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気ままに生活してるシニアの残日録

筒井清忠「戦前日本のポピュリズム、日米戦争への道」を読む(その3・完)(追記あり)

2024年05月04日 | 読書

2024/5/4追記

現在放送中の朝ドラ「虎に翼」で、寅子の父直言が「共亜事件」という政財界を揺るがした疑獄事件で逮捕され裁判にかけられる。いろいろあって被告人は全員無罪となったが、裁判官が「無罪となったのは証拠不十分ではなく、疑惑そのものが全く存在しなかったためだ」と説明する場面があった。

この事件のモデルは「帝人事件」である、事件がでっち上げであったことが筒井清忠氏の本に書いてあった(下記の一番上の記載参照)。同様な記述は昨年読んだ北岡伸一氏の「日本の近現代」にもあり、その時もブログで取りあげた(こちら参照)。

自分が書いたブログで取り上げた事件がテレビで放映されたので、記念にその旨追記した。なお、寅子のモデルとなった三淵嘉子さんの父親の武藤貞雄さんは、この帝人事件とは無関係でありテレビのだけのフィクションである。

以下、2023/11/19当初投稿

(承前)

  • 時事新報が報道した帝人事件は、その後各メディアが大きく取り上げ、政治家・官僚が16名も逮捕・起訴され、斉藤内閣は総辞職した。たが、この時も明確な証拠を示しての報道ではなかった。その結果、裁判では全員無罪となった。裁判官は、この判決は証拠不十分で無罪になったのではなく、全くの犯罪の事実がなかったことによる無罪であり、この点間違えの無いようにされたいと語った。無罪判決が出ると新聞は、政界腐敗と批判して内閣崩壊までさせた反省もなく、検察批判に転じた。こうしてこの事件は政党、財界の腐敗を印象づけ、正義派官僚の存在をクローズアップさせた事件として記憶に残るものになった。
    (コメント)最近では慰安婦強制連行報道が典型だ。根拠があやふやな本を頼りに大騒ぎし、日本及び日本人の名誉を大きく傷つけ、日韓関係を無用に悪化させた。
  • 1939年に欧州で第二次大戦が始まり、ドイツの勝利が続くと、例えば大阪朝日は連日のように独伊の優勢とイギリスの劣勢を論じた、7月13日には「大転換必至の我が外交、日独伊連携・現状打破外交へ」と題し、「世界大変革の大渦の真っ只中に東亜の現状打破とその新秩序建設に向かって長期推進せんとする日本と、欧州の再建に向かって現状打破の大業に邁進しつつある独伊とが、世界新秩序偉業の前にその関係をいよいよ緊密化して行くのは必然の姿である」と論じた。
    (コメント)世界情勢を見る目がないのは戦後も同じではないか。
  • ドイツの大勝に煽られて、バスに乗り遅れるなという大衆の興奮があったが、この「バスに乗り遅れるな」という言葉を初出は朝日新聞(1945年6月2日)のようだ。
    (コメント)新聞社が何かキャンペーンのように大げさに報道し、1つの方向性や空気を作り出したら、「何かおかしくないか、違った見方は無いのか」と思うべきでしょう。最近のガザのパレスチナ人がかわいそうだと言う報道もそうだ。

この本の最後で著者は以下の様に述べている。

大衆運動の結果、普通選挙が実施され、大衆の代表としての二大政党制が成立した後、新聞は、二大政党制を積極的に支援し育成しようとしなかった。政治家の腐敗、スキャンダルを大々的に報道し、大衆に政党不信を植え付けた。この結果、新聞・知識人は、より清新と観られた近衛文麿・新体制や軍部に現状打破勢力として期待をしていくことになるのである。しかし、この既成政党批判と清新な力への渇仰が招いたのは、結局は大政翼賛会という名の政党政治の崩壊と無極化であった。戦前のポピュリズムが招いた国内政治における最後のものは大政翼賛会だったのである。

では戦後も続くこのような傾向をどうして改善していけば良いのか、著者は、読者自身に考えてもらいたいとしながらも、その基礎となるのは清沢洌が説いたように日本のメディアの知的向上であり、その前提としての統計など正確な資料報道の重視であると説く。そして、メディアに対して批判・攻撃をするばかりでなく、よいメディアを育てていくのも、政党政治を育てるのと同じく国民がなさねばならぬことだという認識が広く必要であろう、と締めくくった。

著者の言うとおりだろう。ネットでは新聞論調に左右されない多様な意見が出てきているのは良い傾向だ。また、AMラジオの朝のニュース番組でも新聞論調とは異なる中道路線の番組があり、これも多様性の観点から良いことだ。新聞やテレビで世の中の空気が1つの方向に傾くのが一番危険だと思う。ここに新聞再生のヒントがあるのではないか。

(完)


三島由紀夫「文化防衛論」を読む(3/3)

2024年05月04日 | 読書

(承前)

