特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

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納得できる生き方を~夢や希望を持とうは、ときには残酷な言葉になる~

2011年12月12日 15時17分26秒 | スタッフのつぶやき
久田です。

教員の仕事をしていると、生徒たちに、「夢」や「希望」をといった言葉をしばしば使う。「夢を叶えるために」とかいう言葉は講演のテーマにありがちだ。「夢」や「希望」を持とうと…。

君の夢は?と尋ねて「津波で亡くなったお父さんと一度だけでいいから、思いっきり遊ぶこと」、「お母さんにもう一度抱っこしてもらうこと」と、子どもたちが語ったら…。
「夢」や「希望」を迂闊に誰かに尋ねることは、時にはおそろしく残酷なことになるかもしれない。
ということに気づいたのは、牡鹿半島の大原小学校の校長先生とお話していたときのこと。

邦ちゃんは、がんの治療中に「夢」や「希望」を聞く人がいたら、ぶっ飛ばしたと思うというようなことを語っていた。

「夢」や「希望」は、実は誰にでも語ることができるわけではない言葉。時には残酷な言葉。

では、何を語るのか?

「納得できる生き方」、あるいは「納得できる死に方」ではないか。
人生の折り返し点もすぎ、「生き方」と「死に方」は同義になった。
だから、どちらも私にとっては同じ。

この言葉なら、たとえ末期になっても、私は自分自身に問いかけることができる。

いくつになっても「夢」や「希望」を持つことはもちろん素敵なことだ。
そして、「納得できる生き方」にはその「夢」や「希望」も内包される。


さて、仕事をしよう!^^ 納得できなきゃいけませんからね^^;
顔が晴れやかになるように、顔晴りましょう^^

(個人ブログに書くような内容ですね。申し訳ありません。スタッフのつぶやきということでお許しを)
コメント (4)
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