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シリーズ「新入社員の奥義」その4:「認識のねじれ」現象に要注意

2016-04-04 | 仕事

今回は、新入社員研修や使用期間中によくおきる現象「認識のねじれ」について書きます。

以前「退職初心者の転職」というシリーズでも書きましたが、その新入社員バージョンです。

新入社員は誰でも、最初は自分の力量に関係なく、会社に与えられた仕事から始めます。(ベテランでもそうですが…)

ただし、それがどんな仕事だろうと、何とか自分のものにして行かなくてはなりません。

それが「仕事の壁」ですが、その壁を超えるには、社員の育成環境が大きく影響します。

通常仕事には、それぞれ一人前に出来るようになるための、「育成時間」があります。

それは、簡素で単純な仕事ほど短く、複雑で技量を要する仕事ほど長く設定されていて、中には年単位の歳月を要するような職人技や、長年の経験がものを言う判断力を必要とする仕事など、実に様々です。さらにその育成時間は、同じ職種でも会社の状況や習慣によってまちまちで、いくら経験が必要な業務でも、人手不足の場合は短期間で取得を迫られるという会社もあれば、反対にいつまで経っても補助的な業務ばかりで、重要な仕事をなかなか任せてもらえないといった会社もあります。

(ここで云う「育成期間」と「試用期間」は別物です)

また、新入社員を指導する先輩社員の存在も、仕事を覚えて行く上では重要ですが、やはり会社によって異なり、ある会社では、メンターと呼ばれる先輩社員が、マンツーマンで丁寧に教えながら教育する制度を取り入れたり、別の会社では日替わりで指導担当者を変えて教育したりと、社員の教育に係る人員も、それに費やす時間も違います。

さらには、社外で実施される新入社員研修会や、ビジネス研修といった、いわゆるOff-JTに力を入れている会社もあれば、入社当初からOJTのみ、あるいはマニュアル教育のみという会社もあり、やはり会社によって異なります。

この様に、社員育成環境は同じ職種や業務内容でも、その会社の状況や理念によって様々で、学校教育の様に画一的ではないので、初めて社会人となる新卒者にとっては、想定外の出来事に遭遇しやすい場面となるのです。

この時期に陥りやすいのが「認識のねじれ」という現象です。

それは、新入社員側の「知らない事は教えてくれて当然」という完全なる受け身の姿勢と、「必要な事だけを教えて欲しい」という自分本位の要求に対して、先輩社員側の「分からない事はその都度聞いてね」という放し飼い的指示と、「このくらい出来て当然だろう」という自分本位の評価が交差している現象のことです。

多くの場合は、新入社員側の会社に対する過度の要求と、会社側の過小(過大)評価が原因だと思われます。

例えば、その仕事の段取りや事後処理、さらには、その仕事の意味や心構えなど、まだよく理解していないという思いから、懇切丁寧に教えようとする先輩に対して、「そこはもう知っています。今分からない、この部分だけを教えて下さい」といった具合で、自分本位に求めてしまう新入社員のことです。

勿論、時と場合によってはこうした場面も必要かも知れませんが、基本的に何かを教わる姿勢ではありません。

先輩は「まだまだ未熟だ」と認識している一方、新入社員は「もう何回もしたから分かっている」といった関係や、その反対に、「まだ1回しかしていないので不安です」と訴える新入社員に、「お前なら大丈夫だ。やってみろ」と安易に太鼓判を押す先輩など、認識のねじれが生じることは、社員教育の現場では、ごく当たり前に起こります。

この現象の厄介な点は、一旦、認識のねじれが生じると、互いが互いのせいにし始めるという、悪循環に陥ってしまうところです。

特に新人社員が何か失敗した時などは「自分が上手くできないのは、先輩がしっかり教えてくれないからだ」という疑念を持ちはじめ、当の先輩は「自分は説明したはず。学校じゃないから、何度も教えてもらおうと思うな」などと、後輩を子供扱いするといったケースです。

こうなると、先輩との溝は深まるばかりか、やがて会社の教育体制が悪いからだ、などと思うようになり、早期退職を考えるきっかけに発展して行くのです。

「認識のねじれ」はまだあります。それは、自分本位の勝手なマッチングです。

仕事を自分のものにして行く過程では、自分の能力以上の、少し高いレベルを設定した方が良いという考え方がありますが、あまりにも高いハードルは、返ってやる気喪失に繋がり、逆に低すぎる場合は、慢心が生じ、やはりやる気が損なわれます。

