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気ままに生活してるシニアの残日録

團菊祭五月大歌舞伎(昼の部)を観る

2024年05月12日 | 歌舞伎

今月も歌舞伎座昼の部の公演を観ることにした、今回も3階A席、6,000円、この日の3階は結構埋まっていた。相変わらずおばさま方が多い。

「團菊祭」とは、明治の劇聖と謳われた九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の偉業を顕彰するために昭和11年に始まり、戦後は昭和33年に復活、近年の歌舞伎座では五月興行の恒例の催しとして上演されてきたもの

一、鴛鴦襖恋睦(おしのふすま こいのむつごと)

河津三郎/雄鴛鴦の精(松也)
遊女喜瀬川/雌鴛鴦の精(尾上右近)
股野五郎(中村萬太郎、1989、萬家、時蔵の息子)

本作は、河津と股野が相撲の起源や技に託して恋争いを踊る「相撲」と、引き裂かれた鴛鴦の夫婦の狂おしい情念を見せる「鴛鴦」の上下巻で構成されている

源氏方の河津三郎に相撲で敗れた平家方の股野五郎は、約束通り遊女喜瀬川を河津に譲る。しかし股野は、かねてからの遺恨を晴らすため、河津の心を乱そうと酒に雄の鴛鴦(おしどり)を殺した生血を混ぜる。やがて泉水に、雄鳥の死を嘆き悲しむ雌鳥の精が喜瀬川の姿を借りて現れ・・・

この河津三郎というのは、河津三郎祐泰といい、二人の息子がいた、兄を十郎祐成、弟を五郎時致といった、これが仇討ちで有名な曾我兄弟である。仇討ちは、曽我兄弟の祖父伊東祐親(すけちか)が工藤祐経(すけつね)の所領を横領したため、祐経はその恨みから狩に出た祐親を狙うが、誤って子の河津三郎を殺してしまう、その18年後、成長した曽我兄弟は、源頼朝が富士の裾野で大がかりな狩りをおこなっていた際、工藤祐経を殺害し、仇討ちを果たした。その曽我兄弟の父、河津三郎はこの演目では善人であり、股野五郎が悪人を演じている。

この演目は、曽我兄弟の仇討ちとは全く関係なく、「相撲」と、「鴛鴦」の上下巻で構成され、華やかな歌舞伎の様式美を楽しむ舞踊劇である、特に今回は若手3人による鴛鴦の精が本性を現す「ぶっかえり」などの華やかな演出が大変良かった。なお、この演目では前半の「相撲」では長唄連中が、後半の「鴛鴦」では常磐津連中が演奏していた、私が贔屓にしている長唄の杵屋勝四郎は出演していなかったが立三味線の巳太郎さんが出ていたように見えた

四世市川左團次一年祭追善狂言
二、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)

粂寺弾正(くめでら だんじょう)(市川男女蔵、1967、瀧野屋、左團次の息子)
小野春道(菊五郎)館の主人
小野春風(鴈治郎)春道の息子
錦の前(市川男寅、1995、瀧野屋、男寅→男女蔵→左團次となる)館の一人娘
腰元巻絹(時蔵)
八剣玄蕃(又五郎)数馬の父、短冊を盗む
八剣数馬(松也)反乱派の家臣の息子
秦民部(権十郎)秀太郎の兄
秦秀太郎(梅枝)忠臣派の家来の弟
小原万兵衛(松緑)
乳人若菜(萬次郎)
後見(團十郎)

小野小町の子孫、春道の屋敷。家宝である小町の短冊が盗み出されたうえ、姫君錦の前は原因不明の髪の毛が逆立つ病にかかり床に伏せっている。そこへ、姫君の許嫁文屋豊秀の家臣、粂寺弾正が様子をうかがいにやって来る。さらに、屋敷に小原万兵衛が押しかけてきて、腰元だった小磯が春風のお手つきで暇を出された挙句、亡くなったという。

これらを見た弾正は、姫の奇病の仕掛けを見破り、両家の縁談を破談にしようとする陰謀を暴く、これらを仕組んだのは玄蕃の一味だった、なお、毛抜というのは、姫君の病の原因を突き止めるきっかけとなったもの、弾正が座敷で毛抜きを使うと、動いた、それで天井で何かやっていることに気付く、というもの。

この演目は、昨年4月に亡くなった四世市川左團次一年祭追善狂言として演じられたもの、主役は粂寺弾正であり、これを務めたのは左團次の息子市川男女蔵である。男女蔵の息子が男寅であり、親子そろって祖父の追善公演に出演できたのを観て、亡くなった左團次もさぞかし喜んでいることだろう

この追善に華を添えるように、團十郎が後見で出演し、菊五郎、時蔵、松緑、鴈治郎などそうそうたるメンバーが勢ぞろいした素晴らしい公演であった。そして、今日の歌舞伎座では2階のロビーに在りし日の左團次の大きな写真が何枚も飾ってあった。

