2015年放送、TBS60周年記念ドラマ『天皇の料理番』、再編集。
登場人物の一人一人が本当に魅力的な作品でした。
関連リンク
・『天皇の料理番』に『ごちそうさん』を思い出す。
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■放送直前のあれやこれやは全て杞憂でした。
正直、佐藤健君もイケメン要素が強すぎたりするもんだから「大丈夫なのか?」とは思っていました。
第1話当時、友人から「天皇の料理番どうだった?みたほうがいい?」と聞かれまして。
私、こんな風に答えてて。
名作の予感、飯テロやばい。
キャストもいいんだけど、まず製作陣がすげえから観たほうがいい。
主要製作陣は仁の人、あと半沢の人が何人かいる。
朝ドラで脇役固めた人がメインキャストで、最初は朝ドラ感拭えなかったが、佐藤健が圧巻。
朝ドラ組の鈴木亮平、黒木華も見事だし、さらに見事なのがこれを殺さない製作。
つまりTBSが本気出したやべーやつ。
汗臭くて泥臭くて、癇癪起こすわ走り回るわ、でも一途に一生懸命で、誰からも愛された。
とても魅力的に最後まで演じきった。
素晴らしかったです、佐藤健さん。
■『ごちそうさん』と『天皇の料理番』
国民服、召集令状、戦死公報、玉音放送……
『梅ちゃん先生』『カーネーション』『マッサン』や『ごちそうさん』。
数々の時代物朝ドラで避けては通れないテーマのひとつ、太平洋戦争。
いろんな人が描き、いろんな人が演じ、それを観てきているせいでしょうか。
国民服や戦死公報、玉音放送とか聴くと、思い出す登場人物が何人かいて辛いものがありました。
(以上すべて玉音放送のシーン)
特に思ったのが『ごちそうさん』。
同じ森下さんの脚本で、食がテーマだけあって、最終回は「そういばめ以子は…」と何度も思い出しました。
(関連:『天皇の料理番』に『ごちそうさん』を思い出す。)
『ごちそうさん』があったから、この佐藤健版の『天皇の料理番』が生まれたのかもしれませんね。
そこの真意は森下さんの話を伺ってみたいものです。
関東大震災が描かれた10話の時も思いましたが、TwitterのTLを眺めていると、
「梅子は~」
「糸子が~」
「め以子は~」
多分これはメタ発言ではなく、視聴者がそれぞれの関東大震災や太平洋戦争を描いていたんだと思います。
そんなことをさせるくらいに全力で生きたドラマの登場人物たち。
辛い時代を全力で描いた制作陣とキャスト陣。
『天皇の料理番』では戦時中自体はものの15分で終わったのだけれど、流された感はなかったですし、置いていかれた感もついていけない感もありませんでした。
それは多分脳内で、いろんなドラマのあれこれを補完していたからなのかもしれません。
『行間を読ませる』、下手したら批判を浴びかねない手法だけれど、私にとってはそれはよかったと思いました。
『ごちそうさん』や『カーネーション』を観ていなかったとしても、それなりに自分で行間を埋めて観ていたと思います。
見える部分だけではなく、見えない行間をそれぞれが想像して楽しむ。
それがドラマの醍醐味なのではないかと感じました。
きっといつかまた朝ドラか何かで関東大震災や太平洋戦争が描かれたとき
「篤蔵は~」
と天皇の料理番タグが動くんだろうな。
■黒木華の凄味
篤蔵の妻・俊子を演じたのが黒木華さん。
不幸にも結核に倒れてしまうのですが、
何でこの子はこんなに泣かせるかねえ……
11話、結核の症状が激化し呼吸困難に陥った俊子。
呼吸を落ち着かせるため、篤蔵が取った方法がこれ。
こんなに観ていて切なくなる接吻は観たことありません。
誰かの命を守ろうとする接吻がこんなに胸に迫るものだなんて知りませんでした。
俊子は年を越した後いったん回復を見せるのですが、その後亡くなります。
死を前にして、以前篤蔵が手紙に書いていた言葉の意味を尋ねました。
「ジュテームってなんですか」
「私はあなたより長生きしますって、そういう意味や」
俊子の死後、篤蔵は子どもたちの様子に驚きます。
俊子得意のたらこ唇芸を子どもたちはしっかり受け継いでいました。
人生色々あるけど、たらこ唇で涙が溢れ出たのは初めてだよおおお。
俊子は旅立ってしまったけれど。
生きてる。子どもたちの中に、生きてる。
黒木華、ブラボー。
■昭和天皇と篤蔵
日本国民として、というより料理番・秋山篤蔵としてお上のために動く理由。
それが最終話序盤で丁寧に描かれていたから納得がいく。
俊子さんが鈴を鳴らさないのが癇癪ではない証拠かなって。
「料理人は頑固ですからね」という新太郎さんたちのセリフがありました。
篤蔵にとって頑固、ってのは『おもてなしの心』、『真心』だったんだと思います。
終盤、昭和天皇と篤蔵のシーン。
序盤の糸の混入のあと、責任を取って辞表を提出しに行った篤蔵に昭和天皇がかけた言葉がここで明らかになりました。
そして昭和天皇は続けます。
「長い間ご苦労だったね。これからも体に気をつけるように」
「ありがとうございます」
必死に涙をこらえ、昭和天皇の前から退室すると声を上げて男泣きに泣いた篤蔵。
お上のお身体を気遣い、労り、共に同じ時代を生きてきた篤蔵。
篤蔵はお上を『愛していた』、私にはそう見えました。
■泣きながら笑ったのか、笑いながら泣いたのか。
GHQとの衝突から、騒動が起こりかけたそのとき。
俊子の鈴鳴りました。
鴨のマネをはじめる篤蔵。
一緒になって混じる新太郎たち。
スッと背筋を伸ばしてみている宇佐美さん。
悔しかったことだと思います。
悲しかったかもしれません。
けれど耐えて、我慢して、涙して。
そういう時代が戦後だったのかもしれません。
(1話でのこのシーンをしっかり回収していたんですね)
■『一人で叶えた夢やないですもんね』
「いつか巡り会える、強く強く願えばいい。
愛することは夢見ること、愛しき人。
愛することは信じること、夢見る人」
篤蔵は、天皇を、料理を、心から愛していた。
俊子を、兄やんを、家族を、師匠を、みんなを信じて、愛していた。
そして愛されていた。
■なんでこんなに泣けるんだろう。
原作の結末を読んで、完全に涙腺決壊。
篤蔵が「田舎のやっかい者」から「天皇の料理番」になるまでを思い出す。
なんでこんなに泣けるんだろう。
そう思ったときに、ドラマの世界にどっぷり浸かって、ドラマの中のどこかで篤蔵と共に『時代』を生きたからなのかな、と思いました。
こちら、秋山氏の自叙伝。
じっくり味わいたいものです。
柄本佑を見るたびに「さっさと篤蔵に謝れよ」って思ってしまうから篤蔵の業は深い(´・ω・`) #天皇の料理番
— ゆずず (@yuzu0905) 2017年1月21日
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