ここ最近、自分が新入社員だった頃に、どんなことを想っていたのかを思い出すことが多いので、書くことにしました。
その一つに、仕事はその仕方まで引き継ぐべきかなのか?・・・というテーマがありました。
若い頃の私は、自分は仕事に対してどういう考え方を持つべきか?そもそも仕事とは何か?など、ある出来事や物事を難しく考えるのを一人で楽しんでいるような、変なヤツでした。(未だに続いていますが)
社会に出てしばらくの間は、正直言って「働くことが世の中の為になる、誰かの役に立つ。」などと実感できなかった私は、何を目指して仕事をすべきか、仕事の意味価値とは何か、という漠然とした疑問の答えを自分なりに得ようとしていたように、今となっては思いますが、そんな時期に疑問を持ったのが仕事の「仕方」の継承、つまり手法や手順を真似る覚え方とその継承のことです。
私は今でもそうですが、先輩や先任者から引き継いだ仕事の多くを、自分流に変えて来ました。
いわゆるマニュアル通りにする仕事を嫌い、自己流の仕方が通用する仕事をいつも求めていたように思います。
もちろん、最初のうちは真似ることが有効だと思います。どんな仕も自分のものにするには、出来る人の手順を真似ることはとても効果的だと思います。
しかし、私にとっての仕事の楽しさとは、課せられた成果を上げるための手法を自分なりに考えて実践することでした。
なので、未だ誰もしたことのない事にチャレンジする場面や、その会社で初めて行う事業を任された時などは、俄然やる気になっていました。
やり方を想像して試しては失敗して叱られて、また別のアイデアを試しては失敗する・・・そんな経験を何度となく繰り返すうちに、「世の中の仕事はこうやって創られて来たんだろうなあ~」と自然に思うようになりました。
どんな仕事にもルーツはあります。そしてどんな仕事も誰かが最初にするまでは存在しなった。
人間の手に依らず、自然に用意されていた仕事など、おそらく無いのだと思えるようになってから、私は「仕事の面白さ」に気づいたように思います。
だから「仕事は創造するものだ」と私は思うのです。
誰かから引き継いだ仕事も、誰かに引き継ぐ仕事も、する人によって手法に変化が生じ、新たな意味価値が付加されながら、仕事は進化するものだとも考えています。
そして、仕事が創造され変化して行くその最終到達点が、伝統技術といった技の極みではないかと思うのです。