませんけど」
「うん、そうね」
何があっても巻かれそうにない春子と、ビビって笑うしかない太巻。こんなふたりだからこそ和解が待ち望まれる。
そして豹変。アキに対する笑顔、太巻に対する嫌味、板前に対する鬼の形相。
そしてこのあとに訪れるミズタクの眼鏡の悲劇。やっぱり「春子さん、荒っぽい」。
■ミズタク、ぼこられる。
「水口ボコられる」んだけど、
それをただボコられるのではなく……
『種に話す→回想→種に八つ当たり』の流れにして、ミズタク視点にしたのがうまいなって。
それでもなお「袖の春子」の追い込み方から描かれる心情もわかりやすい。
■「向いてない。向いてないけど、続けるのも才能よ」
「今日本で天野アキをやらせたら、あなたの右に出る女優はいません。向いてないけど続けるっていうのも才能よ。続けなさい」
たとえどんな好きな仕事でも
向いていないのかもしれない。
嫌なこともあるかもしれない。
辛い時もあるのかもしれない。
それでも続けろなさい。
自分に素直で正直で居続けなさい。
そんな鈴鹿さんの言葉はやがて鈴鹿さん自身を救うことになる。
それにしてもこの言葉、能年ちゃん本人に届くといいなって。
というか能年ちゃん本人はどんな思いで今の再放送を見てるんだろう。
厳しい朝ドラ撮影の現場の中で、この言葉が励みになったんだとといいな。
そういうメタ的な「愛」があるから、このドラマほんと好き。
本放送のときはあまり深く考えなかったんだけど、今にして思えばこの台詞。
『脚本家・宮藤官九郎』が『女優・能年玲奈』にあてた「たいしたもんだ」なのかもしれないなって。
そんな鈴鹿さんの言葉を受けて、喜ぶアキ。
初めてのお造りをふたりに届けるずぶん。涙を堪えている(堪えきれてない?)ミズタク。
ミズタク、原石が光り輝いてるよ。
■『あまちゃん』が描くもの
『潮騒のメモリー』の収録はじまる。
娘がスタジオで歌う姿に、かつての自分を重ねる春子さん。
北から出てきたあの日、北へ帰ろうとしたあの日。
春子さんのその日。
あれからいろんなことがあった。
あのタクシー運転手と結婚して、娘は成長して、母とも和解した。
『あまちゃん』の側面のひとつ、『春子さんの潮騒のメモリーの物語』。
一代記でも人情喜劇でもなく、「ひとりの女性の物語」。
静かに真面目に怒る春子さん、同じように静かに真面目に話す太巻。
大人たちの演技に引き込まれる。
太巻は、春子さんの気持ちわかってた。
そこから逃げてきた。
それでも向き合わなきゃいけないって決めさせたのは、ひたむきに自分を生きるアキだった。
「1回だけだからね。失敗してもやり直さないからね」
やり直しはない。失敗しても前に進むしかない。春子も太巻もアキも鈴鹿さんも水口もユイちゃんも、みんな。
「逆回転できないもんね、人生は」
よしえさんに言ったあの言葉は、春子さん自身にも響いている。
春子さんがアキの前で「潮騒のメモリー」を歌うのは、リアス以来か。
春子さんはずっと待っていたのかもしれないなあ。
太巻がその日を飛び越えてくるのを。
後ろで右往左往する水口と河嶋さんがスパイスになる演出。
■大人が謝るとき
ガラス越しに向き合う鈴鹿さんと春子さん。
歌が止まる。
このとき、春子さんは鈴鹿さんに『声』を返したんだろうな。
「歌を差し替えてしまいました」
あの80年代は、春子さんも太巻もみんな必死だった。その中で起きた不幸な間違いだった。
春子さんは、鈴鹿さんが歌の差し替えをずっと知らなかったことを、今知った。
春子さんと鈴鹿さん、ふたりの心情の機微が美しい。
「あっ私だ〜」
短いこの言葉だけで、
『春子さんか鈴鹿ひろ美の影武者やって、それをトラウマに生きてきて、それは太巻にとってもトラウマで、でもみんなそれを乗り越えようとしていて…』
ってのが伝わってくるんだよ。
