Youth worker Support【未来を創る若者たちへ】

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良い職場とは何だろう?

2020-02-28 | 仕事

「働きやすい職場には、何がありますか?」
この質問に即座に回答できる人は、読んでも面白くないです。

今回は、良い職場とは何だろう?というテーマです。

会社を辞めようかと悩む人の傾向

貴方の職場は、良い職場ですか?それとも悪い職場ですか?
良いか、悪いか、どちらかにせよ、と云われたらどちらですか?
さらに、その理由を箇条書きにするとしたら・・・

この質問は、私がハローワークにいた時からずっと、離職に悩んでいる若者によく出す質問です。
ほとんどの人は、即座に悪い方を選びますが、その理由を箇条書きにするのは時間がかかります。

「少し時間をかけて考えてもいいよ」と言って15分くらい考えてもらうと、いくつか書きはじめますが、その多くは、「励ましの言葉もない」とか「ちゃんとした説明がない」、「有休が取れない」など、「~がない」という表現になります。
そして、書いてもらった後で、それぞれの理由を詳しく聴くと、今度は反省したり、自分を戒めるような言葉が出始めます。

「自分があの時もっとこうしておけば良かったのですが・・・」とか「どうせ自分は覚えがわるいから・・・」などといった具合に自分を振り返るのです。
中には一方的に上司や先輩の批判をする人もいますが、黙って聞いているとせいぜい15分くらいで落ち着いて、やはり自分を振り返ります。
「でも、こんな会社を選んだ自分が悪いんですけど・・・」といった具合です。

私は、それだけ自分のことを振り返ることが出来ている時点で、すごいな~と感心して、本人にそう伝えるのですが、意外にも冷静に「自分は一方的な意見を言っているわけではない」という旨の説明をし始めるのです。
これは、私の経験上の思い込みかもしれませんが、会社を辞めようかと迷っている人ほど、自分を客観的に見ようとするのではないかと思います。

そういう人の声をよく聴いていると、良い職場に必要な条件のような、何かヒントのようなものが見えて来るのです。

離職に悩む人にとっての良い職場の条件

同じ人に、「では良い職場の条件は何?」と質問すると、先ほど書いた理由の逆と思いきや、多くの人は何と「普通の職場」と言うのです。

「普通って、どんな職場のこと?」と再度質問すると、今度は「さっき話した(書いた)ことが起きない職場かな?」などと考え込むのです。
どうやら、自分にとっての良い職場という観点ではなく、一般論としての良い職場とは?という思考になっているようなのです。
やはりこの質問の時でも、私は良いと思うけど、他の人にはどうだか分かりませんといった、自分を客観視しているような節が見えるのが面白いところです。

「貴方の思う良い職場の条件でいいよ」と念押しして出た回答にも、「差別がない」とか「上司のえこひいきがない」、「無駄な残業がない」など、やはり「~がない」という表現が多くなります。

そんなやりとりをしていくうちに分かったことは、「普通=まとも」という価値観でした。
私が出会って来た若者の多くは、”まともな会社”でないと思うから、辞めようと悩んでいたようです。

では、まともな職場と良い職場は同じなのか?という疑問が湧いて来ませんか?

良い職場の条件

今度は、「良い職場にあって、悪い職場にないものは、一体何だろうか?」と質問してみます。
すると、「信頼関係・笑い・学び・希望・目標・道具・設備」などといった単語が出てきます。
つまり、「~がある」とか「~が充実している」と表現できる言葉が出てくるのです。

すると、その後は自然に「今の職場にも、たまに笑いはあるな~」とか「信頼がまったくないわけじゃない」など、ないないという理由の中から、あるものを探そうとするのです。
もちろん、そうでない人もいますが、説明すると少なくとも頭では理解します。

つまり、良い職場の条件とは、そこで働く人が、良いと思うところを「~がある」と、どの程度言えるのかが、一つのバロメーターになるのではないでしょうか。
もちろん、「いじめがある」とか、「サービス残業がある」などは、良い条件とは言えませんが…

貴方の会社で是非試してみてください。「うちの会社の良い点はいくつある?」と。

いろんな人が集まる職場なので、共通した何かがあるという事だけではなく、それぞれに良い点があると思える職場が、良い職場だということではないでしょうか。


貴方は何を求めて仕事をするの?

2020-02-23 | 仕事

お給料や賞与以外に、仕事に何を求めますか?

かつて私は、ある学生に「他の人は、お給料以外に仕事に何を求めるものなのでしょうか?高野さんは何かありますか?」と質問されたことがあります。

その女子学生は、4年生の11月くらいに、当時私が勤めていたハローワークに初めて相談に訪れた学生で、公務員を目指して受験できるところは全て応募したけど結局どこにも受からずに、仕方なく民間企業に応募するため、ある企業のエントリーシートを持って渋々相談に来たのでした。
よく話を聴くと、本当は来年もう一度公務員にチャレンジしたいけど、公務員のご両親から、もしダメだったら民間企業に就職するよう厳しく言われており、本音を打ち明けられずにいることが分かりました。
どうやら、ご両親には娘が就職浪人になることに強い抵抗感がある様でした。

そこで彼女は、食品などの検査を専門で行っている企業の二次募集に応募することに決め、いざエントリーシートを書こうと思ったら、その中の一つに「貴方は、お仕事をするうえで給与以外に何を求めますか?」という問があり、今までそんなこと考えたことが無かったと言う彼女は、一体何が正解なのかを聞きに来たという訳でした。

親の仕事観は子に影響するもの?

