伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

屁理屈を超える

2008-01-14 15:20:31 | Weblog
私は、棟方志功が好きです。
彼の作品のコピーを何点か持っています。昔わざわざ鎌倉市
に在る、彼の自宅跡の美術館へも行きました。
彼の頭に巻いたヒモを寄り代として、作品には神仏が降りて
居るのが分かります。
彼は昔、戦争末期の昭和20年ごろ、富山県に疎開していた
時期がありました。 まだ、世の中で評価される前で、食べる
だけでもやっとの時期でした。 うだつが上がらなそうな彼を
下宿させてくれたのは、お寺の住職でした。
住職は、彼が仏前で子供の様にギュッと手を合す姿を見て
気に入られたようです。 どうせ暇だからと、フスマに絵を書
かせても、いつの間にか隣の白壁にまで絵を書いてしまって
ハッと気が付いた棟方が住職に詫びると、住職は
”志功は、信心深いから、まあ良いわ” と、怒らなかったそう
です。 住職は、信心深い人間を尊重する人でした。
それが理屈を超えた人間の宝だと考える住職だった様です。
最近は、信心深い人間とは、
1.依存心の強い人間。 2.騙され易い人間。
3.弱い人間。 4.外軸の人間。 5.頭が悪い人間。 
6.霊性が低い人間。 7.時代遅れな人間。  
などなどと、揶揄する人間がいます。
ここで、何を信じるかが、問題に成るのですが、棟方志功の
場合を観ますと、彼が神仏に手を合す気持ちは、
”好きで、好きで堪らない”から、思わず拝んでしまう、だと、
感じます。 そこには、なにも理屈や目的が有りません。
目の前の仏像に仏を感じるのは勿論、自然や、人物にも
神仏を感じて、感動の余り涙する感激屋さんだった様です。
やはり、本当の芸術家だったと思います。
彼は、自己の中にも仏を、本能で感得していたと感じます。
カンナガラ状態に成れたからこそ、あのような芸術が生まれ
ました。
これは過去生からの蓄積が、この世での人それぞれの信仰
のあり方と、信仰に出会う縁に影響するようです。 
素直に神仏、先祖へ”現状への感謝”を思える人は、幸い
です。 これを揶揄する人間には、10年掛けて説明しても
理解はされないでしょう。 理屈で分かることでは無いから
です。
現在は、輪廻の法則の終焉が、始まっている時代です。
それぞれの魂の集大成が、今、にあります。
この期に及んで、遠回りな人が多いです。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
応援して下さる方は、この4箇所をクリックして下さい。
コメント (59)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする