伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

般若心経 後編

2008-01-19 19:25:16 | Weblog
鳩摩羅什が頭巾を被り、街角で元弟子の一人に般若心経を
託す姿を感じます。 これは、膨大な大般若経の高徳を凝集
した御経であり、その効果は絶大であると伝えました。
そして、般若心経は作者不明のまま、徐々に広まって行きま
した。 僧侶には、その御経の洗練された内容と流れを見れ
ば、それが特別な御経であることが分かります。

般若心経は、最後の一文を除いて、最初から後半までを観る
と、問題はありません。 仏教の膨大な空の概念と、仏の
知恵を簡潔かつ完璧に近く現しています。
その内容は、現代物理学の
宇宙における、全エネルギーの
総和は一定である、 という エントロピーに関する法則をも
示唆しています。
問題は最後の
”羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶”
です。 このガテイー、ガテイーで始まる文章は、呪文です。
一般的には、この箇所は、”進め、進め、悟りを目指せ”など
色々な解釈がされています。
これは、霊的な言霊ですので、漢字や文には意味は有りま
せん。 この呪文を最後に加える事により、前半の御経
全体の持つ意味、その波動はガラリと変わります。 
私には、”滅びろ、滅びろ、欲深き者は全て滅びろ” と、
作用する波動を感じます。
この波動は、呪い、嫉妬、欲、不安感・・・などの悪い感情
だけを増幅する波動です。
現代の日本にも、般若心経を唱える、一般人以上に欲深い
破戒僧が存在するか否かの判断は、読者に任せます。
病気への恐怖を抱える人や、鬱病の人間が般若心経を
読誦すると、その症状が悪化すると私は思います。 
心が明るい人が読誦しても、問題は無いでしょう。

般若心経について、私の一方的な独論を書きましたが、ここ
まで日本において般若心経が浸透したのは、大きな神意が
在るからだと思います。 従って、般若心経に対して、今まで
の習慣や、その場を壊す様な事をすると、逆に悪い縁に成り
ます。感謝の気持ちを持ちながら、般若心経を読誦する事が
大事です。 そうすれば、何も問題は有りません。
般若心経は、人間の心の本心を燻り出させるものかも知れま
せん・・・・。
今回、鳩摩羅什のリーディングを行った過程で、彼の過去生
提婆達多
(だいばだった)の因縁を有していた事は、意外
でした。 また、日本では、恨みの念に凝り固まった顔相を
般若と呼ぶのは、偶然ですが日本語の不思議さを感じます。

生かして頂いて ありがとう御座います

   
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コメント (78)
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