それを鈴鹿さんが、混乱しながらもどうにか受け止めようとしてるのが伝わってくるんだよ。
この一言だけだよ。
すげえよ。
「申し訳ない、春ちゃん」
東京編で何週にも渡って描かれた太巻と春子さんと鈴鹿さんの確執。
1984年のあの日から始まった物語、
笑ったり泣いたり怒ったり。
それは『あまちゃん』そのもの。
『あまちゃん』は春子の物語でもあることを思い知る。
どこかでこじれた糸を解くのは、『春ちゃん』の呼び方ひとつでいい。
人の名前を何て呼ぶか、それだけで距離感や関係性は大きく違う。
「奈落のほうが楽しかったよ、なあ水口」
どの回だったかそんな言葉があったんだけど、太巻も必死だったんだと思う。
どうしようもできなかったんだと思う。
2人を同時に守ることはできなかった。
秘密を墓場まで持っていくことはできなかった。
ずっと傷つけていたことを知っていたけど、謝れなかった。
だってもう3人とも大人だったから。
本当は気づいてた。
あんな切ない目で春子さんを見ていたんだと思うし、鈴鹿さんをずっと守ってきた。
春子さんと鈴鹿さん、ふたりの母が並ぶ。
影武者である春子さんの衣装が白く、表舞台の鈴鹿さんの衣装が黒い。
コインの裏表、白と黒が並んだ。
白と黒がひっくりかえった。
■アキが受け継いだもの
そんなコインの両面を受け継ぐのが、アキ。
「今度はあんたの番でしょ」
改めて『あまちゃん』がはじまる。
「アキのおかげで鈴鹿さんに会えました」
アキがつないだ大人たちの絆。
同時に言えるのは「鈴鹿さんのおかげでアキに会えた」だし「太巻のおかげでアキは水口に出会った」かもしれない。
みんながみんなに関わってく。
■まだ終わっていない『潮騒のメモリー』がある
映画「潮騒のメモリー」と主題歌「潮騒のメモリー」。
アキと春子さんそれぞれの潮騒のメモリーがやっと完成した。
長い時間をかけて完成した。
でもまだ完成していない人が二人いる。
鈴鹿さんとユイちゃんの「潮騒のメモリー」は完成していない。
■『あまちゃん』はいったん完結する。
春子の事務所に入りたいという鈴鹿さん。
太巻と鈴鹿さんが内縁の夫婦であることに驚く3人(特に甲斐さんww)
その後、アキと一緒に表参道を歩く春子さん。
「オセロみたいに全部ひっくり返った」
過去に起こった出来事そのものは変えられないけれど、それはいろんな意味を持っている。
気持ちがあれば変えられる。
そんな『あまちゃん』のテーマが現れている言葉。
表参道で立ち尽くしていた1日は、いつかこの日を迎えるためにあったのかもしれない。
「ちゃんと言ったからね、『ありがとう』って」
春子さんが「ありがとう」にこだわるのもなんだか微笑ましい。
夏ばっぱからもらった「ありがとう」をきちんとアキに伝えてるんだな。
それにしても『ひっくり返る』。
この場面ではマイナスからプラスにひっくり返るの意味合いで使われているとはわかっている。
でも『その日』は「マイナスもプラスも、全部崩れる」
22週「オラとママの潮騒のメモリー」で、まるで『あまちゃん』が完結するように描かれている。
夏さんと春子さん、太巻と春子さん、太巻とアキ、みんなが大逆転して、トラウマを解決した。
ここでエンディングを迎えても何も違和感はない。
けれど話にはまだ続きがある。
続きを見るか見ないかは視聴者に任せられるようにした作りなのかな。
■アキの夢が叶うとき
あのとき悔しい思いをした劇場にアキは帰ってくる。
そこには親友のユイちゃんも来る。
アキの夢は、ユイちゃんと舞台に立つこと。
だから「おら、紅白出るど!」は、本当の意味での完結なんだろうな。
■ミズタクが約束を達成するとき。
「今夜天野の親友が上京します。良かったら会っていただけませんか」
太巻にお願いする水口さん。