彼女は、今までは「人のために働くとは?」という問いは何度も考えて来たけれど、「給与(お金)以外の何を求めるために働くのか」という観点では考えたことが無いし、そんな事を聞かれもしなかったと言いました。

彼女の素朴な疑問は、「働いてもらえるものに、お給料以外の何があるの?」という事でした。
つまり、自分の時間と労働力を提供し、その対価としてお給料やボーナスを得る。そのこと以外に、一体何を求め得ようとするものなのか?そして実際に働いている人は何を求め、何を得ているのか?
彼女は、それがどうしても分からないと言うのです。

ちなみに、公務員であるご両親に聞いたら、「給料以外!?そんなの考えても意味ないよ。仕事は嫌でも何でも人の為にしなきゃいけないんだから…。民間ではそんな事にも答えないと就職させてもらえないの?って言うか、労働の対価である報酬が適正かどうかは考える必要はあると思うけどね、云々」という反応だったそうです。
彼女にとって、一番身近な社会人であるご両親のそんな反応を聞くと、彼女の抱いた疑問にも頷けるような気がしたことを今でも思い出します。

価値観は人それぞれです。彼女のご両親のそれをどうこう言うつもりはありませんが、やはり親の価値観は子に影響するのもなのかと、しみじみ思った次第です。
特に仕事観は身近な社会人の影響を受けやすいのではないかと私は感じています。

求めるものと得るもの

冒頭の質問に対し、確か私はこのように答えました。

「いっぱいありますよ。例えばやりがいとか出会いとか、それに新しい情報や知識も得ることが出来るし、役に立てば相手から感謝もしてもらえる。もっと言うと、ある分野に詳しくなると、その事を人に教えることで自分自身の成長にもつながるし、スキルが上がるとより多くの人に喜んでもらえて、そのうえ給料ももらえるんだから、こんなラッキーなことはないと思いますよ。」

すると彼女から、「それは"結果的に"得られることですよね。」と指摘されました。
確かに、私の答は「仕事に何を求めるのか?」ではなく、「仕事から何を得ているのか?」という回答になっていたからです。

彼女の鋭い指摘を誉めた後で、「結果的に得られるものこそ、お金でしかないと思う。」と私は答えました。
感情や知識、情報などは求めていなければ、その価値に気づけない。つまり得ようとしていなければ、キャッチ出来ないと私は思うからです。
求める気持ちがあるからこそ、それを得たという実感が持てると言った方が伝わるかもしれません。

それに対して、給与はどうでしょうか。
もちろん誰もが求めていることに違いはありませんが、仮に求めずとも一定の労働にはそれに見合う報酬が支払われます。しかも、給与は仕事に対する思い入れには比例しません。
例えば今月は真面目に取り組んだから給料が増えた!なんてあり得ないですよね。
そして、いくら多くを求めても、その通りになる事もありません。
給与は、労働時間やその人の能力、経験則等に対する報酬であり、雇用契約に基いて毎月支払われます。その人がどんな仕事の仕方をしても一定の条件を満たせば”結果的に”得ることができるのです。

”労働の対価”になるもの

そんな話をすると、彼女は「お金を多く求めるつもりはありませんが、やりがいや成長といったことも労働の対価、つまり求めるものになるということですか?」
「私は、どんなふうに人の役に立つかは考えて来ましたが、その見返りに何かを求めようは思わないし、真面目に働いて、それに見合うお給料をいただければ、それ以上は望むべきでないというか…」と言いながら考え込んでしまいました。

そこで私は、「では、仕事で成果を出した自分を”よくやった”と誉めてほしいとは思いますか?」という質問をすると、彼女は即座に「はい、誉めてほしいです!」と返答したので、「それは求めるものにならないのですか?」と返すと、「・・・あっ、そういうことか・・・」とつぶやいた後に、すこし笑ってこう言いました。

「誉めてもらうことも”対価”に入れてもいいんですね。」

その後、本題のエントリーシートの問に話題を移すと、もう私がアドバイスする隙もないくらい”求めること”を書き連ねた後に、「最初は高野さんの言うことが正直よく分かりませんでしたが、こんな風に考えると、案外いろいろあるものですね。」と嬉しいフィードバックをくれました。

価値観は人それぞれです。彼女の考える”労働の対価”についてどうこう言うつもりはありませんが、その後の会話の中で、どうやら彼女は、仕事そのものが尊いものであり、与えていただくものであり、誠実に向き合うもののように捉えていたことが分かりました。
つまり、そもそも仕事をさせてもらう事自体が有り難いことなのに、そのうえ何を求めようと言うのか。という考え方だったのです。
それには特に、法務省で働く国家公務員の父親の仕事観が強く影響している様に思えました。

私が彼女に伝えたかったのは、仕事をすることで自分が得たいものを求めることは決して悪い事ではないし、むしろ何を求めようとするのかを自分に問うことは、仕事に忠実に向き合うことになるのではないか、ということでしたが、私も改めて”労働の対価”について教えられた、彼女との出会いでした。

そして彼女は翌年、県の職員に合格したのです。