高速のインターを降りた車は、街を背にして走る。
一直線に伸びる片側2車線の道路は車もまばらだ。
窓を開けると、昨日の雨とかすかな夏が香る。
新緑と青空のコントラストがまぶしい10時過ぎ。
ランチにはまだ少し早い。
せっかくだからこの先の高台にある展望台まで妻を連れていこう。
何年ぶりだろうか、あの展望台。
「懐かしいな」
ひとりごとのつもりが思わず口に出していた。
ごく小さなボリュームのつもりだったが、妻は聞き逃さなかったらしい。
「このへん来たことあるの?」
「まあ」
「最近?」
「いやもう10年、15年くらい前の話」
「女と?」
この手の話に嫉妬はしないのはありがたいのだが、面白がって聞いてくるので恥ずかしくなる。
案の定、頷くよりも前にニヤニヤ笑っていたのは横目で見えていた。
「さてはデートで来たんでしょ?」
前の会社の同期に花江ってやつがいてさ。
なんか気が合って、よく飲みとか飯とか行ってたんだ。
見た目?うーん、可愛いとか美人とかってよりも笑顔がね、印象的なえくぼってやつ。
同期は同期なんだけど、居心地がよくってさ。
社会人になってこんなに気が合う奴に出会えるなんて俺思ってなかったから、めちゃめちゃ嬉しかった。
だからかな、男女とかあまり意識しなかったし、好きとか恋とかそんなじゃなかった。
そういう距離感って君にもあるだろ。
以心伝心、何を言わなくても通じ合う距離感。
でさ、何のタイミングかは忘れたけど、サシでドライブ行ったんだわ。
いやいや、マジでほうとう食いに行っただけだって。
ほうとう食べて、道の駅でちょっと買い物して、で日も暮れたんで夜景を見にいった。
夜景がめっちゃきれいで俺泣きそうになっちゃって。
横見たら花江も泣きそうになってて、「帰りたくないな」って言うんだわ。
いや仕事あるし、普通に帰ったよ。
横浜まで送っていきはしたけど、駅で普通にじゃあねって。
……うん、わかってる。
多分あの子俺のこと好きだった。
多分あれ告白だった。
野暮な話、あの日やれたと思う。
でも何か違ったんだよね。
もうちょっと切なくて、優しくて。
俺と花江はそんなじゃなくって、もっとこうイノセントな感じだった。
妻は話が一区切りついたと判断したのか長い長い溜息をついた。
まずい、怒らせたか、と嫌な汗が滲む。
いくら嫉妬しない、むしろ面白がるタイプとはいえ、さすがにいい気はしないだろうか。
いや聞いてきたのは彼女の方だぞ。
だがしかし、と沈黙に耐えきれず僕は尋ねた。
「……それは何溜息?」
「自分の旦那が思ったよりのバカ野郎で頭を抱えている溜息」
怒ってはいないのは安心だけれども、ずいぶんな言い方じゃないか。
その間に気づいたのか、妻は少し笑顔を作りながら続けた。
「ああごめん、言い方あれだった。そういう意味じゃなくて。ううん、バカ真面目なんだよね。だからそのはなえさん?彼女に手を出さなかったんだよね」
妻は続ける。
「でも気づいていたんでしょう?この子俺のこと好きなんだって」
思わず言葉に詰まる。
妻の言葉は、あの頃の僕と彼女の関係性の核心を突いていた。
「ドライブに誘って?夜景みて?それ一般的になんていうか知ってる?そういことする男女がどういう関係性かわかる?」
「はいわかります」
「『帰りたくない』って女の子が言ってるのをそのまま帰すやつがいるか」
「すいません」
「帰す帰さないの問題じゃなくて、相手が意思表示をしたのならきちんと答えなさいよっていうわけで」
「うん」
振り返ってみればやれたかもとか思うけど、実際は手も繋げなかった。
俺のこと好きなのかもって思ったら、なんだか怖くなっていたんだよ。
この関係が終わったら嫌だって。
イノセントだのなんだの好きにいうことは出来るけれど、実際のところは向き合うことから逃げていただけだったのだ。
気づいてほしい、と甘えていた。
妻は、僕のそういうところに気づいている。
多分、花江も気付いていた。
今の僕のアドレス帳に花江の名前がないのは多分そのせいだ。
日の当たる坂道を、ふたり昇っていく。
昇り切った先、あの日の展望台から爽やかな甲府盆地の初夏を見下ろす。
あの日に戻れたら花江になんて言おう、なんて思いながら、多分何も言えないんだろうなと自分で自分を笑っていた。
そもそも戻れない、戻らない。
ならば今は隣の妻に伝えよう。
逃げずに伝えよう。
「俺、君のこと好きだからね」
彼女は目を丸くしたが、すぐに笑い出す。
「ありがとう、言ってくれて」
爽やかな風が、僕らのあいだに吹いてくる。
もうすぐ夏が来る。
「ねてみて、虹」
大きな虹が展望台を跨いでいた。
一直線に伸びる片側2車線の道路は車もまばらだ。