学生とのティーチ・イン(三島の講演、その後の質疑)

  • 日本ではどういう危険があるかというご質問だったと思いますが、それは政治体制の危険じゃないと思います、つまり日本人の民族性というものだと思います、日本人の民族性は、ご承知の通り振り子のように、こっちの端へ行くとまたこっちの端へ行く傾向があるので、それをこっちの端へ行かないように、いまいろいろ平和憲法なりがチェックしているわけです、戦前のような形で容易には起こりえないというふうに私は考えております
    コメント
    極端から極端に振れるブレの大きさは日本人の民族性かどうかわからないが、非常に危険であることは間違いないと思う、しかし、三島の「平和憲法がチェックしている」とか「戦前のような形で容易には起こりえない」との考えは甘いと思う、平和憲法自体が極端な発想であり、憲法制定当時と最近の日本の周辺環境、世界情勢があまりに違い過ぎるということを大部分の日本人はもう気付いている、変われないのは・・・
  • 共産社会に階級がないというのは全くの迷信である、日本では社会主義者も共産主義者もみんな軽井沢にプール付きの別荘を持っている、そして日本にはどういう階級がありますか、会社の社長だって昔の三井、三菱に較べれば自分の自由なんて一つもありゃしない、こういう人たちの家に行ってみましても、昔だったら召使い何十人といたがいまは二三人だ、私は階級差というものの甚だしい例をヨーロッパでたくさん見てきたが日本では無階級に近い
    コメント
    その通りでしょう、三島のいうとおり今の日本には欧米のような格差もないし、2.26事件当時の貧困はないでしょう
  • 戦争ではいつも共産党はそうなんです、ソ連に限らずこういう国は熟柿作戦と申しまして、柿がまだ熟さないうちには決して自分でもいで食べようとしない、熟して落ちかかってきたときに手を出してポッともぎ取って食べる、上海で戦後、市民は戦争に飽き飽きしていて、平和を求めていた、もう平和さえくれれば何でもいいやという心境になっていた、そこに人民解放軍が呼びかけてきた
    コメント
    戦後の日本も同じでしょう、国民が厭戦気分になってきたところに、正義の味方米軍が来て、悪い日本人を処刑し、日本人に贖罪意識を植え付け、保守派を一掃した、そしてその隙に左派思想が学校、マスコミに入り込み、或は自ら転向して検閲などの占領政策に協力し、それが固定化した
  • 軍隊は栄誉のために死ぬという大きな特徴を持っているので、それがないと傭兵になってしまう。やはり何かのために死ぬということが大事である、それが私がかなり抽象的な「文化防衛論」で述べたことです、結局文化を守るために死ぬのであり、その文化の象徴が天皇の役割ということなのです。
    コメント
    国のため死ねるかという質問にNoと答える人の比率が多い国の一つが日本となって久しい、これは国家権力や愛国心を敵視し、自由が何にもまして大事だと主張してきた左派マスコミ報道が影響してるでしょう
  • 私は、言論と日本刀は同じもので、何千何万人相手でも、俺一人だというのが言論だと思うのです、一人の人間を多勢で寄ってたかってぶち壊すのは、言論ではなくて暴力という、日本で言論だと称されているものは、あれは暴力
    コメント
    その通りだ、特定の代議士の非違をあげつらって社説で何度も非難する新聞があるが、こういう冷静さを失った紙面作りは批判を通り越して暴力でしょう。わが国新聞は、ジャニーズ問題の報道姿勢をみても、とても言論などと偉そうに言えるものではないだろう

果たし得てない約束

  • 25年前に私が憎んだものは、多少形は変えはしたが、いまも相変わらずしぶとく生きながらえている、生きながらえているどころか、おどろくべき繁殖能力で日本全体に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善という畏るべきパチルスである、こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終るだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった、おどろくべきことには、日本は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである、政治も、経済も、社会も、文化ですら
    コメント
    その通りでしょう、そしてそれは今も続いている。それにもっとも貢献しているのがメディア、学者でしょう、更に自民党も戦後体制から脱却するのをとっくの昔に放棄し、安易に流れ、選挙の前になると保守的ポーズを取るだけの無責任政党になりはてた、全員が戦後体制利得者となり、現状変更を拒み、やがて国を滅ぼすでしょう
  • 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない、このままいったら日本はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする、日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、ある経済的大国が極東の一角に残るであろう、それでも良いと思っている人たちと私は口をきくきになれない
    コメント
    あまりに有名な一節。これを打破するのは、新聞・テレビなどの左派思想に洗脳されていないネット世代が社会の大部分を占めるようになった時だと思う、彼らが左に傾きすぎた日本を健全な中道路線に戻し、自由と平和の維持に積極的に貢献する責任ある国家「日本」を作ってくれるでしょう。明治維新も戦後の復興も若い人たちがやった、今の日本もきっと若い人たちが再生してくれるだろう

(完)