河竹黙阿弥 作
三、極付幡随長兵衛(きわめつき ばんずいちょうべえ)
「公平法問諍」(きんぴらほうもんあらそい)

幡随院長兵衛(團十郎)
女房お時(児太郎)
水野十郎左衛門(菊之助)
加茂次郎義綱(玉太郎)、坂田金左衛門(九團次)、坂田公平(片岡市蔵)、唐犬権兵衛(右團次)、渡辺綱九郎(家橘)、極楽十三(歌昇)、雷重五郎(尾上右近)、神田弥吉(廣松)、小仏小平(男寅)、閻魔大助(鷹之資)、笠森団六(莟玉)、下女およし(梅花)、御台柏の前(歌女之丞)、伊予守頼義(吉弥)、出尻清兵衛(男女蔵)、近藤登之助(錦之助)

江戸時代初期、浅草花川戸に実在し、日本の俠客の元祖と言われた幡随院長兵衛を主人公にした物語、その中でも本作は九世團十郎に当てて河竹黙阿弥が書いた「極付」とされる傑作。町人の意地と武士の面子を賭けての対決、柔術を組み入れた立廻りなど、江戸の男伊達の生き様を描いた世話物、江戸随一の俠客、幡随院長兵衛と旗本「白柄組(しらつかぐみ)」の水野十郎左衛門の対決を通じて俠客、幡随院長兵衛の男気を描いたもの

公平法問諍とは劇中劇で、長兵衛と十郎左衛門が芝居小屋でこの演目を観劇中に後に問題となる騒ぎが起こった、公平法問諍の公平とは「きんぴら」と読む。劇中劇で源頼義の家来を演じているのが坂田公平であり、主君が息子の加茂義綱を出家させようとするのを懸命に止めようとし、そそのかしている坊主を相手に、仏教や出家の根本的意義について問答をするのが、公平問答である。

この公平の父は坂田金時といい、源頼光の部下で「頼光四天王」と呼ばれた4人のうちの一人である。坂田金時は怪力無双の勇士、これが有名な「金太郎」であり、息子の公平は頼光の甥にあたる源頼義の臣下として新たに四天王を名乗り活躍するうちの一人となる。公平(きんぴら)は伝説上では、とても強く勇ましい人物だったと伝えられて、やがて人々は、「強いもの」「丈夫なもの」を「きんぴら」と呼ぶようになり、歯ごたえが強く、精がつく食べ物である「きんぴらごぼう」の語源となった、とイヤホンガイドで解説していた。

この演目の見どころは何といっても当世團十郎の演技だろう、菊之助演じる旗本奴が江戸で乱暴狼藉の限りの振る舞いをして町人から嫌われているが怖くて文句も言えないという状況で、「いい加減にしろ」と言って注意をし、やっつける侠客(町奴)を演じているからだ。

この侠客の親分である長兵衛の普段の仕事は人のあっせん稼業、今でいう派遣会社だ。イヤホンガイドでは、地方の大名が江戸に参勤交代に行く際、幕府から言われた人数を国許から連れて行くと金がかかるので、最少人数で出発して、江戸の近くで長兵衛のようなところに人の手配を依頼して人数を揃えて間に合わせていた、と説明していた。

この演目では、長兵衛も武家出身だが、旗本奴のほうが格上であり、長兵衛らが日ごろ町人たちに人気があり自分たちが悪者にされているのを気に食わないと思っていた、そこに今回の公平法問諍で長兵衛に恥をかかされて、ついに長兵衛一人を水野十郎左衛門の宴席に招待し、そこで殺してしまおうとする。長兵衛はそうなることを分かったうえで、その誘いを断れば、日ごろ町人の前でかっこいいことを言っていながら水野の誘いには逃げた意気地なしだ、と言われることは侠客として絶対にできないと引き留める子分や家族を説得して、水野の屋敷に死を覚悟して乗り込んでいく、なんともカッコいいではないか、最初の公平法問諍の場面では客席の中から突然現れて劇中劇の舞台にさっそうと登場する粋な演出もある

今日の團十郎は、水野との問答や立ち回りなど、江戸の荒事歌舞伎の派手さと粋を実にうまく演じていた、團十郎を襲名してからだんだんと團十郎の名にふさわしい演技になってきたと感じた、立場が人間を作る、そんな印象を今日は持った。今日の演目では、こんな役が團十郎に一番ふさわしいと思った、助六もそうだ、粋でいなせでやせ我慢でも男気があるところを見せる人情家、そんな役が似合うようになってきた。

さて、今日の歌舞伎の幕間の食事だが、いつものように銀座三越デパ地下に行き、だし巻き弁当で有名な京都大徳寺さいき屋の「さば寿司だし巻弁当」1,404円にし、甘味はこれも京都の仙太郎「みなずき白」、嫁さんは「おはぎきなこ」にした。いずれもおいしかった。