2024.05.17(金)、岩殿山~天神山~稚児おとしをたどってきた。
この日前後は、天気が芳しくない様子。
JR中央線の大月駅付近を通るたびに、山梨百名山、大月市が選定する秀麗富嶽十二景などの一つとなっている大岩壁を持つこの山にいつか登ってみたいと思っていた。
<岩殿山 いわどのさん >
大月市郷土資料館「博物館を活用した夏休み自由研究プロジェクト ー大月の名所をめぐる小さな旅 岩殿城跡を歩いてみよう」では次のように紹介している。
「岩殿山の標高は634mで、けっして高い山ではありませんが、南面上部に聳そびえる「鏡岩かがみいわ」とよばれる巨大な岩壁が威容を誇っています。
この岩壁は、500 万年以上も前、この周辺がまだ海面下だったころに堆積した礫れきが固結し、その後の造山運動によって隆起したものです。この礫岩の下には、さらに古い時代の海底火山の噴出物である凝灰岩や安山岩があり、軟らかい凝灰岩と上に乗っている礫岩との境には多くの洞窟が形成されています。
岩殿山の険しく起伏にとんだ地形は、山岳信仰と結びつき、心身を鍛錬し験力げんりきを得るための修行の場にふさわしく、平安時代の頃に修験道寺院の円通寺が開かれると、郡内修験道の聖地として栄えました。
16 世紀の戦国時代になると、その険しい山容と東は相模、武蔵、駿河、北は秩父、西は甲斐国中地方へと通じる要所に位置することから城が築かれましたが、いつ誰が築いたかについては諸説あり、現在のところ定説はありません。」(以下、略。)
※アンダーラインはわたしが付記。
岩殿山頂への道には崩落のため通行禁止のところがあるとのこと。
現在は、畑倉ルートだけが大丈夫。
このルートの登山口までは、大月駅から徒歩40分くらいかかるらしい。
それならいっそのこととバスで向かうことにした。
富士急バス大月駅08:30発(登山口手前の自動車教習所前バス停着08:38)に乗車。
平日ともあって、乗客は1組のご夫婦とわたしの3人だけ。
(大月駅から見える岩殿山)
画像右手には建築中のホテルある。
高層なのは、富士山遠望ねらいか? それとも?
中央線の一部ユーザー(特に酒に酔った人)にとってこの大月駅は「恐怖の駅」「魔の駅」らしい。
それは、最終電車で寝過ごしてこの駅まで来てしまい、戻れなくなるから。
そういう酔客をこのホテルはあてにはしていないと思うが、かなり大きな建物で、岩殿山の前に屏風のように立つ。
畑倉コース登山口には、車が4~5台とまっていた。
歩き出してすぐのところにある鬼の岩屋に寄ってみた。
(けっこう大きな鬼の岩屋。中央部では小滝が水を落とす。)
(地元の人たちの信奉を集める畑倉大神)
少々斜度のあるジグザクの道をひたすら上る。
(たぶんマルバウツギ)
この花は、この先々で目にした。
(岩殿山頂の手前)
到着した岩殿山頂は広い。
(ここは正確には山頂でない。)
ベンチも置かれている。
眼前には富士の絶景。
(烽火台でもあった。)
(手前は高川山、右奥は三ッ峠山。)
(富士山前景は杓子山。その手前は倉見山、右の稜線は高川山。)
しばし休憩。
(山頂直下の馬場跡。画像奥は、円通寺跡。)
それにしてもこの山に城とは少々不可思議なという思いが湧いた。
兵糧攻めにでもあえば、食料や水の確保、武器補給などが難しくてひとたまりもなかっただろうに・・・。
やはり烽火台としての役割の方が順当のような気がした。
さらに進むと、東屋や石碑のある広場に着いた。
(こちらが真の山頂。)
(画像左には乃木希典陸軍大将の歌碑。)
(やっぱり目が行く富士山の絶景)
前方の方が奥の方に行ったので、わたしもそれに倣った。
そこは、かつて岩頭があったが、崩落する危険が出てきたので一部を撤去工事した場所だった。
脇に下りる踏み跡があったので、それをたどってみたらすぐに先に進めなくなり、戻ることになった。
見えたのは大きな岩壁。
(浅利登山口側に入る。)
稚児おとし側に向かう。
出てきた”この先危険”の標識。
さっそくその前兆。
先の道は、一見歩きやすそうに見えるが、実際に立ってみると左側斜面の角度がすごく急なものに感じられて、滑落でもしたらどこまでも行ってしまうだろうと緊張してしまった。