最初にミズタクがスカウトしようとしていたのはユイちゃんだし、上京しようとしていたのはユイちゃんだし。
アキ1人だけがきて落胆していたし。
あのころがなんだか懐かしいねえ。
ようやく水口さんの当初の夢も叶ういかけたとき。
■『その日』への布石
純喫茶アイドルのシーンや表参道のシーンで雨が描かれる。
わりと晴れているシーンが多いあまちゃんで珍しい。
でも、そういえばこの時期って寒い雨がやたら続いてて、3月11日も冷たい雨が降ってたなって思い出す。
3月12日は、3月10日と違う。
幻の公演。
一方、北三陸で描かれる日常。
「地震、多いですもんね。最近」
「おらが作ったジオラマは無事でしたよ」
体調を崩す夏ばっぱは、何か感づいたのか。
『来てよ、その日を飛び越えて』
その日、2011年3月11日。
言わずと知れた東日本大震災。
発災の約3時間半前。
誰も、予想なんてしてなかった。
まさかあんなことになるなんて。
■ユイちゃん
アキのライブを見に行くべく、皆に見送られるユイちゃん。
「ユイちゃんが本当に帰ってくるつもりだったのか、それとも東京で暮らす覚悟だったのか…それは誰にも分かりません」
このシーンからナレーションが秋から春子に代わる。
春子さんのナレーションにかわるとき、それは『その日の話』がはじまるということ
ユイちゃんは、もう戻らないつもりだったんだろうか。
あるいは何か不安を感じてのこの表情だったんだろうか。
■来週
この22週土曜日、再放送Twitterのタイムラインを眺めているといろんなことを考えます。
再放送のTLでも、現実の震災のこと思い出してる人がいっぱいいるし、本放送のときのこと思い出してる人も多い。私もそうだけど。
たくさん流れるようにじゃなくてポツリポツリって。
4年半前も、2年前も、今日も。
ポツリポツリと流れてくる。
時間は淀みなく流れてるはずなのに涙が出るのは何でだろう。
本放送のときは月曜だけ見てあとは録画でした。
リアルタイムで観て、そのあと仕事行って笑顔になれる自信がありませんでした。
今から起こることはわかってるんです。
本放送を見てますし、ていうかドラマじゃなくてニュースだし、この目でもこの身体でも体感している。
予告の最後のカットでは「2011年の夏が始まりました!」と春子さんの明るい声、アキの走っていく様子が描かれます。
あのときはあまり気付けなかったけど、そこが救いなんだなって。
再放送でもドキドキしながら見ていました。
正直言うと、いくら『あまちゃん』でも悲しく辛い涙は、見ていてもしんどいです。
再放送でも、まだ予告だけでも涙がだだもれです。
4年半っていう月日はきっと『まだ』なんでしょう。
でも、『あまちゃん』を最後までみたとき流れたのは、清々しい涙でした。
クドカンが描きたかったこと、能年ちゃんたちが演じたことは、震災の辛辣さだけじゃない。
なんてことのない人たちが得た幸せ、たとえそれを奪われてもそこから立ち上がる人たちの強さ。
それが『あまちゃん』の世界でした。
再放送は目を逸らさず観たいと思います。
ところでこの再放送。
偶然なんでしょうけれども、防災の日の9月第1週ではなく、4年半を迎える9月第2週に「おら、みんなに会いてえ!」をかぶせてきたってのは、ベストタイミングだとふと思いました。
もう4年半なのか、まだ4年半なのか、それはわかりません。
けど、今、心から思います。
「朝ドラみて家事でもすっか」の日常が愛おしくてたまらないこと。
本放送のときと明らかに違うことがひとつ。
あのときはこいつのことを思い出せる余裕すらなかった。
そうだ、前髪クネ男を思い出そう。
笑おうって。きっとまた笑える日が来るって。
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