窓を開けると、昨日の雨とかすかな夏が香る。
新緑と青空のコントラストがまぶしい10時過ぎ。
ランチにはまだ少し早い。
せっかくだからこの先の高台にある展望台まで妻を連れていこう。
何年ぶりだろうか、あの展望台。
「懐かしいな」
ひとりごとのつもりが思わず口に出していた。
ごく小さなボリュームのつもりだったが、妻は聞き逃さなかったらしい。
「このへん来たことあるの?」
「まあ」
「最近?」
「いやもう10年、15年くらい前の話」
「女と?」
この手の話に嫉妬はしないのはありがたいのだが、面白がって聞いてくるので恥ずかしくなる。
案の定、頷くよりも前にニヤニヤ笑っていたのは横目で見えていた。
「さてはデートで来たんでしょ?」
前の会社の同期に花江ってやつがいてさ。
なんか気が合って、よく飲みとか飯とか行ってたんだ。
見た目?うーん、可愛いとか美人とかってよりも笑顔がね、印象的なえくぼってやつ。
同期は同期なんだけど、居心地がよくってさ。
社会人になってこんなに気が合う奴に出会えるなんて俺思ってなかったから、めちゃめちゃ嬉しかった。
だからかな、男女とかあまり意識しなかったし、好きとか恋とかそんなじゃなかった。
そういう距離感って君にもあるだろ。
以心伝心、何を言わなくても通じ合う距離感。
でさ、何のタイミングかは忘れたけど、サシでドライブ行ったんだわ。
いやいや、マジでほうとう食いに行っただけだって。
ほうとう食べて、道の駅でちょっと買い物して、で日も暮れたんで夜景を見にいった。
夜景がめっちゃきれいで俺泣きそうになっちゃって。
横見たら花江も泣きそうになってて、「帰りたくないな」って言うんだわ。
いや仕事あるし、普通に帰ったよ。
横浜まで送っていきはしたけど、駅で普通にじゃあねって。
……うん、わかってる。
多分あの子俺のこと好きだった。
多分あれ告白だった。
野暮な話、あの日やれたと思う。
でも何か違ったんだよね。
もうちょっと切なくて、優しくて。
俺と花江はそんなじゃなくって、もっとこうイノセントな感じだった。
妻は話が一区切りついたと判断したのか長い長い溜息をついた。
まずい、怒らせたか、と嫌な汗が滲む。
いくら嫉妬しない、むしろ面白がるタイプとはいえ、さすがにいい気はしないだろうか。
いや聞いてきたのは彼女の方だぞ。
だがしかし、と沈黙に耐えきれず僕は尋ねた。
「……それは何溜息?」
「自分の旦那が思ったよりのバカ野郎で頭を抱えている溜息」
怒ってはいないのは安心だけれども、ずいぶんな言い方じゃないか。
その間に気づいたのか、妻は少し笑顔を作りながら続けた。
「ああごめん、言い方あれだった。そういう意味じゃなくて。ううん、バカ真面目なんだよね。だからそのはなえさん?彼女に手を出さなかったんだよね」
妻は続ける。
「でも気づいていたんでしょう?この子俺のこと好きなんだって」
思わず言葉に詰まる。
妻の言葉は、あの頃の僕と彼女の関係性の核心を突いていた。
「ドライブに誘って?夜景みて?それ一般的になんていうか知ってる?そういことする男女がどういう関係性かわかる?」
「はいわかります」
「『帰りたくない』って女の子が言ってるのをそのまま帰すやつがいるか」
「すいません」
「帰す帰さないの問題じゃなくて、相手が意思表示をしたのならきちんと答えなさいよっていうわけで」
「うん」
振り返ってみればやれたかもとか思うけど、実際は手も繋げなかった。
俺のこと好きなのかもって思ったら、なんだか怖くなっていたんだよ。
この関係が終わったら嫌だって。
イノセントだのなんだの好きにいうことは出来るけれど、実際のところは向き合うことから逃げていただけだったのだ。
気づいてほしい、と甘えていた。
妻は、僕のそういうところに気づいている。
多分、花江も気付いていた。
今の僕のアドレス帳に花江の名前がないのは多分そのせいだ。
日の当たる坂道を、ふたり昇っていく。
昇り切った先、あの日の展望台から爽やかな甲府盆地の初夏を見下ろす。
あの日に戻れたら花江になんて言おう、なんて思いながら、多分何も言えないんだろうなと自分で自分を笑っていた。
そもそも戻れない、戻らない。
ならば今は隣の妻に伝えよう。
逃げずに伝えよう。
「俺、君のこと好きだからね」
彼女は目を丸くしたが、すぐに笑い出す。
「ありがとう、言ってくれて」
爽やかな風が、僕らのあいだに吹いてくる。
もうすぐ夏が来る。
「ねてみて、虹」
大きな虹が展望台を跨いでいた。
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