空堀があったとされる築坂に着く。
いよいよクサリ場が出現。
(クサリと梯子のある岩場)
(上から見た場面。女性の方が今上ろうとしている。)
そこを通過したら左側が断崖のヘリのような場所だった。
(富士山をながめ心落ち着かせる。)
(兜岩のところは進入禁止。右に林間コースの巻き道があった。)
(兜岩からの眺望)
林間コースは、ロープが設置されている長い下りだった。
(下りてきて見上げる。)
まわりこんで上がった先の光景に一息つく。
(小砂利の地面なのでとても先端がわに近づき覗き込む気は湧かない。)
洞の中には一体の像が置かれていた。
(天神山なので、天神様か。)
よくもこういう場所まで持ち上げてきたものだと感心してしまった。
いよいよ稚児おとしに向かう。
(歩きやすい道・・・。)
(稚児おとしの大岩壁に出た。足がすくむ・・・。)
(振り返って見ると黄色で囲んだ〇のところに女性2人が立っている。)
ああいうところを歩いてきたんだと思いつつ、ここで眺望を見ながらゆっくり昼食をとった。
後は下るだけ。
(下り始めてすぐの道)
(段差が大きい。大人の背丈ほどある。)
(大岩に一本のクサリ)
画像は上から見下ろしたもの。
(上の画像の裏側には、ちょうど都合よく倒木のおかげで道ができていた。)
”ひっくり返り、道となってくれてありがとう”と声をかけながら通過させてもらった。
(オッとこれは! 目指す大月駅は左右どちらにもあるぞ!)
左側を選択。
民家の後ろに出てきた。
(土手に咲いていたセリバヒエンソウ)
(橋を渡って舗装路に合流。ここからは大月駅までトコトコ歩く。)
大月駅に着いたのが、12時55分。
13時15分発の中央特快があったので、全然混まないそれに乗り、立川駅まで戻る。
立川ではすでにホームにいた快速川崎行に乗り込み、これまた座って武蔵溝ノ口まで快適に帰ってきた。
いや~、アスレチックで面白い良い山だった。
一応、この日のたどったルート。
この日前後は、天気が芳しくない様子。
JR中央線の大月駅付近を通るたびに、山梨百名山、大月市が選定する秀麗富嶽十二景などの一つとなっている大岩壁を持つこの山にいつか登ってみたいと思っていた。
<岩殿山 いわどのさん >
大月市郷土資料館「博物館を活用した夏休み自由研究プロジェクト ー大月の名所をめぐる小さな旅 岩殿城跡を歩いてみよう」では次のように紹介している。
「岩殿山の標高は634mで、けっして高い山ではありませんが、南面上部に聳そびえる「鏡岩かがみいわ」とよばれる巨大な岩壁が威容を誇っています。
この岩壁は、500 万年以上も前、この周辺がまだ海面下だったころに堆積した礫れきが固結し、その後の造山運動によって隆起したものです。この礫岩の下には、さらに古い時代の海底火山の噴出物である凝灰岩や安山岩があり、軟らかい凝灰岩と上に乗っている礫岩との境には多くの洞窟が形成されています。
岩殿山の険しく起伏にとんだ地形は、山岳信仰と結びつき、心身を鍛錬し験力げんりきを得るための修行の場にふさわしく、平安時代の頃に修験道寺院の円通寺が開かれると、郡内修験道の聖地として栄えました。
16 世紀の戦国時代になると、その険しい山容と東は相模、武蔵、駿河、北は秩父、西は甲斐国中地方へと通じる要所に位置することから城が築かれましたが、いつ誰が築いたかについては諸説あり、現在のところ定説はありません。」(以下、略。)
※アンダーラインはわたしが付記。
岩殿山頂への道には崩落のため通行禁止のところがあるとのこと。
現在は、畑倉ルートだけが大丈夫。
このルートの登山口までは、大月駅から徒歩40分くらいかかるらしい。
それならいっそのこととバスで向かうことにした。
富士急バス大月駅08:30発(登山口手前の自動車教習所前バス停着08:38)に乗車。
平日ともあって、乗客は1組のご夫婦とわたしの3人だけ。
(大月駅から見える岩殿山)
画像右手には建築中のホテルある。
高層なのは、富士山遠望ねらいか? それとも?