しかし、初めて仕事をする新入社員は、まず自分の能力レベルがよく分かっていないので、とりあえず用意された仕事を実際にやってみてからの判断となります。

問題は、その最初に用意された仕事の難易度が、自分自身が感じる難易度(自己適性度)と大きく異なっている時です。これも「認識のねじれ」に当たりますが、大抵の場合、新入社員には簡素で繰り返しの多い仕事や雑用など、誰でも直ぐにできてしまう様な事から始まりますが、日を追うごとに複雑化し、覚える事も増えて行くものです。

一般的に、入社1月から3月程度の試用期間を設ける会社が多いのも、その間に徐々に仕事を与え、その仕事ぶりを見て、本当に適した仕事量をこなすことが出来るかを見極めているのですが、その間に、前述の自己適性度との相違を感じてしまうケースが多く、会社の見立てとは違う、自分本位の判断をする新入社員が出てくるのです。

「自分には難しすぎる。」「一度にあれこれ出来ない。」「この程度の仕事ではやる気にならない。」などといった、自分なりの感覚だけを信じて、最終的に「自分には向いていない。」「この仕事は辛い。」などと発展し勝手に結論付けるということになるのです。

はっきり言って、新入社員のうちは(少なくとも1年間は)自分が本当にその仕事に向いているかどうかなど、誰にも適正な判断はできません。経験も実績もなく、仕事のほんの一面だけを見て全てを語っているようなものです。

何事も同じですが、一人前になるには、ある程度痛い思いをすることを覚悟しなくてはなりません。時には叱られることもあるでしょう。しかし、一所懸命に取り組んでいれば、やがて認められ、人の役に立っていると実感できるようになるものです。

また徐々に打たれ強くなり、やがてはどんな出来事からも感動や、やりがいを見出せるよう成長して行きます。

そうなれば、その仕事は一生ものの貴方だけの「財」になるのです。

最初の仕事は、向いているかどうかではなく、向こうとする姿勢で取り組む方が上手く行くと、私は思います。

どんな仕事もそうですが、仕事には本来、辛いも楽しいもありません。仕事は成果を求めるだけです。

しかし、人間は仕事に「辛い」や「楽しい」といった感情を付けたがります。つまり、仕事をしている当事者が、どう取り組むかによって、その仕事は辛くもなり、楽しくもなるのですが、運悪く、最初の仕事が辛いと感じてしまったら、ほぼ全員が「自分には向いていない。」という判断をしてしまい、結局は「仕事の壁」を乗り越えることが極めて困難になります。

そこで、認識のねじれに陥ることなく、仕事の壁をクリアする奥義をお伝えします。

それは、一言でいうと「仕事そのものにフォーカスする」ことです。

①仕事のどの部分が、どの程度難しいと感じているのか。(数値化目標を立てることが出来るか)

②自分の思い込みや過度の期待値はないのか。(客観的に考えているか。育成認識のねじれは感じていないか。)

③その仕事に期待されている成果とは何か。(誰に何を提供すべき仕事なのか。)

ここに挙げた視点は、仕事に対する自分の観点そのものを考え直すためのものです。

多くの人は、仕事に対する楽しさや辛さ、やりがいや不満といった、「仕事をする自分の感情」というテーマで仕事を捉えます。

それは決して間違いではありませんが、得てして適切な判断には至らないのです。新人の時期はなおさらです。

仕事の壁を超える時の考え方は、仕事そのものに焦点を当てなければなりません。

そして、その仕事に対してどんな能力や考え方が必要なのか、それを取得するにはどうすれば良いのか、誰に聞き、何を読み、何を試すのか、といった具合に考えて行くのです。

新人研修の時期だからこそ、今は自分の感情ではなく、まずその仕事に向き合うことが肝心です。

先輩たちも、同じ道を通って来たのです。

だから、素直になって下さい。自己判断ではなくフィードバックを宝にして下さい。

自分だけで考えるのが難しいと思う人は、私に連絡を下さい。

 


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