伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

般若心経 前編

2008-01-17 21:26:28 | Weblog
昔、個人的な相談を受けていた時、老後の教養の1つとし
て、般若心経の写経を始めた年配の方が、鬱病や目の
病気を発症するケースに、何人も出会いました。
どの方も、家庭的にも環境的にも、申し分の無い人達で
した。 その原因は、最初は個人の霊的な事かと思いまし
たが、よくよく観ると、違いました。 どんな人でも、悩みの
1つぐらいは、有るものです。 そのネガティブな面だけが
異様に拡張されて、各人に霊的に作用している様に感じ
ました。 その原因は、般若心経の写経や読経から来ると
感じました。 そして、般若心経をリーディングして観えて
来たのは、無念の内に、世を呪いながら死んだ、般若心経
の作者の姿でした。 これは、私には衝撃でした。 
日本仏教で最も大事にされ、広く普及している御経に、
恐るべき仕掛けが有るとは、思いませんでした。
般若心経の作者には、諸説がありますが、私は鳩摩羅什
だと確信します。
釈尊の死から800年後ぐらいに、現在の中国ウイグル自治
区付近に、鳩摩羅什(くまらじゅう)は生まれました。
彼は、インド人系の父親とアーリア系母親との混血でした。
生まれながらに彼は、顔相に個性がありました。
霊眼では、鼻が異常に大きくて、目が細く、顔の皮膚がニキビ
が悪化したように異様にボコボコしていた様に感じます。
子供の頃、その外見の為に、苛めと差別を受けた様です。
幼少の頃から、生きる辛さ故に、この世の無常を感じていま
した。 そして、この世的な結婚などの幸福を早くに諦めて、
母親の勧めも有り、幼くして出家しました。 
彼は、混血の出生と、異文化の交流する地域で育った故に
幾つもの言語への造詣と、その応用に才能がありました。
出家後は、早くから経典の研究に従事していたようです。
釈尊の教えをまとめた、インドのサンスクリット語で書かれた
仏典の多くを漢字に翻訳しました。
インドの言語を、発音と意味が近い漢字に変換する時点で
無理があります。 そこで、まず別物になっています。
日本に伝わる御経は、釈尊が作成したと思い、釈尊を尊敬
する気持ち故に、御経を有り難がっている人が多いですが
真実は、違います。 日本仏教は、極端な言い方をすれば
釈尊の看板の元で、鳩摩羅什の宗教を信仰しています。
                         ・・・・・続く。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
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コメント (73)
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