中央線の一部ユーザー(特に酒に酔った人)にとってこの大月駅は「恐怖の駅」「魔の駅」らしい。
それは、最終電車で寝過ごしてこの駅まで来てしまい、戻れなくなるから。
そういう酔客をこのホテルはあてにはしていないと思うが、かなり大きな建物で、岩殿山の前に屏風のように立つ。
畑倉コース登山口には、車が4~5台とまっていた。
歩き出してすぐのところにある鬼の岩屋に寄ってみた。
(けっこう大きな鬼の岩屋。中央部では小滝が水を落とす。)
(地元の人たちの信奉を集める畑倉大神)
少々斜度のあるジグザクの道をひたすら上る。
(たぶんマルバウツギ)
この花は、この先々で目にした。
(岩殿山頂の手前)
到着した岩殿山頂は広い。
(ここは正確には山頂でない。)
ベンチも置かれている。
眼前には富士の絶景。
(烽火台でもあった。)
(手前は高川山、右奥は三ッ峠山。)
(富士山前景は杓子山。その手前は倉見山、右の稜線は高川山。)
しばし休憩。
(山頂直下の馬場跡。画像奥は、円通寺跡。)
それにしてもこの山に城とは少々不可思議なという思いが湧いた。
兵糧攻めにでもあえば、食料や水の確保、武器補給などが難しくてひとたまりもなかっただろうに・・・。
やはり烽火台としての役割の方が順当のような気がした。
さらに進むと、東屋や石碑のある広場に着いた。
(こちらが真の山頂。)
(画像左には乃木希典陸軍大将の歌碑。)
(やっぱり目が行く富士山の絶景)
前方の方が奥の方に行ったので、わたしもそれに倣った。
そこは、かつて岩頭があったが、崩落する危険が出てきたので一部を撤去工事した場所だった。
脇に下りる踏み跡があったので、それをたどってみたらすぐに先に進めなくなり、戻ることになった。
見えたのは大きな岩壁。
(浅利登山口側に入る。)
稚児おとし側に向かう。
出てきた”この先危険”の標識。
さっそくその前兆。
先の道は、一見歩きやすそうに見えるが、実際に立ってみると左側斜面の角度がすごく急なものに感じられて、滑落でもしたらどこまでも行ってしまうだろうと緊張してしまった。
空堀があったとされる築坂に着く。
いよいよクサリ場が出現。
(クサリと梯子のある岩場)
(上から見た場面。女性の方が今上ろうとしている。)
そこを通過したら左側が断崖のヘリのような場所だった。
(富士山をながめ心落ち着かせる。)
(兜岩のところは進入禁止。右に林間コースの巻き道があった。)
(兜岩からの眺望)
林間コースは、ロープが設置されている長い下りだった。
(下りてきて見上げる。)
まわりこんで上がった先の光景に一息つく。
(小砂利の地面なのでとても先端がわに近づき覗き込む気は湧かない。)
洞の中には一体の像が置かれていた。
(天神山なので、天神様か。)
よくもこういう場所まで持ち上げてきたものだと感心してしまった。
いよいよ稚児おとしに向かう。
(歩きやすい道・・・。)
(稚児おとしの大岩壁に出た。足がすくむ・・・。)
(振り返って見ると黄色で囲んだ〇のところに女性2人が立っている。)
ああいうところを歩いてきたんだと思いつつ、ここで眺望を見ながらゆっくり昼食をとった。
後は下るだけ。
(下り始めてすぐの道)
(段差が大きい。大人の背丈ほどある。)
(大岩に一本のクサリ)
画像は上から見下ろしたもの。
(上の画像の裏側には、ちょうど都合よく倒木のおかげで道ができていた。)
”ひっくり返り、道となってくれてありがとう”と声をかけながら通過させてもらった。
(オッとこれは! 目指す大月駅は左右どちらにもあるぞ!)
左側を選択。
民家の後ろに出てきた。
(土手に咲いていたセリバヒエンソウ)
(橋を渡って舗装路に合流。ここからは大月駅までトコトコ歩く。)
大月駅に着いたのが、12時55分。
13時15分発の中央特快があったので、全然混まないそれに乗り、立川駅まで戻る。
立川ではすでにホームにいた快速川崎行に乗り込み、これまた座って武蔵溝ノ口まで快適に帰ってきた。
いや~、アスレチックで面白い良い山だった。
一応、この日のたどったルート。
稚児落としは、行ってみたいと思いつつ、行かず仕舞いになりましたが、凄いところなんですね。迫力ある写真に、見ているだけで足がすくんでしまう感じです。
懐かしく、お礼を言いたくてコメントさせていただきました。
拙ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
岩殿山~稚児おとしは、アップダウンもあってとても面白かったです。稚児おとしの大岩壁の上ではビビりましたが・・・。
我が家から登山口までのアクセスもいいので、紅葉の季節にも再訪したいと思うコースでした。
今後ともよろしくお願いいたします。