伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

足元が大事です

2008-04-01 19:37:43 | Weblog

人格神の形象をとる神仏は、その足元に魂座の花弁が花の
様に在るものです。高い次元の神仏ほど花びらの枚数が
幾重にも重なり、菊の花や、蓮の花の様にも観えます。
エネルギーの放射がそのように見えさせるのでしょう。

神仏は、この魂座の上に立つ形や、座った形象で観えるので
すが、霊視者を騙そうとする魔物や野狐霊の場合は、この
花弁が足元にありません。上半身は、美しい仏像の様に上手
に見えさせるのですが、足元の魂座が無いのです。
観える形象の足元が一番大事です。
例えば、昔から幽霊には足が無いと言われています。
これは実は、嘘のようで誠に霊的な側面に合致したことです。
心霊写真も顔だけのものが多いです。上半身がハッキリ写る
ぐらいまでです。

霊的姿を現す場合、首から下方に行くほど段々と形象化が
難しく成って行きます。 迷える霊の場合は、顔の形象を現す
のが精一杯です。幽界の霊力を持つ霊的存在でも、ひざから
上は旨く神仏を真似る事が出来ますが、ひざから下が消えて
います。
根源の存在に近い神仏だけが足先まで有り、その上、花びら
の座を持つ事が出来ます。 
しかし、これからは人格神を観る必要は、全くありません。
人格神も、根源へ還る時代が始まっています。

自己の心の中に、、感謝と慈悲の「気持ち」を持つことは、
神仏を観ようとする事よりも、100倍大事なことです。
生きている人間が、地に足をしっかり付けた日常生活を送り
ながら、社会の中で自分の足元に花を咲かせる時代が来て
います。 足元がふら付いていると、依存心ばかりが育ち、
オモチャのような霊的商品を買ってしまいます。
そのオモチャごときに、内在神を宿す人間が恐れ心配する事
は、もう卒業する時代です。

生かして頂いて ありがとう御います

の言葉は、これを思う人々の心の中に、お花の様な魂座を育
てます。 そして、この座の上には、感謝の先祖供養と神仏
への感謝想起で身軽に成った、自分の魂が座るのです。
これが、内在神との合体、カンナガラ(神と共に)の状態を
自然に起こします。 人生に楽しみを見い出し、人生を強く
生き切ることが出来ます。

今日も 生かして頂いて ありがとう御座います

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コメント (64)
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